雑貨生活(12)
結末をどうしようかと苦慮している。
車輪はあるのだ。いささか錆びているようで軋んだ音を出す。でも、無理に力づくでここまで連れてきた。完成が近付く。ダムを造っても水は張っていない。それほど大きくない。ならば、これは樽なのか。真水はせっせと注ぎ込んだ。さらに成功に近付ける化学反応、発酵させる物質はどこに売っているのだろう。
自分というチューブを使い切りたい。しぼり切りたい。しかし、結末のことで苦労しても、最初から読まないのが大多数なのだ。世界の六十億人以上が。最後までたどり着かない頂上を、ぼくは無意味に目指している。自己満足以外にこの状態を的確にあらわす表現があるのだろうか。
だが、チューブをしぼっている。その作業が好きだとしか言いようがない。
彼女のドラマの評判があがっている。徐々に、という緩やかなアゲンストで。いや、逆らっているのは無意識のぼくなのだ。ひとの成功がねたましい。これもウソだ。ぼくが家事が得意になればいいのだ。丸くおさまる。安定した生活。三食昼寝付き。いや、表現者のはしくれであることも堪能する。
ハッピー・エンド。悲劇。メイク・ドラマ。
ドラマを数回、見逃しても途中から盛り上がることは可能なのだ。すると、結論がより重要になる。だが、ぼくは子どものころに好きだった番組の最後をどれほど覚えているだろう。なにが、印象にのこらす核なのだろうか。パトラッシュは眠る。ぼくも一旦、眠ることにする。
昼寝から目覚めても解決策がその間に勝手にできあがっているわけもなかった。数時間、人生を無駄にしただけである。では、無駄ではない人生などどこにあるのだろう。ぼくはひとりで頭脳明晰にならないまま質疑応答をしている。ぼくは知り得る範囲の四文字熟語を考えることになってしまう。
寝起きの脳はうまく働いてくれない。お買い物がてら、外を歩く。看板を目にする。水回りのトラブル。つまり。そして屋号。ぼくは、つまり、というのを「イット・ミーンズ」と口に出している。要するに。ぼくは結論に拘泥していた。配管にものが詰まっている状態のことなのだ。つまる。
「あ、靴下」とも、言っている。道路に落ちているのは手袋だった。靴下が落ちる可能性は靴がある以上、少ない。ぼくの脳は結論ではなく、退化に向かっている。ちがう。これぐらいの間違いは誰しもがする。
漠然とした色や形状でひとは判断を下している。カボチャやトマトは律義だった。青い魚は切り身になって正体をごまかした。細い野菜も、大幅な区別を不鮮明にする。アスパラ。いんげん。ぼくの脳は数パーセントも使っていない。
袋につめ、マーケットを後にする。メルカート。マルカーノ。そんなことを考えながらぼくは大判焼きを店の前の屋台で買う。たい焼きでもなく、人形焼でもない。ましてや、タコ焼きでもない。中味の好みで選んだ。ひとの中味など見抜けない自分なのに。ぼくは、マルカーノのなにを知っているのだろう。
では、シピンは? ジョンソンは? マニエルは?
ひとりはメッツの監督になった。たしか優勝もしたはずだ。ひとりはデッド・ボールを受けて、特注のヘルメットをしていた。知っているのは、それぐらいだ。ひとは、ひとのことを上澄みでしか理解していない。
友情を深めるということも、全員が会社員になってしまえばその余裕もない。たまに会って酒を飲む。あとは冠婚葬祭というイベントとでしか会わなくなる。変化なども知らず、再婚相手のことも知らない。ぼくの好奇心はどこに捌け口があるのだろうか。
小学生のランドセルを追うように自分も家に向かっている。好奇心の強そうな娘が家にいたら、どれほどぼくの仕事の幅も増えるだろうと責任転嫁のような他力本願のようなことをぼんやりと考えている。また、四文字熟語の魔力に憑りつかれている。
冷蔵庫に居場所があるものはそこに押し込め、日用品は棚や引き出しにしまった。ぼくは結末に向かおうと挑んでいる。最終コーナーのようなものにいる自分を発見する。後ろを振り向く。出来もよく分からない。だが、走ってしまった。今更、抹消することも抹殺することもできない。彼は彼で、どんな親であろうと成長したいのだ。
疲れて彼女が帰ってくる。サバの味噌煮を彼女がつくる。好奇心の強かった少女かもしれない、彼女も。彼女の父はその生活が楽しかったんだろうなと想像できる。ぼくが別の世界にいる。どこかで合流する。マルカーノみたいに彼女がいるチームに加わる。世界の反対なのだ。ルールも違うのだ。馴染むのには時間がかかる。共通点は、サバの味噌煮ぐらいだった。共通であることには差異が少ないということを立証しなければならない。サバの味噌煮のアレンジなどいらない。これであればいい。ぼくは満足感とともに箸をすすめる。結末には骨がのこる。つまりは背骨として貫く主題をそもそも見失っているのだった。原則としてのサバの味噌煮。要するに、いや、裏返してもサバ。サバの一味。サバの友情。集団行動は廃され、孤独になって皿にのってしまった。
