最後の火花 24
ぼくと光子がうつった写真が、光子の部屋に飾られていた。高価でもないシンプルな枠が木材の普通の写真立て。そのなかにいる。ぼくの身なりだけで人柄の一部は分かるだろうが、どんな過去をもっているのか、大げさにいえばどれほどの体積を背負っているのか簡単には分からない。そして、ぼくもいまの光子を知っているだけだ。それで好悪の判断をしている。与えられたトランプの札はあきれるほど少ない。
「カギって開けるため、それとも、閉めるためのものかな」と突然、哲学的な疑問を光子は発した。
「じゃあ、爪って切るためか、伸ばすためかね」ぼくは疑問に疑問で答える。本音を暴かせない女性のように。「髪も切るため、伸ばすため?」
「どうしたの、普通の疑問なのに」
若さとは選択肢があることなのだ。髪をどのように操るかも自由だ。反対に、不自由というのは選択の幅が狭まることなのだ。では、愛に選択などという高等な見晴らしの良い高みなど認められているのだろうか。好かれているか、好かれなくなっているかの瀬戸際の泥沼のような場所にいるだけなのだ。
「当然、両方だよね」ぼくは正式な回答というためにもならない言葉を出した。永遠の愛を誓うために複数のカギたちが壁面のフェンスに取り付けられている。あれは閉じるためのものだ。ロックする。
実際の生活には勧善懲悪などなかった。善が急ぎ足で悪に回り、いや、もっとあいまいなところにすべてがあった。永遠性というのを願いながら、自分の存在が永遠でない以上、誓うというのもほとんど嘘に近かった。しかし、嘘というのも絶対的な立場にはない。ある面からみれば真実からちょっと外れているに過ぎない。そしてまた真実も無菌室にはいない。どんでん返しも、見事な結末もない。汗をたらしながらその場その場をやり過ごすだけだ。
「女性って、男性に比べて総じて優秀だと思う?」
テレビでは国立大学を卒業して弁護士になったというひとがインタビューを受けていた。勉学にいそしんだだけの容姿ではなかった。誰かのルール。誰かたちのテスト。誰かたちの幸福たち。
「個人によるよ」ぼくは光子の気転がきく部分を好んでいた。自分には誇れる経歴もない。反対に消し去りたい過去はあった。才気。機敏さ。疑ってみること。自分を育てたのはこれらの小さな性質の積み重ねだけで、それは大群になっても経歴に化けることはないのは知っていた。大抜擢もない。そもそもぼくは見つからないということをある日々には深く願っていた。ぼくは見つかり、山形さんも見つかった。その代わり、母は永遠にいなくなった。もしあのまま存在していたら美貌の母として誰かに見つかっただろうか。
光子は手鏡で自分の顔を点検している。ぼくは母が同じような様子をしていたのを思い出していた。子どもだった自分もマネをしてみたが、鏡というものにうつった自分を把握することに順応できず、うまく馴染めなかった。ぼくは手鏡の裏の部分を触る。その仕草に母も山形さんも笑った。
光子が置いた手鏡をぼくは覗く。反対の世界を戸惑うこともない。何度も見た顔。にきびを確認して、ひげをそった顔。自然にできてしまうというのは繰り返しによるものなのか。ゆらゆらと揺れる自転車にぼくは乗った。もうその頃には、母も山形さんもいなかった。ぼくはいっしょに暮らす同世代の男の子に後ろをもってもらった。ぼくにはプライドという観念も芽生えていなかったのだろう。ぼくが漕ぎ出すと、彼は手放しに喜んでくれた。ぼくは、いまなぜ、こんなことを思い出しているのだろう。
ぼくは銀座にいる。母はこの場所に来たことがあっただろうか。ぼくを産む前にどれほどの歓喜が彼女に与えられていたのか、ぼくにはもう知る方法も術もなかった。死人は口を閉ざす。カギは閉じるためにあるのだ。
母が喜んでいたあの見合いはうまく進んだのだろうか。うまいというのは最初の話で、あれから数十年経ってからのいまの判断とはまた違う。
ぼくは歩行者天国の真ん中の安物のイスにすわり、ぼんやりと光子を待っていた。こちらに歩いてきたときにカメラとマイクをもった群れに囲まれた。見つかるのだ。彼女はなにかを話している。思案するときの特徴ある眉間がここからも見えた。最後に歯を見せて笑った。カメラを通した彼女の映像はまた違うものだろうか。
「どんなこと、訊かれたの?」
彼女の返事の内容で、最近の世間をにぎわしたカップルがいることを教えてくれる。見合いなど、もう誰もしない。アジアのどこかで未成年の、もっと未成年の女の子がしているぐらいだろう。ランドセルが似合いそうな年代なのに。まだまだ。
大逆転をのぞんで罪を暴きたい人間もいない。ぼくはそれだけでも幸福なことだった。自分の手柄を自慢するほど厚顔な性質をもちあわせていない。これもラッキーだった。見合いという方法をとらなくても光子に会えた。充分に幸福といえた。母の面影もある。失われたが、そして、幸福かどうかも現時点で正解がでるとも思えないが、そこそこに栄養分のようなものは、いまに至るまで注いでもらっていた。
