ほんわかとした作品
日輪のよう。
この作品2点は、すごく小さい作品です。
ところが、頻繁にアトリエの棚や、机の上で見かける紙切れで、
もう何か前からあるようなのだけど、また見つけてしまい
なにか気になる紙切れのようなので、紹介します。
ほんわかとしてちょっと気持ちが暖かになる絵です。
寒い日が続いたので、さすがの私も寒い!と思い、そんな時にこの絵を見て、
気持ちが緩んだのでした。
寒さが緩んだ時、庭の花の点検に外へ出て、
梅の木にヒロクニさんが、枯れ枝をばっさりとかぶせていたので、
それを取り除けると梅のつぼみを見つけました。
そんな気持ちを表したかのような絵が、一番上の絵なのです。
私的には・・・・。
そして、冬の陽だまりを感じる絵が下の絵。
相変わらず、冬が嫌いで機嫌の悪いヒロクニさん。
寒いのが嫌いで嫌いでたまらない様子。
毒をもって毒を制すではありませんが、松尾芭蕉の冬の句に
冬の寒さを詠った句がたくさん出てきます。
江戸時代の寒さは、今のように暖房器具もないことから、
寒さがひしひし伝わる句が多くあり、
「松尾芭蕉も寒がりだったみたいだよ」。とヒロクニさんに言い、
「寒さを詠った句がいりいろあるよ」。といい、
寒さを詠った句をヒロクニさんに朗読してあげた。
そうしたら、共鳴して、「誰でもそうだよなぁ~」。という気分になっている。
どんな句をヒロクニさんに紹介したかというと、
『冬の日や 馬上に凍る 影法師』
●解説
冬の鈍い日差しが渥美椀(あつみわん)一帯に照りそそいでいるが、天津畷(あまつなわて)には、
身を切るような風が吹き上げてくる。その吹き曝しの一本道を馬で行くと、この身は馬上にすくんだ
まま、影法師のように凍てついてしまった。
ヒロクニさんには、「芭蕉さんが冬のすごく寒い土地を馬に乗って旅をしている時、ついつい馬に
くっついてしまって、その姿が影法師となっているのを見たと詠っているの」。と説明。
すると、「歩いてばかりではなく、馬にも乗っていたのか?」と言われ、「そうです。そして馬に
乗っている方が寒いのですよ」。と言う。
(本当は、そういう自分の姿を凝視した俳句だと理解して欲しかったけれど、それ以上は言わなかった。
なんか、説教くさくなりそうで・・・)
『ごを焼いて 手拭あぶる 寒さ哉』(ごをたいて てぬぐいあぶる さむさかな)
●解説
旅宿の寒さに苦しみながら、土地に習いの古松葉を焚いて濡れ手拭などをあぶっていると、
冬の旅情がひとしお身に沁みる。古松葉はパッと燃えてたちまち火勢の衰えるもの。
先を急ぐ朝の気配が感じられる。三河路の旅の旅情を詠ったもの。
ヒロクニさんには、焚き火で濡れた手拭をあぶっている様子が寒そうでしょう。この古松葉と
いうのは、パッと燃えるけれど、焚き火のように安定して燃えなくってね、パッと燃えて、
すぐ消えてしまうものらしいのよ。そんな火で、濡れ手拭をあぶっている情景なの」。と言う。
ヒロクニさんは、「寒そうだねぇ~」と言う。
『瓶破るゝ よるの氷の 寝覚哉』(かめわるる よるのこおりの ねざめかな)
●解説
夜更けにふと目覚めたまま、寒気に眠りを妨げてられていると、買置きの水を入れた草庵の
水瓶が、氷のために割れる音が響いてきた。
これは、説明するまでもなく情景が浮かんでくるので、あまり説明はしなかった。
松尾芭蕉も質素な草庵で暮らしていた事が度々解説に出てくるので、その情景を想像しながら
読んでいくと、もしかして?松尾芭蕉も禅宗の教えから派生した「侘び、寂び」の感覚があるのかも
しれないと読んでいくうちに気がつきました。
今日紹介したのは、ヒロクニさんの為の「寒さ」の句ばかりですが、他の句では、
時に無常感が感じられる句もあります。
また、荘子の哲学を実践しようとした形跡もあり、非常に哲学的な俳句で、男の精神の領域の
ダイナミズムを感じさせてくれます。また、その名句を紹介したいと思っています。
松尾芭蕉は、素晴らしいなぁ~と痛感しました。
着物を着ながら古典を読む。
実践中!
抹茶色の洗える着物を着ています。
帯は家ですので、いつも半幅帯。
写りのいいのを選んでいますので、実物を見たらがっかりするかも・・。
ヒロクニさんに撮ってもらいました。
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