武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

放蕩(作品紹介677)と マンゴームース・ケーキ

2022-06-24 16:51:13 | Weblog

タイトルは裏に書いてあり「放蕩」となっています。

F3のサイズ、22cm×27,4センチ。

アクリル絵具、鉛筆、クレヨンで描かれている。

■「放蕩」の意味は、自分の思うままに振る舞うことであり、やるべきことをやらず

自分のやりたい放題にして、家の財産などを蕩尽すること(使い尽くしていくこと)である。

特に、酒にふけったり、女遊びにふけることを指すことが多い。

放蕩を繰り返す人は「放蕩者」「放蕩息子」「放蕩児」などと呼ばれている。■

とある。

この絵から、“放蕩”をうかがい知ることは難しい。

絵に、2つの顔を見てとることが出来るので、

こいつらが街を飛び回って遊んでいるよう見ると、

「自分の思うままに振舞うこと」ともいえるから、“放蕩”なのかもしれない。

全体的に可愛い感じなので、放蕩というより、好きに遊んでいるように感じます。

 

武内は、「放蕩者」「放蕩息子」とうイメージはありますが、

身を持ち崩す、財産を使い尽くすという要素はありません。

「自分の思うままに行動をする」これにかけて、天才的だったのでは?

親は、教師なのに中学から高校へかけて、あまり行かなかったようですが、

ニートとは違い、放課後になると学校へ行く不思議さ。

友達がいたのだと思います。

親は、早稲田大学か、一ツ橋大学に入れるつもりだったらしいが、

高校の途中からまったく行かなくなって、絵を描きだすと、自然消滅してしまい、

話を聞きながら、こうやって親の夢を壊したのだと思ったものです。

(親の夢を壊すのは、決して、悪いことではない。

 やはり、現実を生きる当人が納得した選択だったらいいと思う。

 それと、そういう道を選んだという当人の自覚も必要。

 非行に走ったり、暴力団に入る等は、阻止するでいい。)

本人から聞いた話だと、

「お袋が、そんな生活を送っていると、今に乞食になるって言ってよぉ。まあ、そうかもしれないな。」

と、横でうそぶいていて、軽いノリで当たり前のように言う。

しかし、頭の中は、「芸術」から離れることがない一本気なとこがあるので、

これが彼を救っているのだと思う。

芸術の為には、牛小屋であろうと、貧乏だろうがなんのその、迷わず行く。

そうやって、今の今まで絵を描いて、85歳になろうとしています。

学校の日常は、芸術や絵画と遠い無駄な時間でしかなかったのでしょうね。

 

「よく好きなことが出来ていいですよね。」と言われるらしい。

だけど、好きなことばかりしていられるか?と言われると違う。

我慢もあります。

人は、あまりそういう事は知らないから、「いいですね。」というみたい。

自由気ままに思われるのですが、経済なんかは不自由な状態なことがとても多い。

自由なのか?ここで、自由に陰りが・・・。

いい所を上げるとすると、「自分の土俵で(武内の場合は、絵の世界)いい思いもし、困難にも会う。」

この土俵にいることが出来ているというのが、ラッキーだと思っています。

サラリーマンの人が、よく武内に「自由でいいですね。」と言われることがありますが、

サラリーマンの方には、サラリーマンの土俵があって、いい部分、悪い部分があると思う。

自由性は、薄いかもしれないが他のところでは優位なことがあると思います。

例えば、武内がサラリーマンだったら、めちゃくちゃなんじゃない?

仕事はしないわ、お金は使いこむわ。

こんな感じになりそう。

そういう意味で、皆、収まる所におさまっていて、やっていると思う。

まあ、芸術家の生活苦から逃れられいている役得はあるのだから、

そのことは、ラッキーだと思ったら幸せ感がアップすると思います。

(いろんなサラリーマンの方がいると思うので、この限りだと思いませんが、

武内に「いいですね。」と言われる方から、そういう感じがしました。)

 

