爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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流求と覚醒の街角(52)用途

2013年09月22日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(52)用途

 ぼくらは下町と呼ばれるところにいた。
「耳って、鉛筆置き場になるんだね」あるおじさんが耳に鉛筆を挟んでいた。浅草は勝者と敗者を決める町。馬の走りで一喜一憂する町でもあった。ベン・ハーのように。「ギャンブルする?」
「いっしょにいて、しないことは分かってもらっていると思ってたけど」奈美はそれには返答しなかった。
「ねえ、違う用途に使われるものを言い合おうよ」とだけ言った。「最初は身体で」
「いいよ。メガネのためには鼻も耳もうまく使われている」

「二点。爪を塗るのもそうだよね。でも、どうして、爪があるんだろうね」
「引っかくためじゃないの? すると、化粧全般が別の用途で使われていると思うよ。そのマスカラとかも」
「女性のほうが有利だね。指輪も」
「ネックレスもイヤリングも。あと、足首にするのとかも。何て言うの?」
「アンクレット。飾ること自体、別の用途になるのかな?」
「本来の用途って、なんだろうね。目なら見る。耳なら聞くことだし」
「口は食べる」奈美は自信満々の口調で言った。

「話すもだよ。いま、使ってるから」
「キスもするよ」
「そうだね。でも、それは唇の役目じゃない。詳細にすると」
「お子さま。でも、最初のキスって驚いたな。いつか、するだろうことは知っていたけど」
「いつだった?」
「教えてあげないよ。そのころから成長した上達者とできてるんだから」

 ぼくはその唇を見る。役目。役割。ひとは上手くなりたい生き物なのだ。熟練という音のひびき。
「ぼくも嫉妬ぐらいする生き物だよ」
「中学生のわたしに嫉妬しても仕方ないでしょう」
「中学生なんだ?」

「誘導尋問だね」ぼくらは商店街をぶらぶらと歩いている。いろいろなものが売られ、飲食店も多かった。ぼくらはその店のなかの一軒のまえで思案する。腹はそれほど空いていない。しかし、喉も渇いてきた。軽いものでお酒が飲めればいい。敗者も勝者も初心者も熟練者も休日の締めくくりに酒を飲むのだ。

「コップが箸立てにもなっている」あまり上品な店ではなかった。店がいままで焼いた肉のうま味が煤となって壁を不思議な色つやに変化させている。
「コップはいろいろなものに使いやすいよ。筒状になって、いろんなものを放り込めるし。鉛筆立てにだって」
「でも、ひとつの用途のためだけにあるものもあるよね。何か言って」
「例えば、卵焼きだけを焼く四角いフライパンみたいなものも。家の電話とかも」
「でも、録音ができるようになったら、専門性が奪われる。この携帯見て。なんでもできる」

「釘も打てる」
「打てないよ。くだらない」

 料理が運ばれる。箸は箸だけであった。でも、突き刺すということは用途として誤っているのか考えた。
「口は食べる。料理は匂いも重要か」
「見た目も重要だよ。餃子のかたちで、餃子であることが分かるんだから」その店には餃子がなかったが、奈美は急に餃子の素晴らしさを熱弁した。「じゃあ、今度は用途が変わってしまうものは?」
「少女から、キスもおそれた少女から、お母さんに」
「随分と女性蔑視だね、発言が」

「あんなに痛がるのを怖れてた子たちがだよ、子どもをすすんで生もうとしている。痛いのに」
「その問題は終わり」
「お母さんもおばあちゃんに。でも、孫にかこまれている状態がいちばん幸福かね」
「うちのお母さんもなるのかな?」
「なるだろう」
「じゃあ、わたしが痛がんなきゃならないよ」
「そうだね」
「他人事」

「ほかに変わるのって。タオルか。最先端の任務を終え、雑巾として第二の人生を歩む。Tシャツも外出着からパジャマに格下げされる」
「つかいなれたコットンてね、気持ちいいし。でも、衰えていくことばかり目が向いているみたいだよ、今日。鉛筆も短くなるね。ちびた鉛筆のちびたって、ほかに使わないよね?」
「専門性」
「箸を一種類で全部済ませるのも簡単でいいね。アレ用のナイフがあるとか、変なかたちのスプーンがたくさん並んでるのとか」
「そういうのも、奈美、好きだろう?」
「好きだけど。このシンプルさも大切」

 ぼくらは商店街をまた歩く。思ったより店は早く閉まっていた。雑踏もなくなり、ひとの往き来も減った。ぼくらは川べりまで歩く。桜が季節になれば豪華に咲くのだろう。いまは、ない。ただ、涼しげな風が川の上を渡ってくる。
「男の子って、今日はキスしようとか思ってた? 緊張した、最初?」

「このぐらいでしないと、もう一生しないなとか心配があったんじゃない。だから、いつかは挑まないといけない」
「可愛かった、最初の子?」
「まあね」
「悪く言わないね」
「言う必要もないし、実際に悪くないもん」
「でも、別れちゃう」

「自分が悪かったんだろう。いや、タオルがなんだかザラザラして肌を痛めるとかに段々となっていったのか・・・」
「来週、餃子食べる?」
「にんにく臭くなるよ」
「いいよ。別に初恋のひとの前じゃないし」
「ひどい物言いだね」
「じゃあ、この口、別の用途のために使ってもいいよ」
「ここで?」土手には、そうひともいなかった。

「聞いたらダメだよ、もう」奈美はそう言って、歩き出した。ぼくはその背中を追う。そして、肩のあたりに手を置いた。手の置き場所。本来の用途と別の用途。別の用途の円熟。痛みをおそれない女性。いろいろなことを考える。中腰。爪先立ち。土手の段差。勝者と敗者を決める町。
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