武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

いたずらもの(作品紹介786)と 「もしも・・・、・・・したらどうなる?」

2024-09-14 17:47:37 | Weblog

子供が描いた落書きのようだ。

そして、楽しげである。

これが絵を見た時の印象。

モチーフには顔があり、その顔はみな、何をいたずらしようかと笑っているように見える。

わたしには、「イッヒィヒヒヒ・・・。」と声が聞こえるのだ。

この絵は、「関西粋人・170武内ヒロクニ」と書かれているので、

これは、サンデー毎日でのカットの絵になります。

十年以上前の仕事です。

小さなカットだったので、その仕事に慣れた頃になると、

時々ハチャメチャな絵を描いていました。

それがこの1枚になると、思います。

時々、羽目を外す。

「やりすぎじゃない?」と思う時は、わたしは無口になり、不穏な目つきで武内を見たものです。

しかし、時間が経ってから久しぶりに見て、

カット云々から解放されて見てみると、

この絵のモチーフ(変キャラみたいなの)は、宇宙のような空間に漂い、

フワフワと浮いているような感覚は楽しく、変な可愛さがあって可笑しい。

ラフな線が自由に伸びているのも、堅苦しい気持ちをほぐしてくれる。

カットは白黒だったが、

色も認識され、それがアクセントになりお洒落な感じだ。

わたしのことだから、

「白黒のカットの仕事なのに、どうして色を使っているのだろうか・・。

 ピンクとか緑の中間色は、印刷でどうなるんだろう・・。」と、生真面目に見ていたに違いない。

こういう時は、最終的に「し~らない。」「どうとでもなれ。」「編集者が何とかいうだろう。」と、

共犯者ではない!という立場に自分を移動させる。

そして、野放しにする決意を固めるのです。

私自身は、仕事などの時は、

「相手の意向と自身の意向とをどう摺り会すか?という視点に立つ」ので、

武内のように、全面的に自分の意向で「いっちゃへ!!」的なことをされると、

非常にハラハラし、心臓に悪い。

今、絵を見直して、わたしは堅苦しい性格だな、と思う。

しかし、絵を見て、このカットは、文章に全く沿ってなかったのだろうと思う。

わざわざ、文字を書き込んでいるところから伺えるのだ。

「これは、関西粋人のカットデス。」と主張を添えるところがねぇ・・・。

しかし、現在は、カットの意向から離れているので、

絵として見て下さると嬉しいです。

絵は、黒のマジックと鉛筆を使用。

下書きなしで描かれた絵になります。

可愛い、もしくはキュートな感じが全開しているように、思います。

 

 

 

朝には、やっと涼しさが感じるようになりましたが、まだまだ暑い。

夏の前半は、それでもあちらこちらと歩きましたが、

夏の後半に入り(残暑の頃、今現在)、外出は最低限にしました。

そのせいか、気分が悪くなったりせず、無事過ごしています。

家の中で、主にすることを3っ決め、その3っを適当に交互に回し、シンプルに過ごしています。

絵についての上記の文章で、自身の事を

「生真面目」「堅苦しい性格」と書きましたが、さらにそれを感じさせる読書をしていました。

こんなストーリーと異様な展開、初めてだという児童文学。

「イギリス人って、やっぱり凄いな。」と、思いました。

ユーモア、特異な発想、ブラックジョーク、可笑しみのセンス、辛辣さが、満載。

その本は、こちら。↓

七人の魔法使い [書籍]

