快気分析

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仕組みとアプローチ -  酒井忠次と長篠の戦い

2023-06-30 18:36:18 | 家康
 長篠の戦いでは酒井忠次の案で鳶の巣山などの武田軍の砦を奇襲したのが成功して織田・徳川勢が圧勝できたのですが、これって「情報戦で明らかに武田勢が手薄だった」、と言う事でも有ると思うのです。
 酒井忠次を指揮官とする織田・徳川勢の言わば「中入り部隊」が鳶の巣山などの武田軍の砦を奇襲するルートに、「何で武田勢の見張り部隊がいない」とわかっていたのでしょうか。
 仮に武田方の見張りがいて織田・徳川勢の部隊がやって来たとわかったなら、当然、旗などの合図、のろしによる合図、それが無理でも鉄砲の発射による合図などで「武田勢に危機を知らせる通信手段が有ったはず」です。
 ところがそうした記録は残っていません。
 つまり酒井忠次の「中入り部隊」案は既にそのルートには武田勢がいない、いても通報手段を持っていない事を知っていたから実行できた、と言う事ではないでしょうか。
 当時の武田勢は進軍側(つまりアウェイ)、迎え撃つ徳川勢は迎撃側(つまりイン)、と言う事で元々自領地内の森林に見張りを多数配置して武田勢の情報網でどこが弱点かがわかっていたからこその成せるワザだった、と考えていますがどうでしょう。
 ところで長篠の戦いですが、の信長が即日勝利した「桶狭間の戦い」と似ている面が有ると思っています。
 それは「囮と正面攻撃を兼ねた正面部隊」と「敵方には知られずに森林などの見つからないようなルートから奇襲する中入り部隊」をうまく使いこなしている点です。
 いずれにしても「現地の森林でどこに諜報員や守備兵がいるかなどのデータ」が無ければ成功はしないはずです。


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