アトリエのヒロクニさん
スクラップブックに紙切れを貼ったり、塗ったり集中している。
赤い絵具は、油。
トイレにも、赤い絵具を塗りつけたキャンバスが乾かしてあり、絵具がつかないように、毎日気を使ってトイレ使用。
こんな人は、空気のような存在になる訳がない。
高野京子さんの個展に行くと、ヒロクニさんの絵のコレクターのT先生が、座って居られた。こんな所で会うなんて!!と驚いた。武内の個展会場で「君は、また具合が悪くなるって。見たらわかる」という謎の言葉を残して会場から去って行った。その上、わざわざ薬も貰った。
しかし、その謎の言葉は、当たり、我慢や忍耐が長期間よるストレスと怒りの感情で、具合が悪くなった。その謎の言葉を言う張本人から、何故判るのか?どうしたらいいのか?分かり易い助言を聞きたくなった。
先生は自ら自身の事を「鞍馬天狗みたいなもん」と言い、「神出鬼没」とわたしは言った。先生は「武内さん(良人のこと)は、まともでないからいいんだ。ムンクよりもいい。いいんだって」と何度も言われた。「芸術家は、気違いみたいなもんだろ。好きにさせとけばいいよ」と軽く言う。わたしも急いで口を開く「だけど、ムンクは精神病院に入っていたでしょ。わたしが、いつも精神科に行くのではなくて、良人にいってもらわんと・・・あべこべだと思うの」と必死で言った。
いろいろ言ったけれど、究極、「気違いみたいなもんやと思ってあきらめ!」と言って、また、去って行った。
ああ、日本人だなと思った。アメリカでは「あきらめない」という事を教えるそうですが、「あきらめる」ということを学ばねばならない。
よく言えば、「あきらめる」という事は、仏教で言う「執着を捨てる」ということなのだろうと、最近、思うところもある。
兎に角、わたしにとっては、武内ヒロクニは、もう煩悩の中心部をなしているのです。
武内ヒロクニと、別れたら煩悩は、すべてなくなるであろうか?
なんとなく、次の煩悩が待っているような気もするので、新しい煩悩より、今の煩悩ほうがいいかもしれない・・・。
慣れ親しんでいる苦悩の方が、楽な気がするのです。
そういえば、仏教は「中庸」が大切ともいいますよね。
わたし自身の中でも、世界は揺れてるのです。
この世は、想念の世界らしいよ。