我家の庭も花で華やかになってきています。
春のうららかな日に近い作品を選んでみました。
A2サイズの紙に濃い鉛筆と色鉛筆で彩色されています。
武内の言う「一本足の女の子」。
簡単に説明すると、奥様じゃない(所帯臭くない)、
ちょっととっぴな少女というイメージの女性像なんだと思います。
春、花が咲き乱れている中、あやうい少女が楽しげに歩いている。
こんな雰囲気なのだと思う。
よく見ると、この少女の髪が、跳ね上がり渦を巻いている。
それは、風がまいあがり、気流を感じさせ、春一番の風のようでもある。
片目を閉じ、もう一方の目は空虚だ。
目の下の小さい黒い形は、付けホクロのような感じもする。
それが、ある種の妖艶さではなく、キッチュな感じを出し、
おもちゃのような少女像。
この少女は、武内の内なるの少女なのだ。
やっと、春の陽気と戯れる。
庭に行くと黄色いマフをしたクマンバチの羽音がする。
必ず2匹が交差して飛び、近くをよぎる。
この羽音は、春の陽気といつもセットになっていて、
日があったって白茶けた地面を見た後に、羽音をさせる蜂を見上げる。
この瞬間、「春らしい」と思う。
我家の庭は、やっと咲き始めたビオラがこれからが本番という感じで、
昨年植えたチューリップが咲くと庭がピークを迎える。
まだまだ、楽しみな季節です。
連作障害のおそれがあるので、トマトは今年は植えなくて、
違うものを植えるのに何がいいかな?とホームセンターへ行った。
トマトはナス科らしく、じゃが芋もナス科ということで諦めた。
いつもホームセンターでは、必ずペットコーナーも見る。
猫は、いつ見ても飽きず、今のところ“ブリティッシュショートヘア”が気に入っている。
あのグレーと茶色い瞳と、地味目な雰囲気が味わいがある。
普段は、それで帰るのですが、小動物も見ておこうと思って小さい部屋に入った。
そこで、見たのは?
“デグー”という種類のねずみ。
ハムスターとは違って、ねずみらしい風貌。
目がとても可愛く、しっぽも毛が生えていて、先っぽのところがポワッと膨らんでいた。
手で、草を持って食べる姿がとても愛らしい。
続いて見ていくと、“ドブネズミ”と書かれた檻もあった。
こっちは、太いしっぽは、ミミズの太いのが付いているようで目も幾分か鋭い。
“デグー”を見た後では、凶悪な雰囲気に見え、
“ドブネズミ”がペットとして売られていることに驚愕した。
飼う人いるのか?と思っていたが、数日後行った時にいなくなっていました。
ドブネズミは「デグー」よりはるかに大きく、うさぎを小さくしたぐらいの大きさがありました。
その「デグー」を見てから、少し調べて、飼い主になつく様子も可愛いものだと思い、
その話をヒロク二さんにした。
まず、“歌うねずみ”と言われていることや、ペルーに住むこと。
おやつ、餌を隠す様子、手に持って隠す場所を探して決めたら、まず置いて、
その餌を手でカサカサと忙しく動かし、草を被せたりする。
草がなかったら、そのしぐさだけして、丸見えなのにかくしたことになっている可愛さ。
飼い主に駆け寄る姿、ピピピと鳴きながら、足からよじ登って、手のひらへ。
怒る時もあって、かなりビービーいう姿や、脱力して飼い主の膝で脱力し寝ている姿を説明した。
急に、ヒロク二さんは、「それは、いくらぐらいなの?」と。
「えっ、飼いたく思ったの?」
「いや、そういう話って、癒されるじゃない。
変な話だけど、夫婦ってそんなところもあるじゃない。」
わたしは、テグーを可愛がっている自分の姿と、
ヒロク二さんを可愛がっている姿を思い浮かべ、
ペットにはすぐ優しく出来るのに、
ヒロク二さんの場合には無条件ではなく、
