武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

貴婦人(色鉛筆作品紹介597)と 春の庭

2021-03-31 09:22:19 | Weblog

この絵は、2日前に手渡されたもの。

最新作です。

「これ、見といて。」と言われました。

色鉛筆と鉛筆で描かれています。

最近、鉛筆の8Bという濃い鉛筆をまとめて購入したので、使っているかもしれません。

線が野太くなって、シンプルな絵です。

タイトルは「貴婦人」と名付けてみましたが、隕石が落ちてきたような図にも見えます。

この絵と対になる絵があると説明されましたが、どの絵なのか???

まだまだ、見たことがない作風が出てくるヒロクニさん。

彼の年齢(84歳)を考えると、まだ未知な領域があるのに驚きます。

現在進行形であるところが、とても良い。

 

 

昨日、朝、ヒロクニさんは、「さほりは、昨日とても素晴らしいことを言っていたよ。」

「女房がそんなことを言うなんて、嬉しいよ。」と、言われる。

何を言ったけ????と、まるで覚えていない。

「昨日、なんて言ってたの?覚えてないのだけど。」と答えた。

気持ちを台無しにしたようで、プイと横を向かれ、アトリエに消えていった。

今も思い出せない・・・。

何を言っていたのか気になります。

再度、「私は何を言っていたの?」と、ヒロクニさんに聞いても、無視されます。聞いたら、機嫌が悪くなるよう・・・・。

もう、ガックリきているのでしょう。

「消滅」という言葉がぴったりです。

ヒロクニさんの中で、灯火が「消滅」したのでしょうね。

私の中では、空ですから。

女房が・・・、恋人が・・・、のシチュエーションにすごく敏感な人なのです。こだわりを感じる。

例えば、映画「ゴットファーザー」を映画館で一緒に見たことがあります。

アル・パチーノが扮するマイケルは、マフィアの世界とは別の堅気の人だったのだが、抗争の末、兄が死に、マフィアの世界に入り込むことに。復讐で人を殺害し、その後、アメリカを離れ、イタリアへ。

そのイタリアで見初めた女性と式を挙げ、ささやかな幸せを。そんな中、追手のマイケルの暗殺の魔の手が・・・。車の爆破で、その彼女が、マイケルの目の前で死ぬ・・・。

このシーンで、私の隣でヒロクニさんは号泣して、嗚咽をあげて泣くのです。凄い涙だし、ハンカチを貸し、そのオーバーアクションが凄い。私は、珍しい動物を見るような感じで、驚きで一杯になりました。私は、そこのシーンでは、まったく涙は出る要素がなく、冷血漢の女って感じで横に。

たぶん、「身を隠して生きている寂しい心境と、見初めた女性とのささやかな幸せ」が壊れた瞬間に、悲しみが湧いてくるのだと思います。そして、ヒロクニさんのキーワードは、恋人なんだと思います。感傷を揺さぶられるワードであると確信しています。

この辺が、私には可笑しく感じてしまうのですが・・・。

(冷酷な妻です)

「恋人が死ぬ。」これが、ヒロクニさんの感情を揺さぶります。

 

映画で泣くシーンって、人によって違う。

私は、「わが谷は緑なりき」を見たら泣く。

この映画は、炭鉱の村で暮らすモーガン一家の物語なのですが、炭鉱が花形だった時代から、斜陽になっていく時代を生きる人達の葛藤や家族のあり方が描かれている。一番若い末っ子フューが、学問をあきらめて炭鉱夫として家族を養う決意をする辛い部分もあるのですが、そのフューが理不尽ないじめられ方をするのです。耐え忍ぶシーンがあるのですが、そのシーンになると必ず、泣いてしまう。その辛さを一緒にかみ締め、しかし、心まで折れてはいないその姿にジーンとするのです。

そして、奥歯までかみ締めて、号泣します。

人は、同じ所で泣くようで、ビデオで何回見ても同じところで泣くのですね。

ヒロクニさんが映画ゴットファーザーを見る時は、ハンカチとかティッシュを用意しています。

あれ?何で映画の話になったのだろう?

朝のヒロクニさんとの会話から、

予想外の内容になりました。

私は、いじめが嫌いなようです。

付け足しておくと、本格的ないじめをする人は、いつも同じ人です。

そういう人を知っているから、確信しています。

 

 

今年は、桜も3月から咲き始めました。

我家の庭も本格的に春の様子になりました。

↑ムスカリ。

この球根は増えるようで、近所の方にも分けたので、違う場所でも見れるように。太陽の方へ向いているのか、同じ方向を向いています。

↑チューリップもつぼみが大きくなってきています。

ヒロクニさんは、「チューリップの葉の曲線って、きれいなんだね。」と。

 

↑こちらは庭の花の全体

ニラ花が自生していますが、それも咲き始めているので随分賑やかになってきています。

ニラ花は、またの名を「イフェイオン」と言います。

 

