竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

デッサンのはじめの斜線木の芽張る うまきいつこ

2020-03-27 | 今日の季語


デッサンのはじめの斜線木の芽張る うまきいつこ


春の日差しに作者は絵心を刺激されたのだろう
庭先で写生のデッサンを始めたのだ

じっと庭木を凝視してキャンバスに鉛筆を走らす
とどうだろう
木の芽が作者を意識したかのように気張って見せたのだ
(小林たけし)


季語は「木の芽」で春。絵心のある人でないと、なかなかこうは詠めないだろう。スケッチブックに柔らかい鉛筆で、すっと「はじめの斜線」を引く。木の枝だ。すると、それだけで写生の対象となった眼前の木の芽が、きりりと己を張ったように見えてきたというのである。物をよく見るというのはこういうことであって、それと意識して斜線を引いたおかげで、対象物が細部にいたるまで生き生きと見えてきたのである。いささか教訓めくが、俳句など他の表現においても事は同じで、対象物をよく見て書き、書くことでいっそう対象が鮮やかな姿をあらわす。写生が大事。そうよく言われるのは、この意味からである。ところで、専門家であるなしを問わず、絵をどこから描きはじめるかは興味深い問題だ。掲句は斜線からはじめているわけだが、同じ情景を描くにしても、手のつけどころは人様々のようである。中心となる物からはじめたり、逆に周辺から固めていったりと、描き手によってそれぞれに違う。典型的なのは幼児の場合で、人物を描くときに足のほうからはじめていって、頭をちゃんと描くスペースがなくなり、ちょんぎれてしまうケースは多い。でも、そんな絵に彼らが違和感を覚えないようなのは、やはり彼らの目の位置が低いせいだろう。日常的にも、幼児は大人の頭をさして意識していないのではなかろうか。大人は絵の構図を企むので、簡単には分析できそうもないけれど、私のように下手でも描いてみると、「はじめ」が意外に難しいことがわかる。『帆を張れり』(2006)所収。(清水哲男)

【木の芽時】 このめどき
◇「芽立時」(めだちどき)
万樹ことごとく芽を出す春の季節。

例句 作者

木の芽どき横顔かくも照るものか 山崎為人
夜の色に暮れゆく海や木の芽時 原 石鼎
あおい芽を出し骨粗鬚症の荒樫よ 福富健男
あと味のよい一集に木の芽風 丸山佳子
あら草の芽吹くを拔けば他所の墓 中阪賢秀
いくさあるな婆芽木の雨愛でている 宮田喜代女
いそがしや木の芽草の芽天が下 阿波野青畝
いっせいに芽吹き後れをとっており 松岡耕作
いっせいに芽吹くや時間奔流す 柴﨑公子
いつの間に欅の芽吹き淡々と 木曽郁を
いつも手が濡れて女の木の芽時 松根久雄
からまつの芽吹きを映す子鹿の瞳 大槻玲子(暁)
ぐらぐらと鬼の声する桜の芽 五島瑛巳
そのなかに芽を吹く榾(ほだ)のまじりけり 室生犀星
ひた急ぐ犬に合ひけり木の芽道 中村草田男
ゆつくりと山河膨む木の芽雨 石黒茂雄
わが影をはみでし木の芽月夜かな 吉田未灰
オホーツクへ一本柏木の芽張る 四方花紅
トランペットの一音♯(シャープ)して芽吹く 浦川聡子
一山の霊気を囲む木の芽かな 寺島初巳
一村を統べる欅の芽吹きかな 長谷川春
七竈屋久は激しく芽吹きおり 中井不二男
何んにもないってことはない木の芽吹く 萩原みさ子
倒木のなほ光れるは芽ぶくなり 結城昌治
動かねば何も変わらず 木の芽風 金田めぐみ
吹き鳴らす葦笛芽吹くアルカディア 小橋柳絮
哀愁の街に芽を吹く泥柳 有光米子
壊れそうな母の背を拭く木の芽時 須藤英子
大寺を包みてわめく木の芽かな 高浜虚子
天地の始めのときや木の芽風 秋月和雄
嬰児の一人立ちせし木の芽時 大場得太朗
孤剣に似たる筆一本も芽吹く日ぞ 原子公平
対岸の芽吹き初めをりあばれ川 石寒太
山芽吹くけぶりのごとき残生も 野田哲夫
幾千の夜を溶かして芽木匂う 長崎静江
微震あり木の芽に水のゆきわたる 杉浦圭祐
恋心なくはなしてふ芽吹き急 細谷てる子
改憲論見えてかくれて木の芽立つ 髙瀬塔影
日矢一条芽木の彼方を鹿渡る 十河宣洋
昼月の江戸川過ぎるポーの芽と 山中葛子
智恵子の空木瘤の先の芽吹きかな 源田ひろ江
最初は赤あとはそれぞれ木木芽ぶく 神戸恵美
木々の芽に触れて明日を考える 高木きみ子
木々芽吹き将士しづかに還り来る 藤木清子
木々芽吹く言葉自在に光りくる 脇本よし子
木の芽にはちぎれ雲佳し古街道 中村孝史
木の芽出て山刀伐峠ざわざわす 齊藤美規
木の芽山虹のごとくに日当れり 西藤昭
木の芽時人間の口があひてゐる 神生彩史
木の芽時用心深く髭を剃る 辻脇系一
木の芽晴れ軽いリズムの時計である 笹岡素子
木の芽雨平らなものへ女の目 桂信子