爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

最後の火花 27

2015年02月17日 | 最後の火花
最後の火花 27

 ぼくと山形さんは雨のあとのぬかるんだ道を歩いていた。山形さんの足もとは長靴だった。彼がそのような格好をすると、自分の肉体を隅々までコントロールできる能力を有しているひととして映った。こころと肉体を分離して考えるほど、無意味なことはない。ぼくは視線をレーダーのようにして一点に注意を払わずに、ただ辺りを見回していた。樹木に、平らという観点をとっくに捨てた看板が錆びた針金で結わえつけられていた。警察が抑止するためにいろいろなことばを並べる。ぼくは、書かれていることをそのまま読んだ。

「標語っていうんだよ。自分でも何か考えてみな」

 ぼくは歩きながら思い浮かんだことを口に出した。それはダジャレの連発に過ぎない。山形さんは無心に笑った。その声に驚いたように潜んでいた鳥が飛び去った。

「これでも、さまになってる?」
「どうだかな。世の中にはことばをあやつれるひとがいる。体操選手のようにことばをあちこち転がしたり、反転させたり」

「いいね」
「暗喩と隠喩」彼自体が、ことばをガムのように丁寧に噛んでいるようだった。「俳句とか、詩とか、もっと高尚なひとたちもいるんだよ」
「どういうの?」

 山形さんはカエルが池に跳び込んだり、蝉の泣き声の話をした。それらの短いことばだけで、いくつかの音だけで一瞬をとらえようとする仕事があるらしい。その為には観察ということが重要で、いろいろなものに関心をもつことが大事だともいった。

「詩はどういうの?」
「ある対象に切実に訴えることだと、オレは思う」と急に感傷的、かつ堂々たる声を出した。「例えば、どこかに捕らわれていてそこから抜け出したい一心で、必死に何かに懇願する」

 ぼくは裏の物置に閉じ込められたときのことを思い出していた。釣り用の竿があった。冬のための燃料もあった。独特の匂いが閉所であることの不自由さを存分に表していた。

「それが詩?」
「まあ一部だよ。もっと人生のよろこびを表現することも可能だし。美しい湖を見たり」

 ぼくには形の無さと不透明さによって理解は遠退いて行った。
「兄弟を請け戻すこともできない。身代金も通用しない」と山形さんはぼそっと言った。「絶対的なるもの」

 ぼくは次のことばが思いつかない。それで、また勝手な標語をつくって楽しんだ。
「ことばって楽しいね」

「気楽でいいな。気楽がいちばんだよな」そう言って山形さんは道ばたの葉っぱをむしる。「ひとというのはいろいろ画策に応じられる。おだてたり、賄賂という贈り物を使ったりして」

「おだてるって?」
「お母さんは美人だと言われればうれしいと思わないか?」
「思うね」
「ほんとうにそうだけど、こころの敏感なところをくすぐって喜んでもらうのが、おだてる」
「ぼくにもできる?」

「できなくてもいいよ。また、しなければならない状況も大人になればたくさんあるから。ブロックを並べるように。これは比喩」

 ぼくは標語から比喩に興味が移る。いくつかの例えをつくったが歩く度ごとにすべてを忘れた。忘れたものが大切だとか、忘れたことで、あるいは忘れられないで苦悩するという境遇には、ぼくはまだ早過ぎた。

「出すことばの数に限りがあるってむずかしいね」ぼくはだらだらと無節操に話したかった。それができる同年代の友人を欲しいと思っていた。
「そうだよな、身体と同じで、何をするにも上達を目指すには訓練しかないからな。凡人たちは」

 ぼくらはベンチに座る。山形さんは濡れたあとの乾き切らないイスにも無頓着そうだったので、ぼくもとなりで自然にそうした。

「雨のあとの空気って、すがすがしいね」
「そう思うだけでも、もう充分に詩人だよ。素養がある」山形さんはポケットからタバコとマッチを取り出して、器用にこすり火をつけた。小さな炎。用途が限られる炎。「賄賂も利かない、おだてもおべっかも効果がない誠実な方がいる。お前もそうなってくれよ」山形さんは指でタバコを飛ばした。「詩人っていうのもいいな。切実なることばの群れ」
「本をもっと読むよ」

「いつか大きな図書館に行こう。背丈もある本棚が百も二百もあって、そこに本が全部詰まっている」
「誰が読むの?」読める権利を有しているのという意味だった。
「誰でもだよ。知識は共有の財産であるべきだから。そこまでに達するにはいくつもの反対を越え、疑問にもすべて答える自信がなければならないけど」
「それから、共有になるの?」
「そういうこと。あの湖のように。川のように、山のように。みんなのもの。だが、ひとりひとり個人の思い出にも化けるものたち」

 山形さんはポケットにタバコを仕舞った。大人には必要とするものが多くなる気がした。母の鏡台にはいくつもの品々が並んでいた。大人の男性もタバコを吸って、お酒を飲んで、詩がどうこうと判断する。ぼくには数枚の服と靴があれば充分で、とても満足だった。たまに髪を切られ、前後を忘れて眠る。空腹をまかない、走り回ってまた眠った。絶対もなく、詩も俳句もなかった。カエルも蝉もただのある季節に目にする生き物だった。詩想につながるものはなにもない小さな可愛い物体として生きていた。