ぼくと光子がうつった写真が、光子の部屋に飾られていた。高価でもないシンプルな枠が木材の普通の写真立て。そのなかにいる。ぼくの身なりだけで人柄の一部は分かるだろうが、どんな過去をもっているのか、大げさにいえばどれほどの体積を背負っているのか簡単には分からない。そして、ぼくもいまの光子を知っているだけだ。それで好悪の判断をしている。与えられたトランプの札はあきれるほど少ない。
「カギって開けるため、それとも、閉めるためのものかな」と突然、哲学的な疑問を光子は発した。
「じゃあ、爪って切るためか、伸ばすためかね」ぼくは疑問に疑問で答える。本音を暴かせない女性のように。「髪も切るため、伸ばすため?」
「どうしたの、普通の疑問なのに」
若さとは選択肢があることなのだ。髪をどのように操るかも自由だ。反対に、不自由というのは選択の幅が狭まることなのだ。では、愛に選択などという高等な見晴らしの良い高みなど認められているのだろうか。好かれているか、好かれなくなっているかの瀬戸際の泥沼のような場所にいるだけなのだ。
「当然、両方だよね」ぼくは正式な回答というためにもならない言葉を出した。永遠の愛を誓うために複数のカギたちが壁面のフェンスに取り付けられている。あれは閉じるためのものだ。ロックする。
実際の生活には勧善懲悪などなかった。善が急ぎ足で悪に回り、いや、もっとあいまいなところにすべてがあった。永遠性というのを願いながら、自分の存在が永遠でない以上、誓うというのもほとんど嘘に近かった。しかし、嘘というのも絶対的な立場にはない。ある面からみれば真実からちょっと外れているに過ぎない。そしてまた真実も無菌室にはいない。どんでん返しも、見事な結末もない。汗をたらしながらその場その場をやり過ごすだけだ。
「女性って、男性に比べて総じて優秀だと思う?」
テレビでは国立大学を卒業して弁護士になったというひとがインタビューを受けていた。勉学にいそしんだだけの容姿ではなかった。誰かのルール。誰かたちのテスト。誰かたちの幸福たち。
「個人によるよ」ぼくは光子の気転がきく部分を好んでいた。自分には誇れる経歴もない。反対に消し去りたい過去はあった。才気。機敏さ。疑ってみること。自分を育てたのはこれらの小さな性質の積み重ねだけで、それは大群になっても経歴に化けることはないのは知っていた。大抜擢もない。そもそもぼくは見つからないということをある日々には深く願っていた。ぼくは見つかり、山形さんも見つかった。その代わり、母は永遠にいなくなった。もしあのまま存在していたら美貌の母として誰かに見つかっただろうか。
光子は手鏡で自分の顔を点検している。ぼくは母が同じような様子をしていたのを思い出していた。子どもだった自分もマネをしてみたが、鏡というものにうつった自分を把握することに順応できず、うまく馴染めなかった。ぼくは手鏡の裏の部分を触る。その仕草に母も山形さんも笑った。
光子が置いた手鏡をぼくは覗く。反対の世界を戸惑うこともない。何度も見た顔。にきびを確認して、ひげをそった顔。自然にできてしまうというのは繰り返しによるものなのか。ゆらゆらと揺れる自転車にぼくは乗った。もうその頃には、母も山形さんもいなかった。ぼくはいっしょに暮らす同世代の男の子に後ろをもってもらった。ぼくにはプライドという観念も芽生えていなかったのだろう。ぼくが漕ぎ出すと、彼は手放しに喜んでくれた。ぼくは、いまなぜ、こんなことを思い出しているのだろう。
ぼくは銀座にいる。母はこの場所に来たことがあっただろうか。ぼくを産む前にどれほどの歓喜が彼女に与えられていたのか、ぼくにはもう知る方法も術もなかった。死人は口を閉ざす。カギは閉じるためにあるのだ。
母が喜んでいたあの見合いはうまく進んだのだろうか。うまいというのは最初の話で、あれから数十年経ってからのいまの判断とはまた違う。
ぼくは歩行者天国の真ん中の安物のイスにすわり、ぼんやりと光子を待っていた。こちらに歩いてきたときにカメラとマイクをもった群れに囲まれた。見つかるのだ。彼女はなにかを話している。思案するときの特徴ある眉間がここからも見えた。最後に歯を見せて笑った。カメラを通した彼女の映像はまた違うものだろうか。
「どんなこと、訊かれたの?」
彼女の返事の内容で、最近の世間をにぎわしたカップルがいることを教えてくれる。見合いなど、もう誰もしない。アジアのどこかで未成年の、もっと未成年の女の子がしているぐらいだろう。ランドセルが似合いそうな年代なのに。まだまだ。
大逆転をのぞんで罪を暴きたい人間もいない。ぼくはそれだけでも幸福なことだった。自分の手柄を自慢するほど厚顔な性質をもちあわせていない。これもラッキーだった。見合いという方法をとらなくても光子に会えた。充分に幸福といえた。母の面影もある。失われたが、そして、幸福かどうかも現時点で正解がでるとも思えないが、そこそこに栄養分のようなものは、いまに至るまで注いでもらっていた。