↑この「イフェイオン」は、庭の奥の方まで続いて咲いています。

繁殖力は旺盛のようで、どんどん増えていっているよう。

この季節は、外で椅子に座って、花を眺めています。

ガーデニングを始めて、植物から教えてもらったことがあります。

■待つこと

■虫が怖くなくなったこと

この2点の内、「待つこと」は、重要でした。

最初の頃、種をまいたら、すぐ芽が出ると勘違いしていて、

待つことが出来ない性急な性格だったのに気がつきました。

すぐ結果を求める忙しい性分は、今は減ったのではないかなと・・・。

今は、絹さやの収穫を楽しみにしています。

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (ともりん)
2021-04-04 18:37:01
一人の顔のようにも見えますが、二人のようにも見えます。
一人の人に内包されたもう一人の人格のようにも見えるし、内包されたもっと複雑な人格のようにも見えるし……
ちから強い筆致に強い意思を感じます。シンプルですが、3D的な、3次元の奥行を感じました。いつもながら、サインの位置が絶妙です。

『「灯火」が「消滅」』という表現が繊細で、情景を美しく感じました。
さほりんとヒロクニ先生の心情としては、あまりよろしくないのかもしれませんが、表現が美しくて文字を何度も読みました。
妻でも母でも彼女でも愛人でもない、「恋人」という言葉は自分の感じている関係性としてとてもロマンティックなのかもしれないな、と想像しました。
「わが谷は緑なりき」は観たことがない映画です。観てみたいな、と思ったのですが、心がつらくなりそうな気がして躊躇しています。
理不尽なつらいことは、フィクションであっても触れたくないと思ってしまいます。つらいこと現実で充分と思ってしまうので、フィクションの世界はハッピーエンドや痛快なものが好きです。
でも、フィクションで心を震わせることは、自分の感覚に対する新たな刺激と考えのためには重要だとわかっている、つもりです。
でも、つらいのですよねえ……と、悩みながら、そのような映画を観て、号泣することを繰り返します。
私が絶対に号泣する映画は何だろう?と考えたところ、「忠犬ハチ公」を描いたものと野坂昭如の「火垂るの墓」だなと思いました。
そして、絶対的に号泣するトップは「かわいそうな象」。本で読んで号泣、あまりに悲しくて映像を見ることはできません。
私は、動物と戦争が悲しいツボのようです。ロマンティックではありませんね(笑)
「自転車泥棒」も号泣なのですが、あまりにつらくて、観ることができません。

お庭が満開、春ですね。チューリップは大ぶりの花が一つしか咲かないので以前はあまり興味がありませんでしたが、少し前から自然の造形の見事さを感じるようになりました。
こんなに大きくて見事なカーブが自然のちからだけでできるものだと、感心します。自然のちからだからこそ、なのでしょうね。
ニラ花はこの時期にあちらこちらでにぎやかに咲いてくれて、春の高揚を感じさせてくれます。「イフェイオン」というのですね。知りませんでした。「イフェイオン」というと、ちょっと高級な感じがします。
子どもの頃、植物の種をまいて、毎日「芽が出てるかな?」とどきどきしながら見ていたことを思い出しました。
まいた種の全部が発芽して成長するとは限らないこと、毎日少しずつ成長すること。何気なく思っていましたが、さほりんの「待つこと」の文章を読んで、その意味を改めて考えて「はっ」としました。
いつも色々なことを気づかせていただき、ありがとうございます!
返信する
「わが谷は緑なりき」は、全体的につらい映画かも? (さほりん)
2021-04-05 08:50:07
コメントありがとうございます。
今回の絵は、タイトルに悩みました。いろんな風に見えるので、困った。(笑)髪を高く結い上げたような人にも見えるし、左側は、「人型」のような気もするし・・、という具合。赤色と線が重要な作品と思い取り上げました。

「わが谷は緑なりき」は、全体的に辛いと思います。見ない方がいいかも。
ともりんが、書いているように、最初から辛いだろうと思い敬遠しているものって、確かにありますね。私はこの事に気がつきませんでした。「火垂るの墓」は、感想をよく聞いていて、見ないでおこうと思ったものです。今でも見ていない・・・。悲しいのだろうなぁ~と思い込んでいます。「自転車泥棒」は、ラストが辛いですよね。私は泣かないのですが、頭がクラクラします。
ヒロクニさんもそういう本があって、「母を訪ねて三千里」を読んでいて、いつもすれ違って母に会えないが続くので、「嫌になっちゃてねぇ。」と言って、その本をドブに捨てたらしい。聞いていて、笑ってしまいました。
「かわいそうな像」は、有名なのに見ていない。何故だろう?
ともりんは、動物の気持ちに敏感なので、そこが「地雷」になっているのだな・・・と察します。
やはり、悲しく辛いものばかりは、見れません!!ハッピーなものや、粋なものや、楽しいものも、合わせ持って、明日を生きなくてはねぇ~。現実重視の私はそんなことを思いました。

チューリップは、ヒロクニさんのリクエストの花なのです。ヒヤシンスや水仙より、チューリップがいいと言われて毎年植えています。チューリップは、品種が豊富なので球根選びも楽しいという事もあります。
ニラ花は、花屋さんで売っていることがあって、「イフェイオン」とラベルが付いています。売っているものは、もう少しブルーが濃く、ピンクもありました。それで、知ったのです。
種の蒔いて、発芽がなかなかしないと、「早く芽を出さんか!」「遅いぞ!」と言って、怒りにも似た感情を・・・持ってしまって。ちょっと、自分でもその愚かさに気が付くという・・・。「花咲か爺さん」の欲張りな爺さんみたいな感じでした。(汗)
物事は、時に待たないといけない事があると・・・。大人げない私なのですが、少しだけ大人になったのでは?と思っております。

ともりん、いつもありがとう。
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