竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

荒東風や喉元にある別の声 石原みどり

2020-03-12 | 今日の季語


荒東風や喉元にある別の声 石原みどり


春の強風である、北風ほどではないが厳しい寒さを感じさせる
気分は春なのでなんとも憎い風である
発する声もすぐさまに吹き飛んで会話にならない
ついつい大声になったりで自分の声かと疑うほどだ
はてな、実はこれこそ自分の本当の声だったのかなとも思う
(小林たけし)


季語は「(荒)東風(こち)」で春。冬の季節風である北風や西風が止むと、吹いてくる風だ。春の風ではあるが、まだ暖かい風とは言えず、寒さの抜けきれぬ感じが強い。菅原道真の歌「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな(「春な忘れそ」とも)」は有名だ。その東風の強いものを「荒東風」と呼ぶ。掲句は、そんな強風を「声」の様子で描いたところがユニークだ。あまりに風が強いために、自分の声が自分のそれではないように聞こえている。「喉元」では、たしかに自分の声として発しているのだけれど、出てくる声は似ても似つかない感じなのだ。したがって「喉元に別の声」というわけで、なんだか滑稽でもあり、情けなくもあり……。こういう体験がないので実感できないのは残念だが、要するに声の根っ子が安定していないので、「ふはふは」言ってる感じになるのだろうか。話は少しずれるけれど、声とはまことに微妙な産物で,こうした尋常ならざる条件下ではなくても、常に発声は不安定だと言っても過言ではないだろう。放送スタジオで、長年ヘッドホンをかぶって自分の声を聞いてきた体験からすると、毎日同じ声を出すなんてことはとてもできない相談である。毎日どころか、ちょっとした条件の違いで、そのたびに「喉元に別の声」があるような気にさせられてしまう。ましてや掲句のような大風ともなれば、如何ともし難い理屈だ。それにしても、面白いところに目をつけた句だと感心した。『炎環 新季語選』(2003)所載。(清水哲男)

【東風】 こち
◇「こち風」 ◇「正東風」(まごち) ◇「強東風」(つよごち) ◇「朝東風」(あさごち) ◇「夕東風」(ゆうごち) ◇「雲雀東風」(ひばりごち) ◇「鰆東風」(さわらごち) ◇「梅東風」 ◇「桜東風」
(「ち」は風の意、「こ」は不明) 春になって東または北東から吹く春の柔らかい風。春風の駘蕩たる感じと違って、まだやや寒い風という感じである。

例句 作者

東風さむく海女が去りゆく息の笛 橋本多佳子
東風吹くや皮はぎ皮をはがれけり 鈴木真砂女
夕東風にしたがふごとし発つ汽車も 宮津昭彦
東風吹くや耳あらはるゝうなゐ髪 杉田久女
われもまた人にすなほに東風の風 中村汀女
夕東風のともしゆく燈のひとつづつ 木下夕爾
夕東風に切り口白し竹の束 永井東門居
石一つ置き替へ庭に東風を呼ぶ 桐山秀峰
強東風や家壊さねば家建たず 松尾隆信
夜をこめて東風波ひゞく枕かな 飯田蛇笏