前回記事の続です。
出雲・石見の価値に関しては当時と現代の認識で大きく乖離が有ると思っていますので今回はこれを記事にしてみます。
大きく異なる点は次の通りです。
1.当時の船舶は手漕ぎか帆船であり、太平洋航路が如何に危険かは言うま でも有りません。
現在では動船で何でもない太平洋航路ですが、それでも房総半島沖など の要注意エリアは存在します。
2.気象予測技術が今のように発達していない為、急に西や北よりの風が吹 いた場合、太平洋側航路では陸地が無いエリアが殆んどでそのまま遠くへ 流されてしまい戻る事は困難であった場合が多かった事。
3.ならば西日本なら瀬戸内海航路が有るだろうと考えるかも知れません が、日本海側に人や物資を運ぶのに、一度は瀬戸内海沿岸、大阪湾など で陸揚げが必要であり、その荷卸などが手間であるだけでなく更に陸上 輸送が必要となり、その陸上輸送がまた今と違って当時は大変なはず だった事。
4。当時の石見銀山の銀産出量が100万石相当とする見方が有るのは以前 の記事で既に引用資料と共に書きましたが、これらば飢饉や台風、洪水 などの自然災害の影響は殆んど受けない安定した産出であり、その信頼性 の価値も高かったと思われる事。
石見銀山は御料地だったので産出され銀の売上げのうち有る程度の割合 は朝廷に納めなければいけなかったのですが、この割合を仮に5割と見積 もっても残り50万石は領主の所に入るわけですから相当なものだったは ずである事。
5.宍道湖と言う広大な汽水域で産出される水産物の恩恵、そして水運の価 値も高い事。
6.日本海側なので冬には雪や雨が多く降り、農林業の水源が安定している 事が多い事。
以上の事から今とは違って当時の出雲・石見の価値と言うのはかなり大きかったと考えています。
明智光秀は寧ろこの当時は宝の山であったエリアに国替えされる、しかも毛利氏の抵抗はあまり無いはずと踏んでいたはずだと思います。
出雲・石見の価値に関しては当時と現代の認識で大きく乖離が有ると思っていますので今回はこれを記事にしてみます。
大きく異なる点は次の通りです。
1.当時の船舶は手漕ぎか帆船であり、太平洋航路が如何に危険かは言うま でも有りません。
現在では動船で何でもない太平洋航路ですが、それでも房総半島沖など の要注意エリアは存在します。
2.気象予測技術が今のように発達していない為、急に西や北よりの風が吹 いた場合、太平洋側航路では陸地が無いエリアが殆んどでそのまま遠くへ 流されてしまい戻る事は困難であった場合が多かった事。
3.ならば西日本なら瀬戸内海航路が有るだろうと考えるかも知れません が、日本海側に人や物資を運ぶのに、一度は瀬戸内海沿岸、大阪湾など で陸揚げが必要であり、その荷卸などが手間であるだけでなく更に陸上 輸送が必要となり、その陸上輸送がまた今と違って当時は大変なはず だった事。
4。当時の石見銀山の銀産出量が100万石相当とする見方が有るのは以前 の記事で既に引用資料と共に書きましたが、これらば飢饉や台風、洪水 などの自然災害の影響は殆んど受けない安定した産出であり、その信頼性 の価値も高かったと思われる事。
石見銀山は御料地だったので産出され銀の売上げのうち有る程度の割合 は朝廷に納めなければいけなかったのですが、この割合を仮に5割と見積 もっても残り50万石は領主の所に入るわけですから相当なものだったは ずである事。
5.宍道湖と言う広大な汽水域で産出される水産物の恩恵、そして水運の価 値も高い事。
6.日本海側なので冬には雪や雨が多く降り、農林業の水源が安定している 事が多い事。
以上の事から今とは違って当時の出雲・石見の価値と言うのはかなり大きかったと考えています。
明智光秀は寧ろこの当時は宝の山であったエリアに国替えされる、しかも毛利氏の抵抗はあまり無いはずと踏んでいたはずだと思います。