2020年作の「少女」という作品。
メモに近いかもしれない。
鉛筆の10Bという濃い鉛筆と、2Hぐらいの薄い鉛筆を使っています。
なにやら、日記めいた文字も浮かびあがっていて、意味深な雰囲気がします。
2Hの鉛筆で埋められた鉛筆のタッチが、混沌としていて、これがいいのです。
このタッチは独特で、線がバラバラとしていて、乾いた感じがいいのです。
色鉛筆は、赤、黄緑、藤紫を使っていて、青はクレヨンを使っています。
私は、「少女」というより、男性のシャンソン歌手を思い浮かべていました。
寒い冬に、ヒロクニさんからシャンソンを紹介され、聴いた思い出があります。
今日は、そんな思い出を話します。
冬になると、「シャンソンを聴こう。」と言って、次々と紹介してくれた。
明石に住んでいた頃の話です。
ジュリエット・グレコ
バルバラ
イブ・モンタン
ダミア(暗い日曜日)
シャルル・アズナヴール
エディット・ピアフ
この中で、私が気に入ったのは、バルバラでした。
印象に残ったのが「暗い日曜日」という曲。
この曲が流行した頃、自殺者が増えた話をヒロクニさんから聞き、驚きました。
なんでも、セーヌ川に飛び込む人が後を立たなくなったりして、自殺を誘発する曲だったそうです。
そうなの?と思いながら聴いていましたが、私は、そんな気持ちにならなかった。
とにかく、シャンソンというものを聴いたことがなかったので、新鮮だった。
冬に聴くシャンソンは、木枯らしが舞って、寒さが強調されるような雰囲気。
誰の歌かは思いだせないが、野太い男性の声で絶唱されるところを聴いていると、
凍てつくような感じになって、「冬って、寒いよねー。震えなくっちゃ!」という感じでした。
でも、黒いタートルネックのセーターは、穴が開いていてもおしゃれな感じがしてくるという
不思議なムードがしてくるのです。
木枯らしでなく、冬の嵐が到来したような気分になった。
寒い冬に聴くと、寒さが強調されて、震える身体を部屋の隅に押し付けるとムードが出ます。
時間が経って、ヒロクニさんにシャンソン歌手の恋人がいたことが判明した。
「y子は、シャンソン歌手だったから。その時に、いろいろ教えてもらってねぇ~。」と。
そうか!この方と恋している時にシャンソンに詳しくなったのか!と。
「店で歌うから、来てとか言われて。」と言っていたのも思い出した。
ヒロクニさんの話の断片を、頭でつなげて、つなげていく習慣が付いているので、分かったのでした。
この方は、大阪心斎橋のモンスーン・ティールームという喫茶店で個展をした時に、来られていました。
ヒロクニさんは「おお、y子じゃないか!」
「どうして、ここで個展しているのが分かったの?」なんて言って、自然である。
2人で楽しそうに話していたが、私は嫉妬なんかしない。
そのy子さんは、いろいろ話を終えた後、「やっぱり、男ってこうなのね。」と、憤慨していた。
「あなたは、変わらないわね。」と、あきれた感じで言った。
それを聞いている私は、言っている意味のすべてが理解できたのです。
これって、ヒロクニさんのことを私も熟知していると云う同義語のようなもので、
この言葉にすべてが集約されている。
私は、そのy子さんに「この人は、お金だけが・・なんです。」と言った。
すると、その方は、ヒロクニさんに「いい人見つけたわね!」と言い、
帰りがけに、「男は、これだからねぇ~。」と言って帰っていった。
ポカンとしつつ、見送ったのでした。
ヒロクニさんから、かつての恋人の話はよくされる。
ちょっと前は、サナトリウムにいた恋人を見舞いにいった話をした。
堀辰雄の小説ばりで、とって付けたような話。
サナトリウムというのが出来すぎていて、いまいちでもある。
(その話は、いまいちじゃー!やり直し!と、心の中で思う)
3日しか持たなかった、ロシア人のハーフとの生活の話も聞いた。
その方は、色鉛筆で不思議な絵を描くので、
アンドレ・ブルトンの著作に出てくる「ナジャ」のようだったと語る。
あと、向こうの両親に反対された恋人の話とか、
若い頃の話がほとんどなんですが、よく語る。
しかし、ここまで恋の量が多い人ってあまりいない。
めずらしい動物を見るような気持ちになる時もある。
私は、「出会いもあるだろうけど、それだけ恋するということは、別れもあると思うのだけど、
別れるときのつらさとかは苦にならないの?」と聞いた。
ヒロクニさんは、?????と無言である。
「私は、そこのところが知りたいのだけど・・・・」と。
思い出せないようです。
芸術家らしく、惚れやすい性格な人なんだろうね。
恋独特のフワフワした心を思い出している様子から思うのですが、
私は、恋人ではなく、最所から女房役として求められていたのだなぁ~と痛感します。
会った時から、喧嘩をしていました。
ヒロクニさんは、会った当初「絵は売りたくないんだ。」と言っていた。
私は、「画家が、絵を売らないのはおかしいのと違うの?」と、もう、言い合いをしていたのです。
そのことで、限りなく揉めていた。
(まだ、専属のギャラリーも決まってないのに・・・)
また、そんな年齢が離れた人と結婚するとは考え難かった。
だから、私が「電話は、もうかけてこないで!」と言い渡した時も、
しばらくかかってこなくて、やれやれと思っていたら、
「電話をかけるな!と言われていたけど、電話ってかけれるものなので。」と言って、
当たり前のように電話をかけてくる。
「電話って、かけれるものなので・・・。」の言葉を聞いた時、
確かにすぐかけれる、うん、うん、という感じで、へなへなと力が抜けたけど、
なんかとても可笑しみが湧いてきてしまって、笑顔になってしまったのです。
このへんの感覚が、私の頭がおかしいところでしょうか?
