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拒絶の歴史(63)

2010年05月23日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(63)

 秋にもなって、受験勉強のためだろうか、いつものコンビニエンス・ストアからゆり江という子の姿が消えた。同じような時間帯にしか行かないが、その子も同じような時間しか働いていなかったので、シフトが変わったとかいう問題ではなかったのだろう。ぼくは、そのことを淋しく感じていた。そして、自分の都合にとってみれば、そのことは良かったことなのだろうとも思う。目にすることも減れば、それは当然なこととして、また比例して愛情が膨らむ機会もなくなった。そもそも膨らむ余地などぼくのこころに空いていたのだろうか。

 だが、日曜にサッカーの練習があり、ぼくはコーチのアシスタントをしていて、そこに弟の練習風景を見学に来る彼女だったが、そこにも表れなくなった。ぼくは、様子をその子に訊いてみたが、
「勉強が忙しいみたいですよ。ぼくと遊ぶ時間も減ったみたいだし」

 と、最近の移り変わりを教えてくれた。それで、元気なのか落ち込んでいるかなど繊細なことは、もうそれ以上その男の子に訊けなかった。しかし、ある日妹から電話があり、直接的にではないが、
「お兄ちゃん、間違ったことをしていない?」と不意に訊かれた。ぼくは妹が何を指してそう発言したのか確かめることはできなかったが、そう問われれば自分は間違いを重ねて生きているようだった。その頃に、何度か直ぐに切れてしまう電話が部屋でなり、ぼくはそれを取る暇もなくそれは鳴り終わった。誰なのか決められなかったが、本当のところは自分は気付いていたのかもしれない。

 ゆり江という子は復讐だと言った。その切れてしまう電話をかける行為を通して、裕紀という女性の復讐が完結したのだと思おうとした。彼女は、ぼくにそうする機会も与えられなかったのだ。いっそなじられたり恨まれたりした方が、いまの自分にとっては簡単なような気がした。何を思っていたのか、思っているのか分からないことの方が、大人になりつつある自分にとって、より一層不安な気持ちにさせた。

 こうして数週間が過ぎ、それが月単位になり、段々と風化していった。ほかのいくつもの記憶と同じ経過をたどるように。その弟である男の子は、それ以降なにも情報を与えてくれなかったので、ぼくは過去の記憶のボックスに彼女のある一日を形あるものとしてしまいこんだのだろう。だが、いまこうして思い出してみれば、彼女のすべてが取り出せるような気もするし、欲張りすぎたゆえの自分の冷酷さもあらためて思い出される。生まれたての大人になる前の少女だけがもつ短くはかない時間を彼女は教えてくれた。それは、もっと前に裕紀が教えてくれたことであったのだろうが、その時は、ぼくはむなしく気づかずにいたのだろう。ただ、残念であるがそれはそれで仕方がなかった。

 そうしながらも、ぼくには大切な雪代の存在があり、なにをしても彼女を手放したくなかった。それはあまりにも自己中心的な考え方であり、現在の自分はぞっとしてしまうが、当時の自分はそう結論づけていた。しかし、あるサッカー少年の母と相変わらず間違った関係ももっていた。そのひとは、こう言った。

「あの高校生、最近姿を見せなくなったね? ひろし君、なんか知っている?」
 ぼくは、首を横に振るしかなかった。知っているような気もするが、実際はまったくもって知らなかったのかもしれない。ぼくのアパートに直ぐに切れない電話もかかり、それは大体は雪代だった。彼女と離れて半年近く経ったが、こうして連絡を取り合う間隔が伸びてしまうことはなかった。彼女は説教じみたことは言わなかったが、ぼくが勉強をおろそかにする傾向を心配した。世の中で直ぐに役立つことをするような勉強の中味ではないので、自分をしっかりと保っていかないと、流れやすくなってしまうだろうと警告した。言われる前にも分かっていたが、そう言われれば納得できることが彼女の発言には多かった。そこは、社会に出て計画と約束を遂行することが求められていく人間の進歩だった。

 ぼくは、それで削れる時間もなかったが、暇があれば図書館で勉強した。そうするとサッカーを教えている時間も魅力があり、バイト先でお客さんと意思疎通を図っている自分の時間もより貴重なものに思えてきた。なによりも、雪代と電話をしたり、戻ったときにどこかへ出掛けることも好きだった。それは削るという考えがはいらない問題だった。

 ゆり江という子が勉強のためにバイトを辞めるならば、同時に妹もそういう状況になっていた。めったに家に帰ることもなかった自分だが、たまにのぞくと、部屋にこもって勉強をしていた。ぼくは家族と食卓を囲み、彼女の勉強の進み具合の様子をきいた。それは、順調なようでもあったが、いつもの受験のように自分の問題とまわりの生徒との兼ね合いでもあるので、どれが順調の基準であるのかはあいまいでもあった。ぼくは、なにか応援するような言葉をのこしたはずだが、それは当人にとってみれば要らない言葉だったかもしれない。

 その食卓の話題には決まって雪代の存在はでてこなかった。彼らは、いつものように彼女を抹殺するようだった。ぼくを、ラグビーの優秀選手の道から逸らし、幸せな高校生のカップルを壊し、誉められるべき姿の息子を取り除いたとでも思っていたようだった。ぼくは、その問題を掘り返そうとも思っていなかった。彼女に対しては申し訳ないような気もしたが、二人の仲がそれで覆されるようなことがなければ、むしろそっとしておいた方が得策だとでも考えたのかしれない。ぼくは、いつもこころが爽やかな状態にならず、実家をあとにした。アパートに着くと、取れない電話がなったが、多分そのぐらいの時期からかかってこなくなった。