武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

飛ぶ少女(作品紹介658)と 牛小屋での生活

2022-02-06 16:29:10 | Weblog

今日の絵は、1960年代の話を書いたので、

それに合わせて古い作品を取り上げました。

50年前、1970年ごろに描かれた絵と思われます。

クレヨンで、“飛ぶ女の子”を描いています。

この形は、古い絵で度々見かけたので、聞いてみたところ、

「女の子がブーンと飛んでいっているようす」だと。

今は、1本足の女の子を象徴して描いていますが、

この1970年代は、この形だったということのよう。

スカートをはいていて、丸みがあるのが特徴のようです。

わたしは、足先の並び方が好きです。

この形が、たくさん並んでいる絵もある。

ヒロク二さんの絵の中では、ほんの一時のことだったらしくて、

多くはありません。

 

さて、以前ふれたことのある、

牛小屋での生活のいきさつの話を。

ヒロク二さんらしい行動の話。

当人は26か、27歳なのかな?と言っています。

話していることをノートにメモをしているものから抜粋します。

(わたしもマメな人です。)

■以下抜粋

京美堂画廊(神戸)という絵具屋の2階で個展していたんだよ。

1点売れて、いくらで売るかということで、

そういう人が来ていた。それが、島太郎だった。

ある日、私が借りている大倉山の家に戻ったら、

石に腰掛けて、書き物をしながら座っている人がいる。

やっぱり、その人が島太郎さんだった。

とにかく、その文化住宅の仕事場を見て、

「こういうところで絵を描いていると死ぬぞ!」

「うちに来ないか?」ということを言うわけ。

(当時の奥様と幼い双子の子供がいる現場を見て、驚いたのだと思います。

 それと、悲惨な感じだったのだろうか?と思うとその奥様と子供達の方に思いがいく。

 ヒロク二さんより、まわりの人の方が気になります。

 この話では、ヒロク二さんの悲惨はどうでもよい。)

そういうから、「どこですか?」と聞くと、

「淡路島の洲本」という。

すぐ荷支度の用意をして、すぐ淡路島の洲本へ行ったのだけど、

洲本のどこかということを聞き忘れていた。

それで、途中いくすべも分らないまま、

近所の農家の牛小屋の2階を借りた。

牛小屋の2階だから、下に牛がいるわけで、

その牛が俺を蹴ったりするので、「なんでぇ、こいつらは!」

と、思ったりしながらねぇ。

島太郎さんは、本土よりやっと帰還したというのを聞いて、

なんとか会えて、アトリエを借りてもらって、そこに移るわけ。

それが、洲本の宇原で、仁壽堂病院の横の農家の離れですよ。

■抜粋終わり

↑淡路島でのヒロク二さん。

20代です。

左から、武内ヒロク二、洋画家の小松益喜氏、医師であり洋画家の島太郎氏。

ヒロク二さん、あまりおしゃれじゃなくて、初々しい。

なんか、ダサくて。

しかし、なんと!アバウトな感覚で場所もはっきりわからないのに、

行ってしまうヒロク二さんに、呆れたと同時に、牛小屋の2階という考えられない場所。

さらに驚いたことは、「どれぐらい牛小屋にいたの?」と聞くと、

「3ヵ月・・・」という答えが。

3ヵ月も居れるものなのかと、驚いた。

だから、根掘り葉掘り聞いてみた。

60年ぐらい前の話なので、

その頃というのは、海外では1962年に米ケネディ大統領が暗殺されたり、

日本では「鉄腕アトム」が始めてアニメ放映されたという。

高度成長と言われる時代だ。

ヒロク二さんが言うには、

「女がいろいろ来て、食事の差し入れや世話を焼いてくれていたよ」と。

「俺、忙しいのに話はしないといけないし、大変でね」

「日本銀行にお勤めの女性がとても感じが良かった」

と、こんな風にいう。

淡路島という田舎では、牛小屋に画家の人が寝泊りしているという噂が広まり、

いろんな人が見に来たのだろうと想像する。

そして、だんだんルンペンのようになっていく、若い画家の男性の姿も。

ヒロク二さんがいうには、当時の画家仲間でも、

オシャレ派とルンペン組に分かれていたそうで、

「俺達ルンペン組は・・・・」という話から、ルンペンなんですね。

フム、フムと聞いていました。

3ヵ月という期間は、清潔に保つのは難しいだろう・・、ましてや牛小屋。

彼女達は、やりがいと好奇心が満たされて楽しかったのだろう。

わたしなんかも、そんなことがあったら、とりあえず見に行くと思う。

もう、高級な動物園に行く気持ち。

わたしだったら、しっかり観察しつつ、変に冷静な世話人になりそう。

そして、あまり好かれないような気がする。

この頃って、高度成長真っ只中、そしてまだ貧乏ぽくもあったろう。

しかし、時代も勢いがあったろうし、人のおせっかいも楽しそうな感じがいい。

体温や汗臭さを話から感じました。

ところで、1962年にわたしは生まれた。

この牛小屋の頃、赤ちゃんだったわたし。

こう思うと複雑なのですが、結婚した年齢は27歳なので、適齢期で普通だと思っています。

ほんとうに普通なんです。

親に挨拶しに行ったのも思い出されます。

今は、夫に小言を言いつつ、ズーと一緒にいて、たまに主人を褒め、

喧嘩もする時はして、時々尊敬、そして運命共同体。

そんな感じの、普通の妻。

特殊なのは、主人の性格と職業なのだと。

いつもそう思っています。

 

 

冬の庭は少し淋しい。

↑すっかり、花がない庭は冬枯れという言葉が浮かぶ。

その中で、唯一咲いてくれているビオラ。

まだまだ、株も大きくないし、あまり動きがない。

今日は、朝は雪がちらちら降っていました。

今は、新しく花を足す気にもなれず、過ごしています。

今年は、春にじゃがいもを植えてみようか?と思案中。

そろそろ、種芋が出回っています。

また、庭に穴を掘ることになるのか?

そんなことを思いながら、冬を過ごしています。

 

ヒロク二さんの若い頃は、

もっと難儀な人だったかもしれません。

そんなことを思いますが、

絵画に一途な行動には、感動もします。

話を聞いて、笑っているけど・・・。

笑って聞いているわたしの姿を見て、

ヒロク二さんは、真顔のまま。

何で笑っているわけ?という顔で私を見ていました。

 

今日も、最後まで、読んで下さった方ありがとうございます。

淡路島には、4年いたということです。

今日取り上げた絵は、淡路島を後にしてからの作品です。

 

 

 

コメント (2)
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