明智光秀が惨敗した山崎の戦いについては不可解な事が多く、謎めいた点が多々有ります。
この戦いでは高山右近の家臣や親族が明智方の使いに加勢するような調子の良い返事をし、明智方もそれを聞いて信じ込み、そして光秀は高山右近から人質も取らなかった、と言う旨の事がルイス・フロイスの残した書物に書かれています。
この件についての不可解な点は、一つが「何故高山右近が留守にしていたのを疑わなかったのか?秀吉の方に会いに行っているとは考えなかったのか?」と言う事。
もう一つは「高山右近が居留守を使って直接返事をするのを避けているとは疑わなかったのか?」と言う事です。
光秀は何故か簡単に調子の良い返事を信じてしまったように見えます。
策略家といわれたあの明智光秀が何でこんなに簡単に騙されたのか? と考えると次のような分析結果が得られます。
その鍵となる論理とは「明智光秀がイエズス会幹部に事前確認を取らなわけはないはず」と言う事と考えています。
「高山右近がイエズス会の意に反する行動など取るはずは無い」事は以前の記事も書きました。
つまり明智光秀が高山右近が加勢してくれると簡単に思い込んでしまった原因とは、「明智光秀が直接事前にイエズス会幹部からキリシタン勢を明智方に加勢する確認を取っていたから」と考えられるのです。
その証拠に近い事として、京極高次の明智方への加勢が有ります。
当時の京極高次は未だ洗礼を受けてはいませんでしたが、母の京極マリアは1581年に洗礼を受けています。
なので息子の京極高次が母親の宗教を敵視するわけはないはずで、実質キリシタン武将と見て良いと思われます。
そして明智光秀はイエズス会と事前に確認を取り、高山右近と京極高次の加勢を確信していた、なので高山右近から人質を取らなかった、と言う所ではないでしょうか。
この戦いでは高山右近の家臣や親族が明智方の使いに加勢するような調子の良い返事をし、明智方もそれを聞いて信じ込み、そして光秀は高山右近から人質も取らなかった、と言う旨の事がルイス・フロイスの残した書物に書かれています。
この件についての不可解な点は、一つが「何故高山右近が留守にしていたのを疑わなかったのか?秀吉の方に会いに行っているとは考えなかったのか?」と言う事。
もう一つは「高山右近が居留守を使って直接返事をするのを避けているとは疑わなかったのか?」と言う事です。
光秀は何故か簡単に調子の良い返事を信じてしまったように見えます。
策略家といわれたあの明智光秀が何でこんなに簡単に騙されたのか? と考えると次のような分析結果が得られます。
その鍵となる論理とは「明智光秀がイエズス会幹部に事前確認を取らなわけはないはず」と言う事と考えています。
「高山右近がイエズス会の意に反する行動など取るはずは無い」事は以前の記事も書きました。
つまり明智光秀が高山右近が加勢してくれると簡単に思い込んでしまった原因とは、「明智光秀が直接事前にイエズス会幹部からキリシタン勢を明智方に加勢する確認を取っていたから」と考えられるのです。
その証拠に近い事として、京極高次の明智方への加勢が有ります。
当時の京極高次は未だ洗礼を受けてはいませんでしたが、母の京極マリアは1581年に洗礼を受けています。
なので息子の京極高次が母親の宗教を敵視するわけはないはずで、実質キリシタン武将と見て良いと思われます。
そして明智光秀はイエズス会と事前に確認を取り、高山右近と京極高次の加勢を確信していた、なので高山右近から人質を取らなかった、と言う所ではないでしょうか。