判別して優しくするかしないか思ったりしている自分に気が付いた。
しかし、ペットのようにされたいのか?と思うと気色が悪い。
だけど、わたしはヒロク二さんに優しくするのには、
常に心で取引しているようなところがあるのに気が付いた。
「えっ、なんか心狭い。」と思った。
以前、動物病院へ行くと、奥様同士で、
「主人が具合が悪いと言っても、『あなた、寝ときなさい』って、ほったらかしているのに、
猫ちゃん(犬の場合もある)が具合悪いっていったら、ほっとけないものね。」
「そう、そう、そうなのよ。」という会話を聞いて、
わたしも「やっぱり、そうなるか・・・。」と頷いたことがあります。
「デグー」の可愛さに目覚めたわたしは、ヒロク二さんが共感してくれたことは嬉しかった。
ふたりとも、この話の時はほんわりして。
だけど、ピピという猫がいるから無理なのです。
だから、ヒロク二さんに「デグーはねずみだから、ピピにとっては獲物だから無理なの。」
ヒロク二さんは、そのデグーを見たこともないのに、その気になっていたのが不思議。
「そうかぇ。」と言うと残念そうだった。
話題を変え、「この家の周辺には、イタチもいるし、以前アナグマも出て、
庭を掘り起こしていたでしょ。」
「ハツカネズミだっているってよ。近所の方が、『この中で泣き声がする。何かおる。』と、
ジーと穴を見つめながら言っていたし、アライグマも出るって言ってたし。」
ここまで言うと、「そんなにいるの?」と驚いている。
実際いる。アライグマ以外、わたしは目撃している。
イタチは、ねずみの天敵だし、ふくろうはイタチの天敵だし、
猫もねずみの天敵よ。ああ、イタチの天敵には鷹もいる。」
すると、ヒロク二さんは急に「サイモン&ガーファンクルのコンドルっちゅうのは、
どんなものなんだ。」と言い出し、ああそう、日本では鷹も飼われているねぇ。」
「鷹!?あの腕にのる鷹のこと?」
「そう、カナリアが家に飛び込んできたことがあって、それを飼ったことがあってね。
呼んだら、首を傾げてね。その様子がね。だけど、逃げてしまって。
もともと、飛び込んできたカナリアだったから、いなくなって寂しいというのもなんだけど。」
我家が、動物の話で盛り上がるというのはめずらしい。
ヒロク二さんはデグーに癒されたのか?
どんなねずみを想像しているのか興味深い。
今度は、わたしはピピ(猫)が大きい“デグー”のような気がしてきたり。
膝でダラ~ンと寝たり、ピ・ピと鳴きながら朝、顔を叩いたりするし、
部屋をあっちこっちいって、点検している姿や、
チュールを抱きかかえて、口元で手をやっている姿を見ると、
大きい“デグー”のようなものに思えてきた。
猫はねずみの天敵というのは、しょうがない。
ピピに怯えて、早死にする“デグー”の姿が思い浮かぶ。
さっと、あきらめた。
冒頭の“ブリティッシュショートヘア”は、古代ローマ人がイギリスに渡るとき、
船のねずみを退治するためにつれていった猫だ。
こういう関係は、道理というもの。
厳しい。
動物はどうしてかわいく感じるのか?と考えたことがあります。
動物は、身体に毛にが生えていることが、ほっとさせる要因だと思い至ったことも。
毛がない動物は可愛いいか?
ヒロク二さんに聞くと、
「やっぱり、嫌だねぇ~」と。
久しぶりに、話が盛り上がりました。めずらしいことです。
ふたりとも春で、頭が緩んでいるのかもしれない・・・・・。
ヒロク二さんが「癒し」という言葉を使ったのも、新鮮でした。
どちらかというと、「毒を持って毒を制す」の人と思っていたから。
うららかな春の日の一日でした。
庭も春です!
