
秋雨や満員電車どこかに赤子 村越敦
雨が降ると、肌寒さを覚える季節になった。
人々は、いつもより少し厚着をして、朝の通勤電車に乗り込む。
乗車率が二百パーセントを越えて来ると、
普段よりも余計な圧迫を体に受ける。
それでもそんな窮屈さにすっかり慣らされた大人たちは、
気にも留めない様子で全くの無表情のまま、
車窓に張り付く無数の雨粒を眺めている。
どこかで赤子が泣き出した。
線路の上を転がる車輪の低い音しか聞こえていなかった車内に、
甲高い金切り声が鳴り渡る。
その声の方角から、おおよそどの辺りで泣いているかは見当がつく。
ただ首を回そうにも、他人の体で自分の体が固定されているから、
顔を真横に向けるのさえ容易ではない。
仕方がないから、黙ったままで外を見ている。
赤子は泣き止む様子はない。それも無理はないだろう。
まだ骨格さえ丈夫ではない柔らかな体が、
見知らぬ連中の固い体に押されるのである。
そしてそのいずれの顔を見ても、
母親のように優しく微笑みかけてくれる表情はない。
母親はなぜ、朝の通勤時間帯に幼いわが子を抱いて、
果敢にもこのような満員電車に体を押し込んだのであろうか。
そこには、切実な社会状況があるのかもしれない。
この低賃金の時代、
もはや夫の稼ぎだけでは充分に子供を養えないのか、
あるいは夫とはすでに離縁してしまっているのか。
子を産み育てるのは、決して楽しいばかりではない。
一方に、現代ならではの過酷な現実が影を潜めている。
参照
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272