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最後の火花 29

2015年02月23日 | 最後の火花
最後の火花 29

「窮鼠猫をかむ」と突然、山形さんは言った。ラジオでは戦争についての話題で議論がなされていた。終わったことをあれこれと判断を下すのもひとは好きなのだとぼくは知る。歴史は決して塗り替えられないのに。そのことをひとは決して未来につなげるための学ぶ材料にしないのに。

「どういう意味?」
「弱いものでも追いつめられればパニックに陥って、強いものにも刃向ってしまうということだよ」
「誰が誰に?」
「ことわざでだよ」彼は本音をはぐらかせようとしていた。ぼくは勘を働かせる。
「具体的には」
「きっかけとなったアメリカと日本の戦争のとき」

 ぼくは自分が友人とケンカになってしまった状況を思い出している。そこには作戦もない。きっかけも思い出せない。きっとほんの些細なことで、ぼくか相手が腹を立てたのだろう。どちらが強いとか弱いという立場もきっちりしていなかった。また仲直りのきっかけもなく、勝手に元のように遊んでいた。

「むずかしいね」
「ことわざというのがあって、現実の事件と当てはめると理解しやすいんだよ」山形さんはあぐらをかいて器用にナイフで鉛筆を削っていた。「格言、名言」

 母はその前で、座布団をふたつに折って枕の代用にして寝ていた。ぼくはお腹が空きはじめていた。その為に母を起こすことはなぜだかためらわれた。
「ラジオ、小さくする?」

「そうだな、小さくしておいて」山形さんの前に鉛筆が数本、並べられた。先端は尖っている。鋭角の美しさがある。「全力でなにかにぶつかるということもとても大事だけど、大人になると手加減ということも重要になる。ひとはそれほど優秀でもない。できないひとは、どうやってもできないことがある。それが社会でもあり、会社でもある。そういう子がいたら、優しくするんだぞ」

「そうするよ」といってみたものの自分の潜在力なども未知のころだ。ぼくが保護を受ける側になるかもしれない。あわれみの気持ちを抱かれることになるのかもしれない。

 ぼくは外にでて大根を水に浸けて洗った。泥がとれる。窓からなかをのぞくと、山形さんは帳面になにかを書き付けていた。そしてときどき上空を見上げ、思案するひとのように頭にあるものを探しているようだった。

 水は冷たかった。ぼくは牛乳の温めたものを飲みたいと思った。母はまだ寝ていた。ぼくは欲求とためらいの中間にいる。ぼくはひとりで石のうえにすわり戦争というものについて考えていた。あまりにもぼくの得ている情報のストックがすくなく、どうしても合戦という状況になってしまった。みな、奇声と怒号を発し、勢いよく相手の陣地に駆けていった。勇気と無鉄砲のバランスもあった。ぼくの空腹感と、母に頼むタイミングのように。

 すると母は窓を開ける。

「そこにいたの? なにか食べる」
 ぼくはなかを見る。山形さんの背中しか見えない。字を書くときの集中した感じが背中にはあった。
「牛乳のあったかいの飲みたい」

「あったかな」窓は閉まる。ぼくは大根を水から取り出す。これで、ぼくの役目は終わった。しばらくして湯気のたったカップが窓から出された。数分後、飲み終えたころに山形さんが外にでてきた。
「お母さんの言うことを聞いて偉いな」

 山形さんは包丁を持ち、大根を切った。いくつかの断片を眺めて点検してから、軒下に干した。水分が抜けると保存が利く。ひとは対価をはらうのだ。
「怠け者はこわいな。石垣はくずれ、いばらで敷き詰められて、あざみが覆い尽くす」
「それも格言?」
「まあ、そういうものだよ。怠け者になったらダメだぞ」
「ならないよ」

 ぼくは彼らに良い生活を送ってもらわなければならないのだ。優しく、賢くなって働かなければいけない。給料をやりくりして家を建てる。昼寝にもやわらかな毛布をかけてあげられる。

「これ、お母さんに」と言って大根の葉をぼくに手渡した。もう片方の手には空になったカップをもち、部屋に入った。台所にもっていくと、母は別の帳面に数字を書き付けていた。

「赤字に近付く」と母は責任感のまったくない若い女性のような声をだした。
「赤字って?」
「つまりはマイナス。損するほうね」
「どうやったら、赤くならなくなるの?」
「いっぱい、稼いだら。いつか、そうなってみたいね」

 ひとは願望をもって生きる。望みがなければ生命でも人間でもない。ただの物体。鉛筆やナイフと同じような類いのものになってしまう。こうなってほしい。ああなればよい。期待は期待だから美しいのだ。ぼくはいまの状態でも完全に近いと思っていた。ぼくはいったん、牛乳を飲んだことで空腹が減った。母は大根の葉を刻む音をさせている。山形さんは風呂に水を入れていた。外は夕暮れになり、大根は水分を失う。その後、大根はいったい何になるのか考えてみる。甘くなるのか、酸っぱくなるのか。歯応えはどういう風に変化するのだろう。ぼくも自分の帳面をもち、大事なことを書けるようになるのかもしれない。そうしたら、こういう日のことをそのままの飾らない筆致で書いてみたいものだった。

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