快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  毛利攻め援軍を進言したのは秀吉ではなく明智光秀だったのではないか、とする考え方 続編2

2019-01-14 20:11:46 | 明智光秀
 前々回の記事で書いた以外にも明智光秀が畿内を離れて毛利攻め援軍を進言を行い、出雲・石見への国替えを考えていた状況について今回は記事にしてみます。
 当時の高野山との関係は次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B7%9E%E5%BE%81%E4%BC%90#%E4%BF%A1%E9%95%B7%E3%81%AE%E7%B4%80%E5%B7%9E%E6%94%BB%E3%82%81

信長の紀州攻め
(中略)
天正10年(1582年)1月、信長は松山新介を多和(現・橋本市)に派遣する。松山は多和に築城し、2月初頭には盛んに九度山方面へ攻撃を仕掛けた。同月9日、信長は武田攻めに当たって筒井順慶以下大和衆に出陣を促した。同時に、大和衆の一部と河内衆は残留して高野山の抑えとなるよう命じた。14日、高野勢は多和城並びに筒井勢[37]の守る大和口の砦を攻撃。同月末、織田方の岡田重孝らが学文路口の西尾山の砦を攻めたが部将2人を失って撃退される。

3月3日、高野勢50余人が多和城を夜襲して損害を与えた。10日早朝、織田勢は夜襲の報復として寺尾壇の砦を攻撃、城将医王院が討死するも寄手の損害も大きく撃退された。4月初め、織田信孝は四国攻めの大将に任命されたため転任。同月、織田方の竹田藤内らが麻生津口の飯盛山城(現紀の川市)を攻撃した。高野勢は大将南蓮上院弁仙と副将橋口隼人らがこれを防ぎ、竹田ら四将を討ち取り甲首131を挙げる勝利を得た。

引用終了

 これを見ると「4月初め、織田信孝は四国攻めの大将に任命されたため転任。」と有りますが、織田信孝が転任したから高野衆が勢い付いて「竹田ら四将を討ち取り甲首131を挙げる勝利を得た。」のではなく、実は原因と結果が逆で「高野衆の攻勢が強くとても制圧できないので 織田信孝のメンツが丸潰れになる前に転任させた」と言うのが実相なのではないか?と個人的には考えています。
 そうなると仮に高野山を陥落させた場合、かなりの撫で斬り、つまり大量虐殺が信長によって強行されるわけで、流石に明智光秀と言えども先手を打って毛利攻めと言う大義名分で「大量虐殺の実行者」になるのを避けたかったのではないかと思われます。
 これが何を意味するかと言うと、高野衆とそれを支援する雑賀衆の一部グループなどがそれだけ崖っぷちに追い込まれていたと言う事でも有り、「反信長ネットワークを形成して襲撃グループに直接間接で関与してた」と言う可能性がゼロでは無いと考えられるのです。
 そして比叡山焼き討ちで当初は反対していたといわれる説が有る明智光秀ならば、「もう同じ様な事はしたくない」と思っていたと想定するのが普通なのではないでしょうか。
 通説では明智光秀が愛妻家であったとする説が有力なようですが、それが事実ならば出来る事なら「光秀が高野山の僧らを大量虐殺する実行者」となるのを出来る範囲で回避すべくあらゆる対策案を考えてその一部を信長に進言し、それが「明智勢を含む織田本隊による毛利攻め」だったのではないかと(個人的な見方に過ぎないのですが)考えています。
 織田勢本隊参加による毛利攻めで得をするのは秀吉ではなく明智光秀だったのではないでしょうか。

仕組みとアプローチ -   月齢ではどちらかと言えば安全期間と見ている先日からの地震を考える

2019-01-14 17:39:19 | 地震 津波
 先日から今日の現時点迄に発生した有感地震は次の通りです。


履歴一覧

22132件中1~100件を表示しています。

                        Mj 最大震度
2019年1月14日 13時23分ごろ 茨城県南部 4.9 4
2019年1月13日 21時14分ごろ 福島県沖 4.9 2
2019年1月13日 21時04分ごろ 福島県沖 3.6 1
2019年1月13日 19時54分ごろ 福島県沖 4.2 1
2019年1月13日 18時28分ごろ 島根県西部 2.5 1
2019年1月13日 11時46分ごろ 長野県北部 2.0 1
2019年1月13日 10時41分ごろ 静岡県西部 2.9 1
2019年1月13日 9時18分ごろ 岩手県沿岸北部 3.9 2
2019年1月13日 1時27分ごろ 石川県加賀地方 1.8 2
2019年1月13日 1時11分ごろ 茨城県北部 3.1 1
 
 Mj3.9が1件、Mj4.9が2件と言うのをどう見るかですが、月齢では今日が上弦で小潮ですからどちらかと言えばと言う程度ではあるものの安全期間と見ていたにもかかわらず、やや目立つ地震が発生しています。
 プレートのウネリでも来ているのかどうかと言う事もつい考えてしまいますが、果たしてどうなのでしょう。
 今月21日の満月は年間最大満月に準じる大きな満月です。
 当日とその前後期間5日を(どちらかと言えばと言う程度ですが)要注意期間と見ると、今月16日~26日が該当ます。
 現時点とその頃までの地殻やプレートのストレス蓄積がどれだけ限界に近い状況なのか、そして多くの要因の合算がどうなり、いつどのような地震となるのかについては注目しています。