なんかちょっと可愛いと思ってしまった。
そのあたりから、ロマンティストヒロクニの本領発揮で、押しの一手。
ストーカーのようで、ストーカーではない、紙一重の違いを使いわけてくるのは、天才か?と思いました。
会った時から喧嘩している2人でなんですが、
私が“喧嘩の心得”としていることが1つだけあります。
「すぐ、実家に帰るとか、家を出ないこと」。
言いたい放題なんですが、相手が自分の思うとおりにならないからといって、
家を空けるのはご法度なんです。
そうしてると、時々、私の思い通りになることもある。
(私も我が強いなぁ~。なかなか私も強情だ。)
この粘り越し姿勢は、なかなか我ながらうまくやっていると自画自賛しています。
やはり恋人ではなく女房なのです。
とにかく、普段から、言い合いをしていたり、そうそうと話が弾んだり、いつも起伏が激しい2人。
そんな感じで始まったので、最初から、女房だったと思います。
そんなこんなで、明石の台所に居座るようになった私です。
暮らしたての頃、ヒロクニさんは、
「さほりって、若いのに(当時27歳)男に疲れたという顔をしていていいね。」と、褒めるのです。
すっごく、いい感じ!という風に。
私は真顔で、ムッとした。
「疲れさせてるのは誰?その原因はあなたじゃない・・・・・。」と、
心の中で思い、顔をしかめた記憶があります。
今でも、ぬけぬけと「一緒になっておいて良かったね。」って、ヒロクニさんはよく言います。
言葉はもういいから、もう少し私の言うことを素直に聞いて欲しい。
それが、私の痛切な願いなんです。
「騙されたと思って、言う事をきいてみて!」と虚しく、声かけしています。
こちらが、ヒロクニさん紹介のバルバラのアルバム。
「小さなカンタータ Une petite cantata」がとても好きになり、
少し憂鬱な感じがある「ナントに雨が降る Nantes」という曲も印象に残っている。
Nantesというのは、フランスの地名というのを跡で知りました。
このアルバムは、全体的に気に入っています。
もう少し時間が経ってから、ヒロクニさんとエディット・ピアフの映画を見た。
ヒロクニさんは、映画を見ながら「ピアフに失礼だ!」と憤慨する。
「ピアフは、国葬だった意味がわからんのか!」と、怒るヒロクニさんと一緒に見ていました。
その映画では、確かにちょっとピアフの晩年を醜く演技しすぎでは?という感じもした。
映画は、女優の方が歌っていたので、実際のドキュメンタリーを見た。
声がとてもいい。
エディット・ピアフは、「水に流して Non, je ne regrette rien」という曲がとても好き。
ピアフは、いつも手放さない十字架のネックレスがあって、身に着けている。
そんなエピソードも好きです。
寒くなりました。
寒さを味わえる私の好きなシャンソン。
↓こちら。バルバラの小さなカンタータです。
良かったら聴いて見て下さい。
我家の庭も冬に入り、花の少ない時期を迎えます。
↑庭全体はこんな感じに。
たくさん生育させたビオラの苗を地面に定植しています。
穴を掘ってから、再生させた土を使い、ゆっくり効く肥料を入れて植え付けました。
ジャーマンアイリスの葉が春になると、もっと茂ってくるでしょう。
↑こちらは、鉢で育てているビオラ達。
ビオラやパンジーは、同じ種類、色のものを一鉢に植えた方が、見栄えがするような気がしてきました。
先祖帰りした私の気に入っているビオラは、昨年と同じように咲いてくれるだろうか?
