爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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流求と覚醒の街角(53)泡

2013年09月23日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(53)泡

 奈美は洗顔をしている。その白くなった顔で振り返って、テレビの画面を見ていた。誰と誰との関係が明らかになったというようなゴシップだった。

「そうだと思ってたのよ」と、探偵のような口調で言い、また正面を向き顔を水道水で流しはじめた。世の中のあらゆることをミステリー小説を読むように順番に推理すれば、そこには継続への絶対的な信頼がなければならない。犯人や原因を探すということも最終的にはつじつまを合わせるということに他ならなかった。だが、人間はもっと衝動的であり、短絡的でもあり、正直にいえば計算などないのだろう。薄情な生き物。その流された泡のように。

 さっぱりとした顔をタオルで拭いている。画面はもう別の話題に変更していた。今年のスポーツ選手の躍進と予想はずれ。すべてが泡なのだ。気泡であり、飛沫なのだ。ぼくは歯ブラシを口に突っ込む。やはり、想像以上に泡が立ち、磨くというより口のなかの見えない生物を溺れさせているだけのものでもあるようだった。

 部屋に戻ると、奈美は炭酸のジュースを飲んでいた。朝がはじまる。爽快さは微量の泡が決める。

 ぼくは冷蔵庫からビールを取り出す。まだ、朝だ。だが、平日の疲れがどこかでしがみついて離れてくれそうにもなかったので、言い訳として缶のフタを開ける。
「もう、飲むの?」
「飲むよ。これで、食欲も増進するんだから」
「今日、餃子を食べに行くんだよ」
「そうだったね」

 ぼくは洗濯機のスイッチを入れた。洗剤を適量だけ放り込み、回転する様子を数秒ながめた。ここにも、泡があった。カニの口にもあぶくがある。その円状のものがなんらかの役になっているものか考えるが答えはでない。

 ぼくは終わった洗濯物を干す。風になびく。もう泡はない。ビールもちょうど終わってしまった。

 奈美は素麺をゆでる。沸騰したお湯はたくさんの泡をつくった。その茹で上がったものをぼくらはつゆに浸して食べた。テレビはマイナーなスポーツを放映している。その具体的なルールの説明をアナウンサーはしている。自分も一夜漬けで覚えたのかもしれないし、反対に、偏執的なまでにそのスポーツに思い入れがあるのかもしれない。口角泡を飛ばす、という表現があった。ぼくは一日そんなことを考えつづけているようだった。

 奈美はベッドに寝そべってテレビを見るともなく見ていたらしいが、いつの間にか眠っているようだ。寝息が聞こえる。ぼくは静かにテレビを消して、ベランダの洗濯物の乾き具合を調べた。完全には乾いていないようだ。外は晴れている。雲のかたちには円を示すものはない。ぼくは食器を片付け、泡で洗った。スポンジはいささかくたびれていた。主婦ならメモでもして買い物に行くのだろうが、ぼくの脳はそういう細かなことを簡単に排除するようにできているようだった。

 奈美は起きる。「寝てた?」と、自分でも確認できるであろうことを訊いた。

「寝てたみたいだよ。鼻風船ができていたよ」外の洗濯物は揺れていた。「もし、マンガならばね」
「まさか。そろそろ、化粧をしないと」奈美は小さな袋を手に鏡の前にすわった。仕上がりそうになるとぼくは着替えて、取り込んだ服をたたんだ。ズボンのポケットから丸まったハンカチがでてきた。それはいびつな形で乾いていた。気分が悪いので、ぼくはくしゃくしゃのまままた洗濯機の口に投げ入れた。

 夕方になる前にぼくらはそとを歩いている。子どもたちがいて、公園との敷地の境目でシャボン玉で遊んでいた。いまの自分にはその生産性のない遊びがどう楽しいのか分からず、また反対に、これ以上楽しいこともないように思えていた。いつか飽きてしまうのだろうが、その時間もまったく分からなかった。生産性のない世界があり、無駄をつづけることのみが正しいことにも思えていた。

 ぼくらは餃子を食べに電車に乗った。奈美が行きたい店があった。ぼくらの若い胃袋は素麺などすでに消化してしまっていた。だから、店の前で香ばしい匂いをかいだだけで空腹の合図がなった。

 ぼくはビールを注文する。また、泡ができた。だが、泡というより、いまは白いクリームにも思えた。そして、小さな皿に醤油とラー油をついだ。ラー油は赤い虹のようなものを作った。この状態を正確に指すことばは思い浮かばなかった。すると、間もなく焼かれた餃子が運ばれた。ぼくらは口にする。奈美は満足した笑みを浮かべる。
「おいしいね」
「明日、におうよ」
「明日は、明日だよ」
「刹那的」
「まだ、食べられるでしょう?」
「うん、まだまだ」ぼくは追加して注文する。同じように別の席のひとも大きな声で何人前必要なのか伝えていた。

 満腹になったぼくらは外に出る。出ようとした瞬間、店内の床の最後は滑りやすくなっていたので危うく転がりそうになった。奈美はそれを見て笑った。

 外には丸い月があった。上手な小学生が集中してコンパスを使ったような完全に近い円だった。多分、周期がある。そこには法則がある。ぼくは右回りと左回りの渦があったように思い出した。それより重要なこととして、ぼくの身体のどちら側に奈美がいたほうが安心するのか、その左右を直すようにぼくは歩幅を変えた。