武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

地平の果てに(色鉛筆作品紹介675)と シュールな感覚

2022-06-11 15:01:00 | Weblog

不気味な顔だ。

地平に立っている標識のようでもあり、そうであればその意味は?

また、置物と考えると微妙なバランス感覚で立ち、重さは感じられない。

瞳はないのに、睨まれているような気もする。

「お前は、もう終わりだ。」というセリフが似合いそうな女の顔。

シュール感がたっぷりの色鉛筆画。

この紙の皺や白い部分の汚れ具合もわざと表現している。

紙と色鉛筆の蝋で、なめされています。

武内は、「描き始めた時は、空間が狭く感じたけれど、

描き進むにつれて広がりがでたなっと思って、続行してみたら思ったより広がってねぇ。」と、

話していました。

広がりの話、イマイチよくわかりませんでした。

説明まで、シュールなんだ・・・と思うのでした。

 

ヒロク二さんは、リハビリ中。

コロナでこもっていたので、歩き不足で今長距離が歩けなくなっています。

つい最近、病院の帰り道を歩くと言い出し、歩きました。

距離は、電車で二駅ぐらい。

足が靴擦れを起し、もうダメと言いながら休憩したりして家に帰り着く。

靴履いていないのじゃない?というくらい外に出なかった結果だ。

それから、涼しい時間に「散歩に行って来る。」と言い、続けています。

朝、台所で脚をのばして言うには、

「歩いた後と、歩く前では身体が違うのを感じていた。」と。

「一度歩いたら翌日身体が変わり、もう一日歩くと、力がつくのを感じる。」

「ちょっと、安心したねぇ~。」

「続けないかん。」

こう言っている姿は、清々しいものがありました。

ヒロク二さんの好きそうな話題にもっていこうとして、わたしは言った。

「あの哲学者の“メルロポンティ”は、身体論のようなことを言っていたじゃない。

意志も大事だけど、身体が変れば意志も強くなるって。

自然に身体が動くようになることで、目的が達成させられるというやつよ。」

そう言うと、「“メルロポンティ”は、言語学者だったと思うけどな。」

「まあ、哲学者も身体論をあれこれいっているけど。言い尽くされているよ。」

と、返事が返ってきた。

わたしの中で、最近知った“大まか簡単哲学の一部”は、思い違いをしていたのかもしれない。

知ったかぶりが、ばれた。

ともあれ、歩くことで爽やかさが出たので、わたしこそ一安心。

家の中で抽象的なことばかり考え、また妄想に入られると、

独特のオーラーを放っているように、わたしには見えるヒロク二さんだ。

ある種の粘着性のあるエネルギーに感じることもあれば、

カラッとした浮いたようなエネルギーの時もある。

勢いがある時もあれば、身体に溜め込んで外には出さない時もある。

友情というか熱い思いをふりまいているかと思うと、

怒りで何かを吹き飛ばす勢いの時もある。

最悪なのは、不平不満を言っているときは、曇っていて灰色のエネルギーのように感じられる時。

言ってもしょうがない不平不満ばかりで、聞きづらいので「いいかげんにせんかい!」と思った時、

以前は、「それはわたしのせいじゃない。」とか、

「わたしにはどうにもできません。」と言っていましたが、新しいのが加わりました。

「あのね、不平不満が多い人って、皮膚病にかかりやすいそうよ。」という言葉。

「そんな迷信みたいなこと。」と反抗的な態度でした。

「さあ、迷信かもしれないけど、この前、老人性しっしんで病院行った時も、

不平不満たらたらだったのじゃないかな?」と顔を見た。

「別にいいけど、直りかけている腫れ物が、また再発したどうするの?

不平不満で、おできが又大きくなってくるよ。」と言ったら、静かになった。

急に、口を閉じたのです。

思うことがあったのか、不平不満がやんだ。

 

ヒロク二さんって、話はわかりにくいけれど、頭はいいはずなんです。

芸術に関することに対しては、造詣が深い人なのです。

なのに、簡単に子供みたいに素直で、意外と可愛いところがあります。

それとも、不平不満と皮膚病の関係を、身体で理解したのか?

悪知恵の働く妻の勝利の瞬間でした。

大抵は、負けるので「やった!」と思い、この手を使える時は使うつもり。

 

上記の話は、台所でしていました。

台所にあるテーブルには、不思議な光景もあったのを紹介します。

↑蛍光灯に照らされているフィギア。

そのフィギアは、こういう置き方をされ、光に向かって口をあけているように見える。

一週間ぐらい置いてあって、異様な光景。

やっぱり、シュールな感覚とでも言うか・・・。

ご飯を食べる時も、お茶を飲む時も、料理をしていても、この光景が目に入ります。

たぶん、これはピカチュウと思われるけれど、

ヒロク二さんは、なんの色眼鏡なく形として純粋に見ているのだと思う。

気に入って拾った物のコレクションが、時々不思議なシュチュエーションで飾られる。

ヒロク二さんに聞くと、

「捨てようかなと思ったけど、捨てる前にこうやって飾ってやれと思ってさ。」という事でした。

「こうやって飾って」の部分が気になりますが、

感覚で一瞬にして決めているから理由はないのだと思う。

「何で?」と聞きたいことばかりがある我家。

そうやって、妻は、鍛えられているのであった。

 

このフュギアの横にビオラ。

↑赤い花を中心に。

赤、白、黄色という歌にある通りの配色になりました。

月並みな色合わせと思っていましたが、やや重い赤色と黄色がイギリス風かなと。

ゴブレットに入れてみたのが、そう思わせるのかもしれない。

この黄色いビオラは、種も採取したので、来年も咲かせるつもり。

↑雨が降る前にと思い、里芋を植え付けました。

この網は、猫が多い地域なので掘られないようにしています。

野菜はやっぱり畑で植えないと、りっぱに育たない気がしてきています。

それと、ほうれん草って育てるの難しいのだと思い始めています。

何回もトライするのですが、うまくいきません。

ねぎも植え付けをしたいのですが、場所を決められないでいます。

 

今日は、シュールな絵と、シュールな光景とを合わせました。

私達が話をするといえば、台所。

台所が大活躍の我家。

ある日の台所での日常を書きました。

話があっちこっちへと飛ぶブログですが、

最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。