武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

淡路島の頃、島太郎氏と

2010-11-16 13:53:19 | Weblog

淡路島で開業している医者の島太郎先生と新構造社の第1回目の淡路島展にて
1番左が武内ヒロクニ、2番目は画家の小松益喜氏、その横が島太郎氏、女性は淡路島でロダンという喫茶店をされていた方。(盾看板の文字はヒロクニさんが書いたもの)

ヒロクニさんが、画家としての一歩を踏み出している頃の写真。
小松益喜氏は、神戸の異人館街や旧居留地を描いた画家として知られている。
島太郎氏は、淡路島の仁寿堂病院の院長で、ヒロクニさんをひょいと食客にした人でもある。
当時、喫茶ロダンは、絵描きや新聞記者等の集まる社交場になっていたとヒロクニさんから聞きました。


昨日、島太郎氏著の古い本が出てきて読み返していたのです。この本は、昭和49年に発刊されている。つまり、36年前に発売されていたというコトです。中身をみて驚き!!健康法として、足の裏を擦れだの、きのこ類、果物、野菜を取れだの、アルコールの進めや、40歳を過ぎたら体操をせよ等、今、現代人が身体に気をつかい始めた必須種目であり、それを36年前から言っていた先駆者的な医者だったということがわかった。高度成長に入った頃出された本のせいか、働きすぎるなと何度も書いてある。疲れたら「バタン、キュー」と字の感じのように休めとあり、ユーモアを感じる文体にほくそ笑む。
凄いのは、病院の落書きだ。特に浴場がいい。ヒロクニさんから「マンボ槽」と「チンボ槽」というのがあってねぇ・・と聞いていたが、その落書きが写真に写っている。その絵は、島太郎氏の描かれたもので、島太郎氏も絵描きだなぁ~とうなずく。走り書きのようだけれどうまい。インテリの絵だと思う。なんとなくその絵にユーモアがあって、恥ずかしいけど笑ってしまう。だけど、どこか真剣なのです。(何が描いてあるのか、わかるでしょ?)

ヒロクニさんと淡路島に散歩に行ったとき、うどん屋で島太郎氏にあったことがある。島先生は丼ものを食べておられて、私達はうどんを食べていたら、「武内君」と呼ぶ声が・・・。わたしは、一緒にいろいろお話を聞いていた。学校時代、南方熊楠が一級先輩にいらして、凄く変わった人だったらしい。なんか近づき難いオーラーがあったと語られた。島先生は、近づき難いとは反対で親しみやすい感じがした。途中から、島先生は猥談に話題を変えた。わたしは、クスクスと笑いながら聞いていた。
ヒロクニさんと帰途する途中で、「猥談をユーモラスにする島先生は、インテリだなぁ」と思いながら歩いていた。
それから、住所交換をしたせいか、島先生はヒロクニさんに「ハガキ」をちょこっと送ってくることがあり、チラッと読むとヒロクニさんにも猥談を書いてあった。やっぱり、インテリのなせる業と思ったのです。



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