すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

負けず嫌い

2016-09-23 21:50:03 | うちのキヨちゃん
 うちのキヨちゃんは、別にそれほど見栄っ張りではないし、人と競って高い買い物をするたちでもない。ただ、歳をとると「せらう(焼き餅を焼く)」事があったり、それこそ「負けず嫌い」で、薬の数でも病気でも、
 「自分の方が上(と言うか、病気なら上ではないと思うが)。」
と言いたがる傾向にある。
 キヨちゃんもそう言う点では「負けず嫌い」である。もっとも、例えばデイサービスに行けば絶対女王というか、ボス的な人がいるもので、そう言う人には逆らわないし競わない。
 なので、家で話をしている時など、テレビに出ている苦労話などは、
 「母ちゃんや、もっと苦労した。」
とエピソードを披露してくれる。
 さて、今日は親戚のおじさんが栗の実を届けてくれた。さっそくキヨちゃんはこれを剥いたのだが、栗む気には昔からじいやんが作った小出刃を使っていた。これが去年だったか見つからなかったのだと思う。ナイフでやっていて私が酷く手を切ったので、栗むき専用の「くりくりぼうず」を購入した。
 それが見つかったようで、これで今日は剥いたらしい。それこそじいやんの作った物だから年代物だ。キヨちゃんはそれを自慢したくて、くりりんに、
 「じいやんが作ったんじゃけん。ほれこそ何十年も前からで。うちの宝じゃ。」
と言った。
 こう言う時、くりりんは話を聞いているのだが、リアクションが乏しい。あきらかくりりんを見て話してるな~と思っているが、当のくりりんはそうは思っていない様子。それを「聞いてないな」と感じるキヨちゃん。輪をかけようと、
 「これはなあ、何十年何百年前のものでよ!」
と言い放つ。
 「何百年はないやろう。」
私が突っ込むとくりりんが笑った。
 さらに、テレビで「貧乏」自慢をしていた中で、
 「服をあんまり買ってもらえなかった。」
というエピソードがあり、
 「母ちゃんや、服や全然買うてもろうた事が無い。」
と張り合った。
 大体が、時代が違うのだから、キヨちゃんと一緒にはならないのだが、そんなことはおかまいなしだ。しかし、そう言ったものの、
 「あれ。ほんでも、母ちゃんら服どうしよったんだろう?」
と自分で素朴な疑問を持つ。そして記憶をたどると思い当った事があったようだ。
 実はキヨちゃんのすぐ上の姉は、子供の頃養女に出ている。そこでは「一人っ子」として育てられたので、お姉さんは比較的裕福だったらしい。
 「ほうじゃ。姉さんじゃ。姉さんが服を(お古)みんな送ってくれよったけん、母ちゃんら姉妹何人もおったけど、貧乏な割にいつも身綺麗な格好しとった。」
と思いだしたキヨちゃんは嬉しそうに語った。
 貧乏自慢が、幸せ自慢になったが、それはそれでいいのだ。

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