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最後の火花 30

2015年02月25日 | 最後の火花
最後の火花 30

 酸素の濃度のようなものを化学者でもない自分は変更できない。だが、地面があれば地球上の大体の場所で暮らすことができる。空気を吸い、水を飲む。食事の好みを抜きにすれば、どこに居ることも可能なのだ。しかし、当然のこと現在のこの場にしか居ない。未来に魅かれ、過去に魅了されても、恋焦がれてもぼくがいるのはいまだけだった。動物はどうなのだろう。あの家畜小屋をなつかしいと思ったりするのだろうか。次の場所や放牧地の住宅ローンの算段をするのだろうか。山形さんは賢いという定義を、未来のために数パーセントの余力をのこして、蓄えたり、考えたりすることだと教えてくれた。だが、彼も未来を想像通りに手に入れたか確かめようもない。おそらく、違った形になっているだろう。

 生まれてくる雛のために巣をせっせと作ることはできる。取得のための税もいらない。人間は複雑にした。その複雑さは自身を苦しめることを本能のようにして動いている。

 生きている間に税金を払い、死んでも子どもたちに税金を払う権利をたくす。財産があればの話だが。ぼくは彼らからどんな貴重なものを相続したのだろう。負の遺産もあるだろう。ぼくは受け取りを拒否できない。家族という単位はこれらのやり取りを前提として縦横無尽に回転している。

「勤勉に巣をつくってるね」

 都会の森という矛盾した場所にいる。空気はいくらかすがすがしい。
「オスとメス、どっちがつくってるんだろう?」ぼくには疑問しかない。
「オスでしょう。お母さんは産婦人科に行くもんだよ」光子は自分の意見に笑う。

「それほど、出産が大変だとも思えない。卵をコロッと産んで、あとは自力で殻が割れるのを待つだけだから」
「卵にエコーを当てるんだよ」

 人間は複雑にする。薬を飲んで、手術をする。内臓を交換して、失った身体の一部を着ける。身体の中味まで透視する。幸福に近付く。いまをよりよくする。

「設計図もなく、よくつくれるよね」ぼくは鳥の作業に感心する。
「本能のなせる業」と光子はいう。

 ぼくが母に似た光子を求めたのは本能からだろうか。本能というのは総じて怠惰に傾くような気がした。楽な方への逃げ道こそ本能だ。あの日、勤勉と準備を山形さんはすすめた。その間にぼくの幹を置く。地面のしっかりしない砂地にぼくは杭を打ち込む。怠惰にならないように。

 光子は資格の取得のために勉強をしていた。ぼくはなにも持たないことを反義語として誇りにしている。学校でぼくの身の上をからかった人々をなぐった記憶を思い出している。ぼくは複雑にしないための幼稚な誓いに忠誠を立てる。あの環境にぼくは戻りたくない。だから、前にすすむこともためらうのだ。集団というのは、そこに所属するということは幸福に連結しない。ぼくの経験則はそう耳元で注意を呼びかける。

 ぼくは遮断して、解放する。限定的な相手にだけ開く。水門は優秀なのだ。そう思いながら他人のこころの抽出物である本を読んだ。他人を理解するためなのか。それとも、自分を中心にした成否と進行方向を確認しているのだろうか。

 親身になってアドバイスをする義務を有するひとを失った。それ以降は、働いて自分を養うことを最重要事項として伝えられた。余分な学問も必要ない。オプションを付け加えるという楽しみなど与えられていなかった。そのシンプルさこそ目指すべき場所であり、到達し上陸が許される唯一の小さな島だった。

 ぼくは浮き輪を外し、流木を投げ捨て光子に会った。彼女に属しているもの。住む、暮らす、生きるというのは装飾を付け加えても良い領分なのだった。予防のために病院に行き、破れたから、サイズが合わなくなったから服を買い替えるという理由以外に新たなものが手に入った。何段階もの承認も、ご機嫌伺いもない。親はすすんで娘を美しい、可愛いものにしたがった。

 ぼくは過去を忘れようとしている。ぼくはまた夢を見る。ぼくは自分の頭のなかにいる。誰かがぼくの頭のなかでビリヤードをしている。いくつかの壁面にぶつかり、その都度、過去の忘れるべき思い出で遮られてしまう。再度、キューはボールを強く転がす。痴呆にでもならない限り、ぼくの引き出しは空にはならない。もし、そういう状態になったらぼくはあの町に自分や母の残像を探しに行っているかもしれない。責任から離れ、過去の責任の放棄を追求しにいく。

「教訓。人生訓。座右の銘。スローガンとモットー」ぼくはそう口に出してみた。「鳥にはないんだろうな」
「あるの?」
「これといって」

「わたし、あるよ」イントロの前には数秒の無音が似合う。「乗りかかった船、寄りかかった肩。ほら。途中でやめるにはいかなくなって、責任が生じてしまう例え」
「果報は寝て待て。ハワイのハンモックで」
「犬も歩けば棒にあたる。人間が歩くとコンビニのおでんの匂いに誘われる。ねえ、今晩、おでんにする?」
「いいよ」

 親密とはおでんの具の好みを知ること。母と山形さんとぼくはテーブルを囲んでいた。ぼくは卵を最初に食べた。だが、間違いもある。テーブルというもので表現するには、いささか形が違うようにも思う。もっと古風な呼び方で。光子が一度も使ったことがない台も、この世には存在したのだ。優性と劣性の無意味な交差。

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