ビオラの鉢の右側は、チューリップが植えてあります。
↑石で囲っている4っの場所。
網の張ってある所は、ミニチューリップを植えています。
ミニチューリップは、浅植えなので、猫にいたずらされると、球根がむき出しにされるのを防止しています。
上と左の囲いは、ビオラ。右の囲いは、苧環(オダマキ)。
鉢を反対向けにおいてある所もチューリップを3種植えています。
この鉢も、野良猫が穴を掘るのを防止している。
春の庭はどんな風になるのか?と楽しみ。
ビオラの苗は、まだまだあるので、所狭しと植え付けてみようと思っています。
落ち着いたような印象ですが、作品のどこを見てもこれ以外の線、色、配置はないような、ぴたりとした感じがします。
あまりにぴたりとしていて、そのすごさが怖いです。
「暗い日曜日」は、私も何かの文献で「自殺ソング」と書いてあったことから知りました。
「死にたくなっちゃうのかな?」とどきどきしながら聴きましたが、そんなことはなかったなあ、という感じでした。
確かに暗いけれど、これを聴いたらそうなっちゃうの?と不思議です。
一部の音楽記事では、ヒトがネガティブに感じる音階を多用しているから……等々かかれていましたが、どうなのでしょうか。
シャンソンと木枯らしと黒いタートルネック、ベストマッチです。
寒いばかりで悲しい冬も、黒いタートルネックを着てシャンソンを聴きながら外出したら、気持ちが高揚してくるかもしれないなと思いました。
それ、ちょっとやってみたいです。
ピアフの十字架にあこがれて、私も、手放さないブレスレットを着けてた時期がありましたが、残念ながら切れてしまいました。
さほりんとヒロクニ先生のお話、出会っちゃったんですよね、どうしようもないのですよね、と思いながら、ちょっとニヤニヤしながら読みました。
さほりんは女性が特有に発する、感覚的な言葉で相手に接しないから、ヒロクニ先生と波長が合ったのかな、と思いました。
相手に話す言葉として、ちゃんと論理的に説明できることとか、感情で爆発して矛盾した言葉を発しないとか、きっとそんな感じでお話しされているのかなと。
バルバラを、リンクから聞きました。
力強い歌声、好きな感じです。
さほりんのお庭は、本当にモネの庭みたいです。
作業中の乱雑な風景も、ひとつの作品みたいです。
これはやっぱり、さほりんのセンスだなあ、と思います。
フランスの伝統的な美しい世界。さほりんの作る世界は、まさにそんな感じで、ブログの画像を見ていてるだけでうっとりします。
少し前のブログの「フランスのロマンティックな小説」が、ずいぶんと心に残っていまして、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」を読みました。
ロマンティックでした。
エミリーブロンテの『嵐が丘』と同じような雰囲気を感じましたが、『嵐が丘』の方が感情が激しく、やはりイギリスだなあと思いました。
フランス文学は、やなり美しいです。
「暗い日曜日」は、自殺ソングとのこと。そこまで、言われていたのですね。しかし、明るい曲ではないけれど、死にたくはなりません!!同感します。ヒロクニさんが、冬にシャンソンを紹介してくれたのは、ナイスなタイミングだったと今思います。そして、ともりんまで、バルバラを聴くことになるとは・・・・。ヒロクニさんの啓蒙が広がっている感じが、なんともいえません(笑)「ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」を読んでくれているよ。」と、ヒロクニさんに伝えたら、「えっ、そんな古い方のを読んでいるの?ボーボワールとかサガンから始めればいいのに。凄いね。」と言っていました。私があまりにも読まないから、喜んでいました。顔がほころんでいましたよ。
ピアスの十字架もご存知だったというのも驚きました。ドキュメンタリーの映像では、よく映っています。黒のタートルネックとシャンソンは、我家の貧乏な感じとマッチして、なんだかとても良かったのです。貧乏がオシャレに思えるとこが好きでした。
私は、いつも同窓会などで、同級生などからは、「変わっている。」とか、「お前なー、」とか、「発想がおかしいのと違うか?」と言われ、他の女性と分けて考えられる時が多くて・・・。天然も入っているらしく、「天然が来たぞー。」とか言われてしまっているのです。たぶん、ヒロクニさんの苦悩しやすい部分とうまくかみ合っているのではないでしょうか?発想がおかしい所で、ヒロクニさんは、救われるそうです。(笑)「俺、なんか元気が出てきたぁー。」と、ヒロクニさんの単純なところを引き出す能力というのでしょうか?
お庭は、行き当たりばったりなのですが、石の囲いがいい感じなのかもしれません。庭は広い方なので、石もうまい具合にあるものを拾って、置いています。花屋さんから、先祖帰りしたビオラは、さらにもう一段、人で言ったら、祖父、祖母の代に今回は帰るものが出てくるよと言われました。楽しみにしています。いつも、素敵といってもらえて嬉しく思っています。