今週号の週刊朝日も本当に必読の書なのですが、その中に、室井佑月さんの…本人が眼前に現れる様な…そういう意味では見事な室井文体だと思う…彼女の話言葉をそのまま書いているだけじゃないか…と言われたら身も蓋も無いが…今、起きている民主主義とは全く違う有様…反民主主義そのものが横行している事を、大新聞の論説やテレビは、一体、何を報道しているのかを、これほど当たり前に書いた短文も、そうないと思う。
その意味では、嵐山光三郎氏の文章と共に、この件については、一番の…だけれども、本当に至極当然な…この至極当然な事が大新聞やテレビは言えない、伝えない…今の日本は、本当におかしい…大事な何かが狂っている…だから、今、何よりも重要な事で…そこに「失われた20年」の本当の原因も明瞭に在ると僕は思う。
明日まで、週刊朝日は買えるのでしょうから、是非、読んで下さい。
今日は、室井氏が書いた最後の言葉に対しての一番の参考に成ると思う文章をアップします。
ヤメ検、ヤメ判と生粋の弁護士の発想の違い
早川忠孝
提供:早川忠孝の一念発起・日々新たなり
2010年10月20日14時57分
あくまで大まかな傾向として理解していただきたい。
ヤメ検とは検察官を辞めて弁護士になった人を言い、ヤメ判とは裁判官を辞めて弁護士になった人を言う。
ヤメ検は検察庁の捜査の実情を知っているから、検察官がどんなことに関心があるかに敏感である。
冤罪の発生を防止する、という観点から弁護に取り組むというよりも、事件の広がりをどこで食い止めるか、被疑者やその他の事件関係者が不当に長期間身柄を拘束されないようにするにはどうしたらよいか、ということが検察官出身の弁護士に期待されており、当然ヤメ検と呼ばれる人たちはこういうことが得意である。
刑事事件で元検察官の弁護士が重用されるのは、こういう背景がある。
刑事事件に特化すれば役に立つが、学者ではないので理屈の立て方は、割とサラッとしている。
判例や通説に従った物の見方をしやすい。
もともと検察官の仕事が過去の裁判例や内閣の有権解釈に基いた法令解釈を具体的事件に当て嵌める作業なので、法律そのものの解釈の仕方は極めてオーソドックスである。
裁判官出身の弁護士は、自分が裁判官になったような感覚で事件を見がちだから依頼者とはあまり上手く行かないことが多い。あの裁判官は間違っている、などと平気で言い勝ちである。
新しい判例を作るとか、学者の仲間入りをするときは裁判官の経験は実に有用だが、刑事事件の弁護は冤罪事件でもない限り、あまり元裁判官の弁護士のところには来ない。
真面目で役に立つが、融通が利かないところがある。
こういうことが分かっていると、これまでの小沢氏側の足りなかったところがよく見えてくる。
裁判所を説得するための準備が十分でないのに負ける戦いを始めてしまい、緒戦で負けてしまった、ということだ。
生粋の弁護士は裁判所を説得することが如何に難しいことかを知っているから、訴状も準備書面もこれでもかこれでもか、というくらいに書く傾向がある。試験だったら「書き賃」を払ってもいいか、と思うくらいに書く。
特に大きなローファーム、渉外事務所系の弁護士は膨大な判決例や学者の論文、外国の法制度などを並べ立てて裁判所をなんとか説得しようとする。
刑事弁護を専門にする弁護士も似たところがあり、緻密な論証が得意で、時間を惜しまない膨大な書面の作成を常としている。しかし、今回小沢氏が申し立てた差止請求等の書面は比較的簡明だったようだ。
分かりやすいが、裁判所を説得する材料が乏しかった、ということだ。
どんな仕事でも一人では大した成果は挙げられない。
仕事が出来る仲間を集めて、いいチームを作り上げることが肝心だ。
指揮官ばかり多くては仕事は仕上がらない。
雑兵ばかりでは、間違った方向に向かっているのが分からない。
どうやら出直した方がよさそうだ、と書いておいた。
今朝の新聞に、小沢弁護団の団長に生粋の弁護士が就任することになった、という記事が載った。
これで、これまでの検察OB主体の刑事弁護が大きく変わることになるだろう。
読者の皆さんには、そういう目でこれからの展開を見届けていただきたい。
早川忠孝