今日の絵は、1960年代の話を書いたので、
それに合わせて古い作品を取り上げました。
50年前、1970年ごろに描かれた絵と思われます。
クレヨンで、“飛ぶ女の子”を描いています。
この形は、古い絵で度々見かけたので、聞いてみたところ、
「女の子がブーンと飛んでいっているようす」だと。
今は、1本足の女の子を象徴して描いていますが、
この1970年代は、この形だったということのよう。
スカートをはいていて、丸みがあるのが特徴のようです。
わたしは、足先の並び方が好きです。
この形が、たくさん並んでいる絵もある。
ヒロク二さんの絵の中では、ほんの一時のことだったらしくて、
多くはありません。
さて、以前ふれたことのある、
牛小屋での生活のいきさつの話を。
ヒロク二さんらしい行動の話。
当人は26か、27歳なのかな?と言っています。
話していることをノートにメモをしているものから抜粋します。
(わたしもマメな人です。)
■以下抜粋
京美堂画廊(神戸)という絵具屋の2階で個展していたんだよ。
1点売れて、いくらで売るかということで、
そういう人が来ていた。それが、島太郎だった。
ある日、私が借りている大倉山の家に戻ったら、
石に腰掛けて、書き物をしながら座っている人がいる。
やっぱり、その人が島太郎さんだった。
とにかく、その文化住宅の仕事場を見て、
「こういうところで絵を描いていると死ぬぞ!」
「うちに来ないか?」ということを言うわけ。
(当時の奥様と幼い双子の子供がいる現場を見て、驚いたのだと思います。
それと、悲惨な感じだったのだろうか?と思うとその奥様と子供達の方に思いがいく。
ヒロク二さんより、まわりの人の方が気になります。
この話では、ヒロク二さんの悲惨はどうでもよい。)
そういうから、「どこですか?」と聞くと、
「淡路島の洲本」という。
すぐ荷支度の用意をして、すぐ淡路島の洲本へ行ったのだけど、
洲本のどこかということを聞き忘れていた。
それで、途中いくすべも分らないまま、
近所の農家の牛小屋の2階を借りた。
牛小屋の2階だから、下に牛がいるわけで、
その牛が俺を蹴ったりするので、「なんでぇ、こいつらは!」
と、思ったりしながらねぇ。
島太郎さんは、本土よりやっと帰還したというのを聞いて、
なんとか会えて、アトリエを借りてもらって、そこに移るわけ。
それが、洲本の宇原で、仁壽堂病院の横の農家の離れですよ。
■抜粋終わり
↑淡路島でのヒロク二さん。
20代です。
左から、武内ヒロク二、洋画家の小松益喜氏、医師であり洋画家の島太郎氏。
ヒロク二さん、あまりおしゃれじゃなくて、初々しい。
なんか、ダサくて。
しかし、なんと!アバウトな感覚で場所もはっきりわからないのに、
行ってしまうヒロク二さんに、呆れたと同時に、牛小屋の2階という考えられない場所。
さらに驚いたことは、「どれぐらい牛小屋にいたの?」と聞くと、
「3ヵ月・・・」という答えが。
3ヵ月も居れるものなのかと、驚いた。
だから、根掘り葉掘り聞いてみた。
60年ぐらい前の話なので、
その頃というのは、海外では1962年に米ケネディ大統領が暗殺されたり、
日本では「鉄腕アトム」が始めてアニメ放映されたという。
高度成長と言われる時代だ。
ヒロク二さんが言うには、
「女がいろいろ来て、食事の差し入れや世話を焼いてくれていたよ」と。
「俺、忙しいのに話はしないといけないし、大変でね」
「日本銀行にお勤めの女性がとても感じが良かった」
と、こんな風にいう。
淡路島という田舎では、牛小屋に画家の人が寝泊りしているという噂が広まり、
いろんな人が見に来たのだろうと想像する。
そして、だんだんルンペンのようになっていく、若い画家の男性の姿も。
ヒロク二さんがいうには、当時の画家仲間でも、
オシャレ派とルンペン組に分かれていたそうで、
「俺達ルンペン組は・・・・」という話から、ルンペンなんですね。
フム、フムと聞いていました。
3ヵ月という期間は、清潔に保つのは難しいだろう・・、ましてや牛小屋。
彼女達は、やりがいと好奇心が満たされて楽しかったのだろう。
わたしなんかも、そんなことがあったら、とりあえず見に行くと思う。
もう、高級な動物園に行く気持ち。
わたしだったら、しっかり観察しつつ、変に冷静な世話人になりそう。
そして、あまり好かれないような気がする。
この頃って、高度成長真っ只中、そしてまだ貧乏ぽくもあったろう。
しかし、時代も勢いがあったろうし、人のおせっかいも楽しそうな感じがいい。
体温や汗臭さを話から感じました。
ところで、1962年にわたしは生まれた。
この牛小屋の頃、赤ちゃんだったわたし。
こう思うと複雑なのですが、結婚した年齢は27歳なので、適齢期で普通だと思っています。
ほんとうに普通なんです。
親に挨拶しに行ったのも思い出されます。
今は、夫に小言を言いつつ、ズーと一緒にいて、たまに主人を褒め、
喧嘩もする時はして、時々尊敬、そして運命共同体。
そんな感じの、普通の妻。
特殊なのは、主人の性格と職業なのだと。
いつもそう思っています。
冬の庭は少し淋しい。
↑すっかり、花がない庭は冬枯れという言葉が浮かぶ。
その中で、唯一咲いてくれているビオラ。
まだまだ、株も大きくないし、あまり動きがない。
今日は、朝は雪がちらちら降っていました。
今は、新しく花を足す気にもなれず、過ごしています。
今年は、春にじゃがいもを植えてみようか?と思案中。
そろそろ、種芋が出回っています。
また、庭に穴を掘ることになるのか?
そんなことを思いながら、冬を過ごしています。
ヒロク二さんの若い頃は、
もっと難儀な人だったかもしれません。
そんなことを思いますが、
絵画に一途な行動には、感動もします。
話を聞いて、笑っているけど・・・。
笑って聞いているわたしの姿を見て、
ヒロク二さんは、真顔のまま。
何で笑っているわけ?という顔で私を見ていました。
今日も、最後まで、読んで下さった方ありがとうございます。
淡路島には、4年いたということです。
今日取り上げた絵は、淡路島を後にしてからの作品です。