爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 ce

2014年11月08日 | 悪童の書
ce

 目覚ましをセットした時刻まで今日も眠りは保てなかった。

 本当のところは、目覚まし時計がアラームを告げて目を覚まし、次の行動となるべき止める直前まではたしかに寝ていた。しかし、深い眠りはその前に中断されている。うとうとという浅瀬を歩む。熟睡ということも困難になり、また身体はもしかしたらそれを求めていないのかもしれない。エコな身体だ。高性能に変身。

 でも、これも出口がちょっと早めに来てしまっただけで、入口はなんの問題もない。お化け屋敷を楽しみもせずに勢いよく走ってしまったのだ。もっとむかし、若い頃は自分にもいっぱしの悩みがあって、眠りという入口への導入をさまたげる障害物もいくつかあった。いまは、まったくそんな要素はない。どちらが、大変なのだろう。

 眠る際にストンと足から落ちる。実際の身体はベッドのうえにそのままあるが、すべり台や滝から、なす術もなく落下でもしたかのようなヒヤリとした感覚だけがまざまざとある。その残像におびえながらも、でも、反対に気持ちがよいものだった。ひとは相反するものさえ受け入れられる。首をしめられる女性たち。

 お金を払っても恐怖やスリルを感じたい。ひとはジェット・コースターに乗り、高い場所から下界を見下ろす。スピードと落下があり、足元のすくみも感じる。「ぞわっと」という無駄でもない日本語。

 目が覚める。曜日も分からない。分かっているのは遅刻したことだけ。若さにとって睡眠は無限のご褒美だった。逆の状態も正しい。寝ないでもいろいろなことができた。そして、倒れるように眠った。現在は寝不足による調子の悪さをそのまま先送りにするだけだ。

 冷蔵庫の音。水道の蛇口から水がポタポタと垂れる音。時計の秒ごとに刻む音。部屋は小さな音で成り立っている。小さな明かり。ひとのいびき。

 自分が放つ臭いをおそれるようになる。もちろん、肯定的なみんなを幸せにするものではない。起きて、シャワーを浴びる。身体を拭いている。ベッドにまだ人型がある。際限なき朝寝坊の女性もやっと目を覚まして、流しで歯ブラシをくわえる。

 ぼくは多分、いまだかつて「二度見」というのを我が人生で一度しかしていないはずで、この時だ。その女性の口元は握られた棒状のものを突っ込んだままの半開きの状態で、また恋しい場所に寝そべって、ぬくい布団にくるまれ、首の上だけ外界に出して、丁寧に、器用に歯をみがきはじめた。いったい誰が、彼女にしつけを教えたのだ?

「え、なにしてんの?」
「寒いから」

 彼女には両親がいなかったのか? みなしごなのか。これらを許す環境はどこにあるのか。海兵隊員にでもなって鍛え直された方がよいのか? GIジェーンみたいに。その後、彼女は皿を洗う。洗うたびに流しに落とす。うちの皿を全壊する勢いだった。しかし、元を取っている。こうして書き、会話がなければ誰かに言いふらして。

 数年前の映像を思い出している。あのときより眠りの質は悪い。歯磨きのチューブも無数に使った。

 お腹も弱くなる。牛乳こそが大敵だ。もし、ぼくがどこかの国のスパイになり運わるくつかまって口を割るよう責められるとすると、牛乳を大量(数滴の少量でも充分に効果がありそう)に流し込まれればすぐに白状してしまうだろう。FBI48から。

 KGB48。CIA48。

 若いころ、精神が危うい状態がたしかにあった。思い通りにすすまない状況が現実として立ちふさがることになじめなかった。予防もない。いまは、こういうものなのだ、と考えられる。女性は自分から逃げ、能力以上の金銭はけっしてめぐってこない。だからって、どうなの? ぐらいの居直りを自分に過分に許している。

 こういう自分に眠りの入口は解放されている。大きく扉を開いている。門番もいない。税関もなし。しかし、酒の手も借りている。素面の夜もおそれている。これも頃合いと兼ね合いの判断を誤れば、夜中に目がパッチリという仕打ちをする。映画を見直す。スポーツの思いがけないドキュメンタリーを見る機会にもなった。プジョルという頑丈なディフェンダーのことも詳細に知る。近くにサッカーの仲間も少なかった彼はコツコツとひとりで身体を鍛えた結果、足技が世界有数というランクに達しないことを踏まえても、充分なガッツある才能を育てたのだ。眠りの再導入。外では新聞が配達され、鳥たちも鳴く。明日は日曜。早起きも必要ではない。

 そう願いながらも眠りも持続しない。犬かなんかに顔を舐められながら起きてみたいな、という希望もある。一週間のニュースを情報番組で見直す。知らなくて困るものでもない。時間は段々となくなる。一生という預金額の残高が減っていく。だからといって眠りを奪うわけにもいかず、削る必要もない。これはこれで人生に役立つものなのだ。なにかを解消して、現実世界と調和させ、成長しないけど、成長ホルモンを出しているのだろう。コーヒーは匂いのためにあり、ラーメンもスープのためにある。疲れは眠りの動力源で、悩みはもうなくなってしまった。反発する能力もなくなり、順応も誰も求めない。夢は常に美しい。そのなかで龍宮城のようなホルモン屋を探している自分がいる。住所も割り振られていない架空の店内で、労働のあとの一杯をみなが楽しんでいる。そのために寝る。