このブログで「この話」をするのは、たぶん2度目である。同じことばかり上げて悪いのだが、きょうはラジオ放送中の日本道路交通情報に寄せて記してみたい。
首都圏や京阪神にお住いのかたは、NHKラジオ第一で何度も耳にする「ここでいったん音楽、ところによって交通情報です…では、ここで交通情報です。日本道路交通情報センターの〇〇さん、お願いします」という流れの口上に一抹の「奇妙さ」❔をお感じなのではないだろうか。
何で毎度毎度、「ところによって交通情報」などと断るのだ。毎回、交通情報に決まってるぢゃないか…と。
ところが、わたしたち中京圏(や関東&関西圏以外の地域)に住む者にとっちゃ、少し状況が違ってる。たとえば中京圏を例にとれば、交通情報は以下の放送テーブルの中央の列のごとく組まれていて、NHKアナの言う「ところによって交通情報」のあとにはそのまま音楽だったり、交通情報が入ったりする。
わたしたち中京人の聴いてる感覚では、それゆえ「ところによって」という表現に違和感がないw ごくごくフツーに、「全国各地で交通情報の伝えられる時間帯がバラバラだから “ところによって”なんだろ」としか思ってないのだ。
しかし、「ところによって」の真実は全然そんなんじゃなくて、あれは、ぶっちゃけ「まる一日、渋滞の絶えない大都会では交通情報です」と断ってるんである。ではあるのだが、渋滞のハゲしい時間帯の限られる(わたしたち=)田舎エリアのリスナーに対して「まる一日、渋滞の絶えない大都会では」とかいちいち説明し続けるのも面倒くさい。ヘタすりゃ「おみゃーら 名古屋は大都会じゃないってターケたこと言っとんのかっ」とキレる郷土愛クレーマーも出てきかねん。なので毎回、「ところによって」という当り障りのない一句でスルーしてるだけ❕ の話なんである。
そこそこ都市化してても職住近接な就業就学環境を保ち、交通ニーズに対する道路供給率の高い中京地区は、われわれニート以外の中流市民が遅めに起床して早めに帰宅できる「快適ライフ可能な土地柄」である。ところが他エリアからの転勤族でもない限り、その「優位性」を実感できている中京人は少ないように思う。それぞれが「個の棲息ゾーン」の中だけしか“世界視”できてなくって、「つか毎日行きも帰りも電車、ギュウ詰めだし」とか、ミクロの生きにくさイベントにばかりに眼が行っている。
ときにはスマホの画面から目をそらして、じっと聞き耳をたててみよう。漏れ聞こえるAMラジオの道路交通情報ひとつの在りようにも、実は「わが街の長閑(のどか)さ」が、せせらぎの音を奏でている。
=了=
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