春の雪ふるふる最終授業かな 巻 良夫
コロナウィルスの騒動で3学期の授業はめちゃくちゃだ
卒業式もままならない
みちのくでは雪も降っている
この句はなんともピッタリではないか
ふるふる
に万感がある
(小林たけし)
高校三年の最後の「授業」だろう。三月のはじめには卒業式があるので、最終授業は二月の中旬から下旬のはじめくらいか。最終授業を受ける気持ちは、もとより生徒それぞれに違うのだが、ただ共通の感慨としては、やはり今後はもう二度とみんなでこんなふうにして一緒に勉強をすることはないという惜別のそれだろう。この授業が好きか嫌いかなどは問題外であり、誰もがやがて否応なく訪れてくる別れの時を意識して、平素よりも神妙な顔つきになっている。折りから、外は春の雪だ。「ふるふる」と言うくらいだから、かなり激しくぼたん雪が降っている。そしてこの激しい降りが、教室内のみんなの心情をいっそう高ぶらせる。みんながセンチメンタルな気分に沈んでゆく。それは一種心地よい哀感なのでもあり、また暗黙のうちに連帯感を高める効果も生むのである。かくして後年には甘酸っぱい思い出となるのであろう最後の授業は、表面的には実に淡々と、いつもと同じように終わりに近づいていくのだった。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
【雪の果て】 ゆきのはて
◇「名残の雪」 ◇「雪の名残」 ◇「雪の終」 ◇「雪の別れ」 ◇「忘れ雪」 ◇「終雪」
雪の降りじまいで、おおよそ涅槃会(陰暦2月15日)の前後とされ、涅槃雪とも言う。
例句 作者
再びの名残の雪と思ひけり 高木晴子
雪の果泣くだけ泣きし女帰す 大野林火
終の雪一とひら亀にのりにけり 宇佐美魚目
細筆を買うて戻るや涅槃雪 鷹羽狩行
雪の果はるかに火噴く山を恋ふ 高田蝶衣
着くづれの肩のさみしき雪の果 木村蕪城
雪の果山の日あたる障子かな 増田龍雨
いろいろの神と遊びし雪の果 伊藤通明
若き日を眩しむよはひ名残雪 古賀まり子