↑庭では、やっとムスカリが咲き始めました。
チューリップの球根とダブルデッカー植え。
いい感じの雑草は、残しつつ手入れを。
↑こちらは、鉢植えのムスカリと自生している花ニラ。
↑これは、水菜の花。
うしろに見える花は、すべて花ニラ。
どんどん増えていっていて、庭の奥は花だらけ。
この満開感が気持ちを上昇させます。
↑写真が暗いのですが、またキャベツに花の目がついてきたので、もぎりました。
ヒヤシンスの花を多めに切って、ビオラと。
小さい種を採取していっているビオラは、花が色々なのでそれを添えて。
↑真上からみるとこんな感じ。
キャベツとヒヤシンスだけでは、華やぎがないので、
カラフルになるように色を選んで。
その時、その時なので、コップの花も一期一会なのかもしれない。
そんなことも思います。
くつろいだ日の会話でした。
その他に、わたしの天敵のことも思い出します。
30代の後半の頃、「天敵」と呼んだ上司がいました。
わたしにチクチクと細かいことで、いつも文句をいいにくる上司。
その上司を「わたしの天敵」と命名しました。
さらに“天敵”と同僚に宣言したとたん、その上司がわたしに嫌味を言いに来ても、
“天敵”なんだから、当たり前になり、
お昼の時間、同じ店で食事をしているのを見つけると、
「天敵がどうしてわたしと一緒の店で食事をするわけ?」と冗談を言ったり、
「天敵は、あそこにいる。」とか、
「来た!天敵が来たわ。」と言っているうちに、
面白おかしくなってきて、気持ちに距離が出来た。
チクチク言われながら、ある日、
「(天敵さん)わたしもだいぶましになったと思いません?」と投げかけたら、
「よくなった。」と同意してくれました。
天敵と呼ぶことで、わたしの心に余裕が出来たのだと思います。
当たり前のことと受け止めているうちに、上司にもゆとりが出来たのか?
それからは、上司と友好的に仕事が出来るようになった。
天敵がいなくなったということです。
不愉快感をもうひとりの自分が見つめることに「天敵」の言葉が役に立ったのだと思います。
自然界の天敵は、掟のようなもの。
人の天敵は、変わるのですね。
ヒロク二さんとわたしの会話も、脈絡なく変わるし、
わたしもその要素があって、また、長々と書いてしまいました。
このところ長文になる癖がついているようで、
読む人は大変かもしれないとよく思います。
読まれた方、ありがとうございます。
季節は新緑へ向かいます。
その勢いを感じながら・・・。
新しい服か靴か鞄を身に着けて、胸をときめかせているのかな?と想像しました。
春の花が咲き始めた庭に羽音を響かせるクマンバチ。春らしい光景ですね。でも、実際にクマンバチを見たら怖くてすぐに逃げてしまいます。
ホームセンターに行くと、私も必ず猫を見に行きます。思うところもあるけれど、あのかわいさには抗えずに、見に行ってしまいます。猫はどうしてこんなにかわいいのでしょうか。
ブリティッシュショートヘアは毛がみっちりでムクムクしている感じで、とても触りたいです。
ドブネズミって……。名前も怖いですが、うさぎを小さくしたくらいの大きさというのも怖いです。ネズミはハムスターの種類はかわいいですが、他は怖いです。
ハムスターを飼っていたことがありますが、慣れてくると呼ぶと寄ってきたり「ごはんちょうだい」という仕草をしたりしてかわいかったです。
猫などの小動物はほぼすべてを自分にゆだねている感じがしてもかわいいけれど、ヒトにそれをやられるとなんとなくムッとします。ペットのような小さくてかわいい生き物には保護本能が働くからなのでしょうか。ヒトには、自分でできることはできるだけ自分でしてほしいです。
猫はネズミを狩ってしまいますね。我が家では、ゴキブリも狩られているようです。毎年夏の初め頃に小さいのを見かけますが、だいたいそれ以降は目にしません。その代わり、その体のパーツをたまに目にすることがあります。何があったかは、深く追求しないようにしています。
春の花を見ていると、気持ちがうきうきしてきます。以前はムスカリを見てもきれいだとは思いませんでしたが、今は純粋にきれいだな、と思います。この感覚の変化はなんでしょう?
キャベツの葉がとても良いアクセントですね。ワイルドで、濃い緑と厚い葉がとても魅力的です。中央あたりに配置されているのも、なるほどなあと思いました。斬新です。
天敵のお話。天敵と呼ぶことで心に余裕ができたこと、人の天敵は変わることを新鮮に感じながら読みました。
私はきっと、「天敵」と言葉に出したら相手に対して心底敵対心を持ってしまいそうです。思った以上に自分には攻撃的な性質がありそうなことを自覚しました。
私もコメントが最近長文になっております。さほりんのブログを読んでいると、色々なことを考えたり感じたりして、ついつい言葉を綴りたくなってしまいます。
いつも最後まで読んでいただき、そしてていねいにお返事をいただき、ありがとうございます!