そういうことで、横にいるわたしは、節約の工夫をすることがあります。

工夫を思いついた時は、自画自賛で「わたしって頭いい!」と思ってウキウキしたりする。

豪華でなくても、メインのおかずをしっかり作り、みそ汁にはねぎをたっぷり入れ、

後は適当に箸休めのものを添え、ご飯をしっかり食べるという夕食を心がけています。

「今日も美味しかった。」と2人言い合ったりしていると、

外食の必要性を感じなくなり、ぼぼ家でご飯を食べて満足状態。

それに、その他の不便に思っていることも、帳消しになっているようで、寂しい感じになりにくい。

「寂しい感じになりにくい。」は、ヒロク二さんの弁。

わたしは、充実感を感じる。

そして、余ったものは、昼ご飯のおかずになります。

毎回、昼ご飯を作っていましたが、残り物も捨てるわけにはいかないと思いました。

男性は、残りを翌日に食べるのは、嫌なようですが、

「お腹が減っていたら、何でも食べれるって。」

「飢えてないから、贅沢いうんだって!」

と言われ、渋々食べています。

それも、最近は慣れたのか、自分から食べるようになりました。

パン好きだったのに、

「江戸時代の人の優秀なこと!あの集中力と持久力。米を食べているからよ。」と言われ、昼にお握り。

ある日、「やっぱり、米の方がいいねぇ。腹持ちがいいせいか、ものごとをやり遂げる力がついてきたと感じるよ。」と。

さすが、ノリが軽いというか、絵以外のことはこだわりが少ないのでした。

それと、意外な素直な面に驚く。

しかし、わたしも、何を考えて、主人を洗脳しているのかと思うのですが、

わたし達、2人とも血液検査の結果はとてもいい。

 

もう1つ、印象的な出来事があります。

ホテルのサロンに招待されて、講演を聞いていたのですが、

講演が終わりに近づくと、和菓子と抹茶の用意が始まりました。

講演の、一服のもの。

お茶がテーブルにのせられている様子をチラッと見ると、

猫の子みたいに小さくなって下を向いている武内を見た。

様子が変だ・・・、と思っていると、

下を向いたままで、長くて大きな手が、ニュッと伸びたかと思うと、その和菓子をわしづかみ。

そして、口に入れた。

猫が食べたいものを手に入れる姿そっくりで、異様だったのです。

人、人間がそんなことをするとは!

たぶん、話の内容がたいくつでたいくつで、我慢が出来なかったんだと。

「饅頭でも食ったら、気がまぎれるか。」と思ったのでしょうね。

まわりの人がどう思うか?という意識が薄いから出来るワザ。

こういう人なんですが、わたしを退屈させません。

これは、長所なのです。

 

 

電気代が高くなったのが堪える我家ですが、節約の一貫としてしているケーキ作り。

買うより、量があって安くつくと思い込んでいるもの。

初めて、ババロアケーキに挑戦しました。

↑マンゴームース。

ケーキも同じものは、飽きてきたので、ワンランクアップのケーキを作ろうと思いました。

このムースを流すケーキは、セルクルという型が必要です。

しかし、これから、また作るか作らないか、わからないケーキの為に道具を買うのはちょっと・・。

やはり、工夫を凝らしているようで、そのやり方で。

底が分かれているスポンジケーキの型をひっくり返して作りました。

下になる部分にサランラップを貼り、輪ゴムできつく縛り、ラップをピーンと張ります。

これが、セルクルの代用に。

↑ムースの間に、ビスキュイという薄く焼いたスポンジケーキをはさむので、二枚作りました。

ケーキの底をあてて、型にぴったりと合うスポンジを切り出しています。

まず、底にビスキュイを一枚。その上から、牛乳と黄卵で作ったムースを流す。

冷蔵庫で冷やして、固まったら、その上にもう一枚ビスキュイをのせ、

マンゴーのピューレにゼラチンを溶かし、流す。

マンゴーは缶詰を使いました。

また、固めて最後にマンゴームースを流す。そして冷蔵庫で冷やす。

↑固まったら冷蔵庫から取り出して、輪ゴムを取り、ケーキの型を熱くしたタオルで覆って、

外れやすくして、取り出します。取り出したもの。

↑下からスポンジケーキ、牛乳のムース、スポンジケーキ、マンゴーのピューレ、マンゴーのムース

と、層をなしています。

 

このケーキ、初めての挑戦だったので、時間がかかり、

この後、すぐ夕食の準備。

台所で、6時間立ちずくめでした。

味は、レモン汁を加えた方がさっぱりと夏向きになるかもと想像。

味は、ヒロク二さんは、「ケーキらしいケーキだね。」と言ったきり、無言。

口に合わなかったのかもしれない。

こういう時、気落ちする。

夏らしくて、いいと思ったのですが・・・・。

 

 

放蕩から、芸術家の節約話しになって、マンゴームースで終わりました。

レシピは、小さいセルクル用だったので、適当に基本に掛け算して作ったので割愛しました。

このケーキは、工作しているような気分になります。

缶詰でなく、フレッシュな果物で作った方が美味しいのかも。

だけど、そうなると高くつく。

「人間は、考える葦である。」そう思って、創意工夫で楽しく。

内容は、放蕩についてから、やや折れ曲がりながら、放蕩に戻り、マンゴームースにたどり着きました。

今日もお読み下さりありがとうございます。