結末をどうしようかと苦慮している。
車輪はあるのだ。いささか錆びているようで軋んだ音を出す。でも、無理に力づくでここまで連れてきた。完成が近付く。ダムを造っても水は張っていない。それほど大きくない。ならば、これは樽なのか。真水はせっせと注ぎ込んだ。さらに成功に近付ける化学反応、発酵させる物質はどこに売っているのだろう。
自分というチューブを使い切りたい。しぼり切りたい。しかし、結末のことで苦労しても、最初から読まないのが大多数なのだ。世界の六十億人以上が。最後までたどり着かない頂上を、ぼくは無意味に目指している。自己満足以外にこの状態を的確にあらわす表現があるのだろうか。
だが、チューブをしぼっている。その作業が好きだとしか言いようがない。
彼女のドラマの評判があがっている。徐々に、という緩やかなアゲンストで。いや、逆らっているのは無意識のぼくなのだ。ひとの成功がねたましい。これもウソだ。ぼくが家事が得意になればいいのだ。丸くおさまる。安定した生活。三食昼寝付き。いや、表現者のはしくれであることも堪能する。
ハッピー・エンド。悲劇。メイク・ドラマ。
ドラマを数回、見逃しても途中から盛り上がることは可能なのだ。すると、結論がより重要になる。だが、ぼくは子どものころに好きだった番組の最後をどれほど覚えているだろう。なにが、印象にのこらす核なのだろうか。パトラッシュは眠る。ぼくも一旦、眠ることにする。
昼寝から目覚めても解決策がその間に勝手にできあがっているわけもなかった。数時間、人生を無駄にしただけである。では、無駄ではない人生などどこにあるのだろう。ぼくはひとりで頭脳明晰にならないまま質疑応答をしている。ぼくは知り得る範囲の四文字熟語を考えることになってしまう。
寝起きの脳はうまく働いてくれない。お買い物がてら、外を歩く。看板を目にする。水回りのトラブル。つまり。そして屋号。ぼくは、つまり、というのを「イット・ミーンズ」と口に出している。要するに。ぼくは結論に拘泥していた。配管にものが詰まっている状態のことなのだ。つまる。
「あ、靴下」とも、言っている。道路に落ちているのは手袋だった。靴下が落ちる可能性は靴がある以上、少ない。ぼくの脳は結論ではなく、退化に向かっている。ちがう。これぐらいの間違いは誰しもがする。
漠然とした色や形状でひとは判断を下している。カボチャやトマトは律義だった。青い魚は切り身になって正体をごまかした。細い野菜も、大幅な区別を不鮮明にする。アスパラ。いんげん。ぼくの脳は数パーセントも使っていない。
袋につめ、マーケットを後にする。メルカート。マルカーノ。そんなことを考えながらぼくは大判焼きを店の前の屋台で買う。たい焼きでもなく、人形焼でもない。ましてや、タコ焼きでもない。中味の好みで選んだ。ひとの中味など見抜けない自分なのに。ぼくは、マルカーノのなにを知っているのだろう。
では、シピンは? ジョンソンは? マニエルは?
ひとりはメッツの監督になった。たしか優勝もしたはずだ。ひとりはデッド・ボールを受けて、特注のヘルメットをしていた。知っているのは、それぐらいだ。ひとは、ひとのことを上澄みでしか理解していない。
友情を深めるということも、全員が会社員になってしまえばその余裕もない。たまに会って酒を飲む。あとは冠婚葬祭というイベントとでしか会わなくなる。変化なども知らず、再婚相手のことも知らない。ぼくの好奇心はどこに捌け口があるのだろうか。
小学生のランドセルを追うように自分も家に向かっている。好奇心の強そうな娘が家にいたら、どれほどぼくの仕事の幅も増えるだろうと責任転嫁のような他力本願のようなことをぼんやりと考えている。また、四文字熟語の魔力に憑りつかれている。
冷蔵庫に居場所があるものはそこに押し込め、日用品は棚や引き出しにしまった。ぼくは結末に向かおうと挑んでいる。最終コーナーのようなものにいる自分を発見する。後ろを振り向く。出来もよく分からない。だが、走ってしまった。今更、抹消することも抹殺することもできない。彼は彼で、どんな親であろうと成長したいのだ。
疲れて彼女が帰ってくる。サバの味噌煮を彼女がつくる。好奇心の強かった少女かもしれない、彼女も。彼女の父はその生活が楽しかったんだろうなと想像できる。ぼくが別の世界にいる。どこかで合流する。マルカーノみたいに彼女がいるチームに加わる。世界の反対なのだ。ルールも違うのだ。馴染むのには時間がかかる。共通点は、サバの味噌煮ぐらいだった。共通であることには差異が少ないということを立証しなければならない。サバの味噌煮のアレンジなどいらない。これであればいい。ぼくは満足感とともに箸をすすめる。結末には骨がのこる。つまりは背骨として貫く主題をそもそも見失っているのだった。原則としてのサバの味噌煮。要するに、いや、裏返してもサバ。サバの一味。サバの友情。集団行動は廃され、孤独になって皿にのってしまった。