こういう本を、図書館で、たまたま手に取る。

わたしは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、何冊か読みましたが、これが一番面白い。

始めに「作者の覚書」があり、

「この本は、以下の十の命題を証明するものである。」と冒頭に書かれている。

1 ゴロツキとは、背景にとけこむ代わりに前景にでしゃばり、そこに居すわる存在である。

2 ブタには羽があるので、つかまえるのはたいへんだ。

3 権力は人をだめにする。しかし、電力は、ないとこまる。

4 どんなものでもつらぬく矛が、どんなものでも防ぐ盾にぶつかると、家庭不和がおこる。

5 音楽は、つねに悩める心を静めてくれる、とはかぎらない。

6 英国人の家は、彼の城である。

7 人類の女は、男よりも恐ろしい。

8 黒あざに報いるには、黒あざをもってせよ。

9 宇宙は最後の辺境である。下水道もまたしかり。

10 言葉の力をみがいておいて損はない。

この10の覚書を読んで、「この作者には偽善は通用しない」と思ったわけだ。

始まりの1行から、この“ゴロツキ”なる人物が登場し、ある家庭に非常にじゃまな存在として登場する。

もう、それからは、強烈な性格の家族とゴロツキの付き合いが始まり、

謎が謎を呼び、スピードを持って、どんちゃん騒ぎの喧騒でもって、ストーリーが展開する。

疾風のよう。

まだ、読んでいる途中なのですが、

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの本では、これが1番好きかもしれないと、また思う。

他の本では、良さがはっきりわかりませんでした。

常識を打ち破る破壊力により、

「わたしは・・・、本当に融通の利かない頭なんだ・・・。」と、自分の頭の固さのことを思い知った。

ヒロクニさんの絵を見て、「ガーン!」となるのと似ています。

この本の作者は、幼少の頃、両親が貧窮院のようなものを運営するようになり、

その中で育つのですが、そこに集まった人達は、変人ばかりだったそうで、

自身では異常なことが普通だったと語ります。

そして、その貧窮院の傍らに住み、三姉妹は不幸な状況だったらしい。

しかし、そういう変人を話のタネにして、姉妹で笑い飛ばすことを覚え、状況を突破したと彼女は語る。

そして、「不幸と馬鹿騒ぎが極めて密接に結びついている」と気づいたと。

この本では、その気づきが生かされているらしく、

シェークスピアの喜劇の如く、笑って読んでいました。

滑稽味もあって、これぞイギリス人の感覚という感じ。

わたしも本の感想で“疾風”という言葉を使うとは思いませんでした。

また、彼女は、「もしも・・・・・、・・・・・したらどうなる?」といつも考えているらしく、

これが、平凡な状況においての想像力であり、

「想像力は精神の成長にほかならない」とも言う。

そこで私もやってみた。

「もしも、わたしが蒸発したらどうなる?」

「もしも、わたしが猫語を話せるようになったらどうなる?」

「もしも、わたしが億万長者になったらどうする?」

もう、思いつかない・・・。

低俗で幼いことしか、思い浮かばないのが悲しい。

最初の思いつきは、時々現実に思い浮かべたことがある内容だ。

ただの現実逃避でお恥ずかしいかぎり。

彼女は、「もしも・・・、・・・・したらどうなる。」で、一杯になるらしく、

そこがアイデアや創作に繋がっていると言う。

そこが、作家なのだろう。

アニメにもなるらしいが、本には本の面白さがあり、

決して子供だけのものにならない面白さもあるので、

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの中で、文字で読んで欲しいお勧めの一冊。

読書中ですが、終盤に近づいているにもかかわらず、どんな結末になるのか想像出来ません。

実は、こうやって、わたしは人の才能に気づく時、とても楽しいのです。

「ここが、才であり、この人の能力であり、素晴らしさなんだ。」と思うと、気持ちが湧きたつのです。

そして、頭がエキサイトする。

と、同時に冴えた感じもある。

こういうのを感動というのか?

これには、相性があるようで、好みとかがあり、偏っているみたいなのですが、

こういうことがあるのは、とても嬉しい瞬間なのです。

こういうことは、それぞれの人がそれぞれの分野で、体験していることだと思います。

どうでしょうか?

 

 

夕方、ホームセンターに行くのを兼ねて、海を見てきました。

↑船が動くのを見ていました。

白い船は、旋回し始めていました。

後ろからは、赤い船が向かって来ています。

肉眼で見ていると、とても近づいてきているように見えたのですが、

写真を見ると小さく映るのです。

目と写真では、見え方が随分違うのです。

やっぱり、目で見る方が躍動感がある。

そして、海を見ると、独特の気持ちになる。

これ、不思議ですね。

 

 

今日は、たまたまダイアナ・ウィン・ジョーンズのアイデアの持つ素晴らしさについて、

驚いたことを書きました。

彼女は、考えられない変わった人達が集まり、それが普通の世界に幼少の頃いたのだと思います。

普通、普通でないが逆転している世界・・・。

異常が普通という世界・・・。

そういう奇妙な感覚が、読みながらします。

それと、わたしの固い頭というか、生真面目もほどほどにということも。

肩が凝るのは、当たり前か?と思わずにはいられません。

今日も、子どものようなことを思う、わたくしの文章をお読み下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


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