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流求と覚醒の街角(54)忘れ物

2013年09月28日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(54)忘れ物

 一旦、外に出た奈美が戻ってきた。

「忘れ物した」と言って靴を脱ぎ、部屋に入ってきた。ぼくは、寝不足を取り戻そうとベッドに横たわっていた。「あれ、具合、悪いの? あった」と言って床に手を伸ばした。「具合、悪いの? ねえ」
「違うよ。ただ寝足りないだけ」
「寝られそう?」
「多分、眠れないね。忘れ物は君だったんだよ」
「どうしたの?」
「気障なセリフ大会でもしようと思って」
「ごめん、付き合えない。帰るね」彼女の唇はぼくのおでこに触れる。「また、連絡する」

 ドアが閉まる大きな音がした。ドア・クローザーの調子が悪い。でも、そのことを忘れぼくは目をつぶった。本日の奈美の予定は、母親と会うことになっている。ふたりで買い物でもして、ランクの高いレストランにでも入るのだろう。その女性同士の関係性が自分にはよく分からなかった。会っているときには些細なことで喧嘩をして、楽しそうにも思えなかった。だが、それで敬遠するわけでもなく定期的に、頻繁という程度には会っていた。それに、ぼくはふたりの相違というものより同質というものに気付き始めていた。いずれ、奈美もああなるのだ。何年後かに。何十年後かに。参考にするのは無遠慮でもないのだろう。

 結局、眠りはやってこなかった。ぼくは歯を磨き、ひげの手触りを認識して、しかし、剃ることもなく外に出た。どこかでコーヒーを飲むことを願った。空虚でぼんやりとすることが許される幸福な日曜日。

 数軒離れた家ではペンキを塗り替えていた。ぼくはドアの音をまた思い出した。このひとなら直ぐに頼めば直してくれそうな頼もしさと安心感があった。でも、簡単に頼めない。忘れ物は君だった、と呟きどうでもよいことを蒸し返していた。

 忘れてもいない。忘れられないことも多くあった。ぼくはある店に入ってコーヒーを頼んだ。新聞をひろげているひともいるし、今日、はじめてデートをするという感じの初々しいふたり組みもいた。彼らの視線は合わず、空中で交差することも少なかった。その新鮮さがぼくにはうらやましかった。ぼくは、もうその立場になることはないだろう。ある年代で失ってしまうものなのだ。あの切実なる緊張と、相手に嫌われたらこの世界は根底から崩れ去るのだという不安をもう一度だけでも感じたかった。でも、世界は回転しつづけ、ぼくの眠りも毎夜、毎夜きちんと訪れる。相手に好かれようが、嫌われようが。

 ぼくはすることもなく観察をつづけた。男性が席を立ってトイレに向かった。女性は素早く鏡を出し、自分の表情を点検した。彼女は今日、ピークを迎えようとしている。それは自分が願っているだけで、本来はあと五年か、六年はやってこない。その日に交際しているのは彼ではないのかもしれない。時間軸というのは難しいものだ。奈美のピークは昨日かもしれなかった。女性の外見として。もしかしたら数ヵ月後かもしれない。その間の奈美のことをぼくは知っている。今後、ぼくは愛しつづけるだろうが、ふたりの思い出や反応の数々は新鮮であるということより居心地の良さに比重を置くようになっていくのかもしれない。これもまた時間軸の問題でもあった。

 あの女性は鏡を隠す。ぼくは戻りかけの男性と視線が合う。ちょっと踏み込みすぎてしまったようだ。それで勘定が書かれた紙を取り、レジに向かった。数百円。観察料も加わっているのならば安いものだった。

 散歩をする。空は雨の気配などまったくない。ぼくは誰かの気持ちが自分に向かっていることを知らない。この時間にぼくのことを考えているひとはどれぐらいいるのだろうかと考え出す。奈美は母にぼくのことを話しているだろうか。母は採点する。点を増し、減点する。結果として昨日と大して変わらない。

 ぼくの忘れ物はなんだったのだろう。言わなかった言葉。言ってしまった言葉。傷つけたこと。胸が痛んだこと。それは、もうどれも新鮮なものではなかった。タンスについた傷のようにあって当然のものになった。買い換えるまでずっとあるのだ。そして、ぼく自身には交換が利かない。新製品もなければ、お試し期間もない。ずっと、これでやっていくのだ。

 前の女性のピークはいつだったのだろう。彼女の今日はどれほど輝かしいものであり、あの笑顔を誰に向けているのだろう。あの優しさを存分に受けることになる子どもはどれほど幸せなのだろう。ぼくはもうなにも知らない。タンスの傷もいつどこで付いたのか思い出せないように。

 ぼくはスーパーに寄り、出来合いの惣菜を買った。奈美は高級なレストランに、もう入ったのだろうか。父も合流する可能性もある。ぼくは自分の家への道を歩いている。ペンキを塗っているひとはもういなかった。だが、匂いがその日の作業を追憶している。雨が降らない日を選ばなければならなかったのだ。ぼく自身にも災難が起こらない日。もうスポーツで負けることもない。当然、勝つこともない。ただ日々、電車に揺られ会社に行くのだ。その狭い範囲で自分は存在し、拍手や喝采もなかった。この自分のピークは一体、いつだったのだろう。忘れ物、とぼくはささやく。全部、忘れてしまったら、忘れ物にもならない。思い出せる可能性の間にあるものだけが、そう呼ばれることになる。思い出は継続し、進行して増えていくのであれば、また呼び名も違うのだろう。その本当の名称をぼくは考える。生活。暮らし。そのような区の広報のなかの言葉のように、虚しく発するしかないもののようにも感じられた。部屋にはなぜだか奈美がいた気配が濃厚だった。傷でもない、匂いでもない。雰囲気というあやふやなものであり、そのあやふやなものの存在感がぼくには意外と大きなものだった。