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流求と覚醒の街角(50)帽子

2013年09月16日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(50)帽子

「どうしたの、急に帽子なんかかぶって」ぼくは奈美の姿を見てそう言った。彼女が帽子をかぶっていることなど滅多になかった。選択肢にないことだとも思っていた。だが、彼女は直ぐに返事をしなかった。窓ガラスに映る自分の姿を確認してからやっと話し出した。
「似合ってないかな? 気に入って衝動買いしたんだ」
「似合ってないこともないよ」
「そう、なら良かった。褒めことばをもらえなくても」
「減点みたいだね」

 ぼくらは歩く。休日ののんびりとした街並み。
「子どものときは帽子をかぶったでしょう?」
「それはね。帽子にビーチサンダルでひと夏が終わったよ」
「洗濯も簡単だね」
「次の年にはもう着られないぐらいに小さくなっちゃうけどね」
「もったいないね」
「もったいないとも思わなかったけど、あれ、誰かが着たのかな」

 ただ通過するものたち。処分という観念もなく、手を離れていってしまうものたち。
「同じ服の子とかいた?」
「小さな町なのに不思議とそういうことはなかったね」
「わたし、あったんだ。ちょっと、わたしより静かで可愛い子がわたしと同じ服を着ていた。なんだか、やりきれなかった」
「学校で?」

「うん、小学校のとき」
「親もこういう服が可愛いとか思ったんだろう。こういう服が似合う可愛い娘であってほしいという期待もあって」
「そうなんだろうけど、当人同士はなんだか気まずかったから。逃げ出すわけにもいかないし、一日は。それで、なるべくその洋服をあまり着たくない素振りをしたけど、ローテーションもあるし」
「言えないの?」
「言ったと思うけど。でも、友だちとお揃いものを持ちたがるときもあったから、不思議だよね」
「そのへんの機微は分からないよね」ぼくには少女の気持ちなど無縁であるのだろう。

 ぼくらはスポーツ・ショップの前を通りかかる。メジャー・リーグのチームの帽子がある。奈美にすすめられてかぶってみる。鏡のなかをのぞくと、それほど似合ってもいなかった。
「買ってみる?」
「ダメ、ダメ。まったく似合っていない」となりにはバットやグローブもあった。これらを手に嵌め、握っていた時代もあった。愛着を感じつづけていた日々もあった。それも着られなくなった洋服と同じように遠い過去に所属する部類のものになった。

「どんなもので遊んだの?」
「わたしもソフト・ボールぐらいはしたよ」
「じゃあ、打てる? バッティング・センターでも行ってみる?」
「今日の格好じゃ無理だけどね」奈美は自分の服を見下ろすようにしていた。
「じゃあ、今度」
「じゃあ、今度」

 ぼくは帽子を脱いだのに、その感触が頭の周囲にはのこっていた。ある年齢から遊びではなく、部活としてやりはじめる友人たちもいた。その証明はユニフォーム姿なのだろう。揃いのものを着て、個性をなくす。いや、戦うチームと個性を対立させる。一丸となるということはああいうことなのだろう。異性の目を意識して動く。自分が能動的に示す活躍を誰かにも認められたいと思うようになった。その効用がどれほどあるのか、逆に自分の能力を軽減させてしまう役目もあったのか、いまの自分には思い出せそうにもなかった。いまは異性の視線などそれほど意識をしない。お客や、仕事の上役の視線があった。通過させなければならない仕事もあった。手直しがあり、気に入ってもらえるかどうか考える時間もあった。何だか、やはり大人は複雑になるのだとしか結論としては迎えられなかった。

「その同じ服の子は、やっぱり、同じ服をその後も着てきたの?」ぼくは疑問を発する。
「彼女のほうが洋服をいっぱいもっているみたいだった。それにある日、転校しちゃったし」
「そうなんだ」
「きれいな女の子特有の存在感の薄い感じもあって」
「うん?」
「声も小さくて、お勉強もできて。わたしは活発だったから、同じところにはいないみたい」
「ライバルにならない?」
「違うスポーツなんでしょう、そもそもが」

 ぼくは会話を通じて、彼女の過去を知る。いまの記憶も徐々に増やす。存在は立体的になりつつありながらも、過去はやはり平面的な集合体でもあるようだった。動きもせず、固定される。ピンで留められ、現実と乖離している。だが、その過去をコマ送りすれば現在の奈美につづくのだという当然の認識もあった。そして、今日は帽子をかぶっている。ぼくはふたりの少女を頭の中に置く。同じ服をきている静かな子。もうひとりはきれいな洋服を汚してしまうのも怖れないやんちゃな子。同じものに包まれながらも、中身はまったく違う。当然といえば当然だ。野球部にいた友人たちをぼくは思い出す。彼らも練習を終え、帽子を脱げば、同じような髪型だとしても、個性も違かった。ぼくらはもっと自由が与えられていた。道具も少ない。練習後に店の前で駄菓子を買ったり、ジュースを飲む場所で会う。ぼくらは好きな異性のことを話し合ったはずだ。その後の彼らは、そうした架空の相手ではなく、実際の女性と出会い、気持ちを伝え、別れたり、別の女性と新たな恋をはじめたりしているのだろう。もう坊主である必要もない。だが、あのときに流した汗もいまでは新鮮であり、これもまた貴く感じられた。

 ある少女たちもぼくらの冷やかす視線を緊張しながら、さらに意識しすぎてぎこちなくなりながら通ったはずだ。奈美もそうした視線を浴びたのだろう。この今日のような帽子を似合う前の彼女。人間の個性というのはいつごろから、きちんとした形で芽生えるのだろう。進化の過程のようにそれも見つけたかった。

 ぼくらは歩いている。休日ののどかな街。昨日は変えられず、明日はまだ来ない。気に入らない昨日もなく、腑に落ちない明日もない。ただ、たまに帽子が風に揺れるだけの日。
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