以前の記事で書きましたが、当時の石見銀山は百万石に相当する産出量が有ったとする見方も有り、更に出雲・石見は農林水産物や海上、陸上輸送、相通などの利権も大きく、明智光秀にとっては寧ろ加増の待遇だったと思っています。
毛利氏攻略後の「切り取り次第」では有っても、当時の勢力バランスならば毛利氏の抵抗などあまり無いはずであり、信長が光秀に実質加増の待遇を用意していたのだろうと考えています。
実は明智光秀自身がこの時以前から出雲・石見で力をつけたいと考えていた可能性を示す話が残っています。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80
明智光秀
(中略)
流浪時代に毛利元就に仕官を求めた際に、元就は「才知明敏、勇気あまりあり。しかし相貌、おおかみが眠るに似たり、喜怒の骨たかく起こり、その心神つねに静ならず。(光秀の才気は並々ならぬものがあり非常に魅力的ではあるけれども、彼の中にはもう一つ狼のような一面が眠っている。利益と同じだけの災いをもたらす可能性も大きい。)」と言い断ったという(『太閤記』上和編)
引用終了
結局の所、仕官は断られたようです。
実は常陸や上総では常陸土岐氏や上総土岐氏として当時勢力を拡大しつつ有り、毛利元就はこの状況を知っていて土岐一族を警戒したからこそ光秀の仕官を断った、と言うのが真相ではないかと個人的には考えています。
そして明智光秀は毛利氏の領内にうまみが有ると考えていたからこそ仕官を希望してわざわざ行ったのではないでしょうか。
光秀の放浪時代とはおそらく土岐氏が斉藤道三に追い払われた後の頃だろうと考えられますが、常陸土岐氏や上総土岐氏を頼らずに何故わざわざ毛利氏への仕官を考えたのか? それは上記で述べた通り出雲・石見がそれだけ宝の山だと光秀は当時思っていて、そしてやがてここで土岐一族の再興を果たしたいと考えていたからではないでしょうか。
と言うわけで本能寺の変を明智光秀が起こしたと言うのも疑問ですが、変を起こした理由とされる事が多い「出雲・石見への国替え命令」についても疑問に思っています。
2019.01.10 8:00 追記
一部誤植が有りました。
「海上、陸上輸送、相通などの利権も大きく」は、
「海上、陸上輸送、交通などの利権も大きく」に訂正です。
毛利氏攻略後の「切り取り次第」では有っても、当時の勢力バランスならば毛利氏の抵抗などあまり無いはずであり、信長が光秀に実質加増の待遇を用意していたのだろうと考えています。
実は明智光秀自身がこの時以前から出雲・石見で力をつけたいと考えていた可能性を示す話が残っています。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80
明智光秀
(中略)
流浪時代に毛利元就に仕官を求めた際に、元就は「才知明敏、勇気あまりあり。しかし相貌、おおかみが眠るに似たり、喜怒の骨たかく起こり、その心神つねに静ならず。(光秀の才気は並々ならぬものがあり非常に魅力的ではあるけれども、彼の中にはもう一つ狼のような一面が眠っている。利益と同じだけの災いをもたらす可能性も大きい。)」と言い断ったという(『太閤記』上和編)
引用終了
結局の所、仕官は断られたようです。
実は常陸や上総では常陸土岐氏や上総土岐氏として当時勢力を拡大しつつ有り、毛利元就はこの状況を知っていて土岐一族を警戒したからこそ光秀の仕官を断った、と言うのが真相ではないかと個人的には考えています。
そして明智光秀は毛利氏の領内にうまみが有ると考えていたからこそ仕官を希望してわざわざ行ったのではないでしょうか。
光秀の放浪時代とはおそらく土岐氏が斉藤道三に追い払われた後の頃だろうと考えられますが、常陸土岐氏や上総土岐氏を頼らずに何故わざわざ毛利氏への仕官を考えたのか? それは上記で述べた通り出雲・石見がそれだけ宝の山だと光秀は当時思っていて、そしてやがてここで土岐一族の再興を果たしたいと考えていたからではないでしょうか。
と言うわけで本能寺の変を明智光秀が起こしたと言うのも疑問ですが、変を起こした理由とされる事が多い「出雲・石見への国替え命令」についても疑問に思っています。
2019.01.10 8:00 追記
一部誤植が有りました。
「海上、陸上輸送、相通などの利権も大きく」は、
「海上、陸上輸送、交通などの利権も大きく」に訂正です。