武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

高野卯港 追悼展のご案内を頂く

2009-02-16 22:01:43 | Weblog

高野卯港さんの奥様から、案内状を頂ました。
神戸ハンター坂の途中にあるギャラリー島田にて追悼展が開かれます。
2009.2.21(土)~3.4(水)12:00~19:00 最終日は17:00
上の絵は「鞆の浦」という題の絵。2008 油彩M20号
亡くなる寸前に描かれた絵だと思う。


高野卯港さんの2008年での個展で会ったのが最後になった。武内ヒロク二展の時に、奥さまの京子さんが来られた時に「高野さんはお元気ですか?」聞くと、「具合が悪いので代わりに来ています。」という言葉を聞いていたので、ちょっと久しぶりに顔でも見ようかと、ギャラリーで用事をしてから、高野卯港さんの会場へ行った。いいなあと思って印象に残った作品が上の作品。夏だったので、個展の会場をしめてもまだ、空は明るく晴れていた。出た途端、卯港さんは「死神にでも憑かれたか。」と、立ち止まって大声を上げた。ドッキとしたので、「高野さん、そんなこといわんと、だいじょうぶ、だいじょうぶ。そんな不吉なこといわんと。」と言いながら、久しぶりだからという事で、三宮の安酒場でビールを飲んだ。お店を出たところで、高野さんと別れたときの背中姿が今でも目に浮かぶ。その背中はまわりの空気を断ち切っているかのようでいて、卯港さんらしい孤独な匂いがした。


生前の高野卯港さん。
右から、故高野卯港さん、故山本芳樹先生(美術愛好家であり、バイロスについての著書多数)、後ろ姿のヒロク二さん。高野卯港さんの個展会場にて。

高野卯港さんとは、芦屋の画材店でアルバイト(パートではありません!20代の頃の話です)先で知り合った。絵の具も買いに来てらっしゃったけれど、よく絵を額に入れてあげていた。いろんな人が、絵を持って来られるけれど、生意気なわたしは、「適当に上手だけど嫌な描き方して上手いんだよ」という絵には非常に冷たくしていた。時々お世辞でもいうか、と思って「どこで絵を習われているのですか?」と言うと、わたしを睨みつけて「絵を教えています。」と強い口調で言われたりする始末。おお怖い。やはり絵と人柄は一致する。素人だけどとてもいい絵を描く方もいた。高野さんの絵を見たとき、初めて素直に「いい絵ですね。」と言って額を丁寧に入れた。画材屋での先生達とは、くっきりと違いがあった。個展を喫茶店でしているので見に来ませんか?と言われて、行ってそれから友達になった。高野さんは、トボケタ人で、言ったことが通じてるのかどうかが分かりにくくて、つい人を怒らす人でありました。
口ばっかり達者なわたしより、たくさん、たくさん絵を描かれて亡くなりました。死ぬ直前まで描き続けた高野卯港さん。
天国にいらっしゃいますか?
天国はいいところですよね。
でも、もっと生きていて欲しかった。

ヒロク二さんは、高野の仇をとってやると言ってます。(わたしには、意味不明)


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