武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

新・平家物語を読んで。(1)

2012-06-05 13:34:36 | Weblog

ブログもあまり書かず、「新・平家物語」吉川英治文庫を読んでいました。
平家物語って、面白いんですね。こんなに、面白いとは。

吉川英治氏の文章もとてもいい。物語の中で場所を移動する時は、紀行文のように風景描写がくっきりとイメージがする。その土地、その土地の人の気風なども、伝わってきて、まるで旅行に行ったあとの記憶のように書かれている。人物描写には、深い愛情がこめられていて、どの登場人物も生き生きしている。どの登場人物にも、わたしは、愛着を覚えた。

そして、男らしい文章で、優しさのようなものを感じた。

読書に耽ることで、ヒロクニさんと会話を避けていた(会話ではなく、延々と聞いて欲しいというやつ)。ところが、「新・平家物語」は、ほんとに面白くて堪らなかった。する事をしたら、読書。寝るのも惜しいくらいだったのです。

ヒロクニさんと一緒に行ったことの多い土地の名前が出てくる。それも手伝って過去の時間がオーバーラップされて、不思議な読書になってしまった。土地名だけ挙げると、『明石』『淡路島』『由良』『室津』『丸亀』『明泉寺』『鬼界ヶ島』『一乗寺下り松』。
暮らし始めた時は、JR明石駅がもよりの駅ということもあって、淡路島にフェリーで行ったり、そして、由良の漁村を散歩したり。由良では、春だったのか、子猫の大群に出会ってびっくりしたと同時に、漁村って魚があるから、山ほど猫がいるものなのか?と異常な光景と思ったりして・・・。
阪神大震災の前日は、室津行っていた。ヒロクニさんは、室津の入り江がとても好きで、よくその入り江を思い浮かべては、話す。その時は、どこか遠い目をしている。
丸亀(四国)は、猪熊源一郎美術館があって行った。(素晴らしい美術館)
そして、行ってはいないが、ヒロクニさんがほんの一時幼少の頃に過ごした「鬼界ヶ島」。平氏側の人だが謀反を起こして島流しになった「俊寛僧都」の墓へ行って、掃除をしたという思い出を語ってくれる。

ヒロクニさんは、神戸の長田にある「明泉寺」に壁画を描いたことがあり、そこには、平清盛の息子「平知盛」、そして、その息子(清盛の孫)「平知章」の墓がある(16歳で没)。また、明泉寺は、平盛俊(清盛の弟)が、一ノ谷の合戦の時に陣屋を敷いていた所だと言う。

ヒロクニさん過ごした時間が、「新・平家物語」を楽しくさせてくれたと思うと皮肉。喧嘩中の読書が「新・平家物語」だったというのが、因果やねぇと思うのでした。
ヒロクニさん曰く「私は、平家贔屓なんよォ」。
わたし曰く「私は、判官贔屓です」。

「源義経」という人は不思議な魅力を持ちます。静という美しい恋人が、源頼朝の前で、死を覚悟の上で、義経への恋う思いの歌を詠って、頼朝を激怒させる。それ程、静は、義経を愛していた。義経は、兄頼朝によって追い詰められて、最後は、自害を選ぶのですが、平家を倒してからは、身は守るが、ほとんど武力を捨ててしまっているのです。不思議な魂の持ち主だなと思う。

源頼朝に捕られ、頼朝の前で、静御前が詠った歌です。

よしの山
峰のしら雪
踏みわけて
入りにし人の
あとぞ恋しき

しづやしづ
賤のをだまき
くり返し
むかしを今に
なすよしもがな

捨てはてて
身はなきものと
おもひしも
雪の降る日は
寒くこそあれ




コメント (2)
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