昨日、祖母のお葬式が終わり、棺の中に花々を埋め尽くし祖母の顔を見た。
わたしの方の祖母が亡くなった。
わたしは、病院から遺体と共に車に乗り、運転手さんに実家の道案内をした。親族が続々と現れて、お通夜の準備にはいり、葬儀の会社の人に導かれて「あ~でもない、こ~でもない」と話し合ってたくさんの決め事をした。我が実家は誰もが葬式の準備の経験がなく、わたしも質問した。「受付でご愁傷様ですと言われたら何と受け答えすればいいのですか?」と。「一礼して、この度は起こし下さってありがとうございます」と言って下さい」と教えて頂き、ついでにお金を受け取るときは「ありがとうございますというのが変に感じるようであれば、お預かり致しますと言うのが無難ですねぇ」とも教えて頂いた。
わたしの役割は、受付と花代を預かり領収書を渡すこと。その他は雑用。
わたしは、通夜の時、普段顔を会わさない親族に会えることにも興奮したし、それぞれの人の祖母の思い出を語る話がしみじみしていて、とても聞いているのが楽しかった。子供のころ不思議に思っていたことが、大人になって聞くとなるほどと思ったりして、それもいい時間だったりするのです。お人よし一家の我が家は、ほのぼのムードで葬式を終え、祖母も嬉しかったのではないかなと今日思っている。
わたしが美術学校(大学)に行きたいと強く主張した時、「サホリ、そんなに行きたいのなら結婚式の費用は出さないかわりに大学に行ったらいい」と進めてくれたおかげで今のわたしがある。
ヒロクニさんと結婚したら「そんな大学に行かしたばっかりに、あんな人と結婚して」とばかり言い、ヒロクニさんを目の敵にして、ヒロクニさんを家に入れないということもあった。ヒロクニさんがもしかしたらガンで死ぬかも・・と泣いていたら、祖母は「お前はそれで幸せやったんか?」と祖母と2人して号泣したこともある。
実家から米を貰っていた時、祖母は母に「サホリのとこはそろそろ米が切れてきてる頃と違うか?」と人の家の米の消費まで気配りする。
わたしの人生で「足を向けて寝れない人」の1人は祖母である。
ヒロクニさんも家で、「あの人は、堅剛な人だったね」「僕にも退院祝いをくれて、嬉しかった」と涙もろいヒロクニさんは涙を流した。
祖母は、90歳でした。