冒頭の「新しい服や靴、鞄・・・。」書かれていたのが、真新しいモノを持った時の新鮮な気持ちを彷彿とさせ、ハッとしました。そういう感覚を忘れかけているようで、年取ったなぁ~と。(笑)最近、モノを買わなくなったような・・。いいことなのか、悪い事なのか悩みますわ。
春の庭にクマンバチは現れるのです。でも、クマンバチは音が大きいので怖く感じますが、あまり噛まないみたいです。背中についた時に、そっと服を脱いだらそのまま静かについていて、あまり攻撃的ないようです。見かけが怖そうですが・・・・。アシナガバチの方が意外と攻撃的でこちらには、刺されたことがあって、こちらを私は用心しています。
やっぱり猫ちゃん見てしまうのですね。百貨店に行っても、ヒロク二さんをさそっていつも見ます。ヒロク二さんの「こいつ、面白いね。」という姿も普段とかけ離れているので、何かたまらない。確かに、どの猫も可愛い。犬はあまり見なくて、やっぱり猫。(私の場合)
今回、見て可愛いと思ったねずみは、「テグー」でなく、“デ“らしく「デグー」だったみたい。読み間違いしていました。形はねずみだけど、リスやチンチラに近いそう。ドブネズミは、ファンシーラットとして扱っているらしいけど、無理があるような・・・。ハムスターを飼っていらしゃったとのこと、ハムスターも餌を口の袋に溜めたりしてユニークですよね。飼ったことがないのが残念です。今からは、猫がいると無理なので。ヒロク二さんは、「ピーは、さほりにかまってもらっていいね。」と、恥ずかしげもなくぬけぬけと言います。時々、聞こえよがしに「ピーちゃん、私は忙しいんだよ。いいかげんにしなさい。相手をする暇はないの!」と聞こえるように言って牽制を。自分の姿を客観視したことがないのでしょうかね。自分も動物と思っているのか?変な人です。
「デグー」を見に、ヒロク二さん行きました。「こういう可愛さってあるのだね。普通のねずみより清潔そうだ。」と言っていました。カゴというか、檻に入っている自分の姿を想像して欲しい。可愛いとは言えないと思うのだけど。ゴキブリの足、よく見ます。同じく、深く考えないようにしています。
感覚って時々変わりますよね。何か急に良さが分かったり、「ああ、きれいだな。」という瞬間の思いで、それまでの基準が変わってしまうことがあります。けっこう偶発的に起るような気がします。動物も飼っていると急に新しいことを覚えるというか、する瞬間ってあるけど、同じようなことなのかな?と。
「天敵」の話ですけど、天敵が私に文句を言うのは、当然であると受け止めたのが良かったのかも。うどん屋で昼、同じ店になったら、周りの同僚に、「同じもの食べてると思ったら、落ち着かないわ。」とか言って、何のうどん食べてるか見てきてと、見に行ってもらったりしてました。心底、そのことで怒るわけではないのですが、同僚に探偵さすという行動に面白さを感じたり。周りは迷惑だったかも。余計なことをするのが好きという・・・、私も自分の人格疑う時もあるけど、いい方法だったと思って見たり。攻撃的になると言われていますが、そういう人の場合は、「天敵」という言葉では表すのにはふさわしくなくて、「宿敵」なのかも。自然界の掟ではなく、もっと込み入った人間同士のことなのかも。そんなことを思いました。
長文のことは気になさらず。「ブログの文章の書き方」というのを調べたら、必ず長い文章はダメ!と書かれていて、そうなのかな?と思いながら書くようになってしまったので、たいへんな人もいるかもしれないと思って、最後の部分に書き添えることになりました。ともりんの文章は、読みやすいし、やはり書き添えてくれることで、いっそう意味が伝わってきているので、長文たいへん、とはなっていません。気にしないでOKです。
私の返信も、なるべくニュアンスも含めて長くなっていますが、その方がいいと思って。
丁寧なコメント、いつも嬉しく思っています。
以前のコメントからも、動物を慈しむともりんの細かい心遣いを感じています。
今日も、ありがとう!