ケンのブログ

日々の雑感や日記

隣町のお茶会

2018年01月21日 | 日記
隣町T劇場で催されたお茶会に言った。
受け付けにいくと先生が「金はろうて」とおっしゃった。
なぜ先生あんな大阪のおばちゃんのようなノリに急になるんだろう。
女の人は謎だ。
新年の景気付けの意味合いがあるかもしれない。
受付で名前を書くとき僕が冷えた手をこすっていたら
先生は「かわりに書いたげて」と舎弟の方におっしゃった。
「いいえ、練習なので自分で書きます」と僕は言った。
なんとか名前は書けた。筆圧が強かったけれど、、、。
待合室の床の間には鴬と梅のお軸がかけてあった。
鴬の羽の色とお軸のバックがグリーンで同じ系統の色になっている。
お道具の目録を読んでいくと松竹梅、亀、鶴などお正月にちなんだ
縁起のよいものがいっぱい並んでいた。
茶室のお軸には鶴の声一斉飛来というような漢字が書いてあったけれど
正確にどう書いてあるのかは忘れてしまった。
どなたかがこの文を暗記しておられたのできっと有名な文なのだと思う。
お軸の前には椿の花が飾ってあった。椿のコントラストとして
小さなは葉と花の植物が花入れに生けてあったけれど
その花の名前は聞きのがしてしまった。
「椿と榊の葉がにているで前に一度間違えたことがあるんですよ」と僕は
隣の女性に言った。
「そういえばそうですね」と隣の女性が言った。
お点前の方はブルーとグレーの中間色のようなお着物を着ておられた。
隣の女性も薄いオレンジ系の色の着物だったので
お点前の方とマッチした感じだった。
お茶を運んでくださる方は鮮やかな赤に近いオレンジの着物の方も
いらした。
みなふくさを帯にはさんでおられるのでキリッとした感じがする。
僕のそばにいらっしゃる女性は年配のかたが多く耳が遠いせいか
みんな「はあ?」「はあ?」と何度も聞き返し
何度も言い合っている。それでも微妙に意味が異なるような聞き方をして
それはそれなりに話が進んでいってしまう。
まあ、そうするより仕方ないわけだけれど、、、。
茶碗が回ってきたとき茶碗の裏に書いてある銘が皆
老眼鏡をかけても誰一人読めなかった。
その年配の女性が僕に「これ読めますか?」とおっしゃった。
僕も老眼だけれど近眼の老眼なので眼鏡をはずすと近くは
ばっちり見える。
僕が銘を読み上げると皆「そうや、そうや、あれや、あれや」と言った。
声に出して読み上げれば皆理解できるらしい。
読み上げた当の僕は読み上げただけでそれがどのような銘なのか
理解できない。
やはりここに来ておられるかたは茶道をそれなりに習得した方が多いんだなと思う。
今日は年はじめのお茶会なので年配の方が多く余計にその傾向が
強いのかもしれない。
お茶会をあとにして隣のN神社でお正月以来のお参りをした。

迷惑です

2018年01月20日 | 日記
今日電車に乗っていたら
「固まって御乗車されますと電車が遅れる原因となり
他のお客様に迷惑です。ご協力ください」と車内アナウンスがあった。
他のお客様に迷惑というアナウンスはまずいと思った。
固まって乗車の定義があいまいで誰のこといっているのか
わからないし、いくらなんでも特定の乗客を迷惑扱いすることはまずいと思った。
乗客差別ととられても仕方のない表現だと思った。
今時、松屋の牛丼屋でも
「店内での携帯電話での通話はたのお客様にご配慮ください」となっている。
それが世間と相場だと思う。
迷惑という言葉を使う場合は、迷惑となる可能性があるという
可能性に主として言及し
「迷惑となる場合がございます」あるいは「迷惑となることがございます」というのが
今時の表現のひながたのはずだ。
まあ、車掌さんも定時運行しなければならないプレッシャー、ストレスから
ついポロっと口をすべらせたのかもしれないけれど
普段から「迷惑となる場合がございます」と繰り返し言ったいたら
自然とその表現が出てきて口をすべらすこともないと思う。
その意味では意識の問題でもあると思う。
なんしかこの車内アナウンスはまずいと思い
降りた駅の駅員さんにそのことを伝えた。
すると駅員さんは「お客様のご意見を書く紙がありますので
それに書いてポストに入れておいてください」とおっしゃった。
「どこに紙とポストがありますか」と僕が要領を得ないことをいっていると。
駅員さんは「ではこの紙に書いてください、それを私が
上の者に渡しておきます」とおっしゃった。
それでその紙に乗った電車の時刻と行き先、
それに自分の意見をなるべく柔らかい表現で書いて駅員さんに渡した。
駅員さんは「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」とおっしゃった。
「いいえとんでもございません」と僕は言った。
改札を出て歩いていたときに、迷惑となる場合がございますと
迷惑ですの違いくらい黙ってやりすごせばよかったかなと思った。
大概の人はそのていどのことはやり過ごしているわけだし、、、。
物言えばくちびる寒し秋の風
いまは冬けれど、、、。
言ったことを後悔する気持ちが払い清められますように、、、。

一月十九日

2018年01月19日 | 日記
朝のうち曇りで寒かったけれど午後から太陽が照りだして
暖かくなった。この時期にしては暖かいと思う。
やはり寒い時期は太陽のありがたみを感じるなと思う。
昨日あるプロのオーケストラのリハーサルを見に行った。
指揮者の方は演奏を止めてオーケストラの団員の方に声を
かけるとき
「チェロのパートのかたもう少し寄り添っていただけますでしょうか
ちょっと音が硬い気がします。もう少し柔らかい音をお願いします」とおっしゃった。
すると本当にチェロのパートから柔らかい音が出てくる。
この方たちは寄り添うという言葉だけで通じ会えるんだ
と感心してしまった。
他の箇所で演奏を止めるときも指揮者は
「もう少し輝きのある音をいただけますか」と声をかけておられる。
するとトランペットの方が
「かがやきだけですか?それとも音量もですか?」とおっしゃった。
指揮者は「輝きと音量両方おねがいします」とおっしゃった。
トランペットの方は気合いを入れて吹いておられる感じだった。
それにしても、指揮者の丁寧な言葉遣い。
やはり指揮者もオーケストラのプレーヤーもお互いに
プロとして敬い合わなければこういう仕事はできないということなのかな
ととても勉強になった。
あとで少し話を聞くと、トランペットの方が音量のことも
おっしゃったのは、ずっと吹き続けて最後のフィニッシュで
さらにパワーアップする箇所だったということらしい。
それはもう心肺機能との勝負なのかなと思った。

一月十八日

2018年01月18日 | 日記
今日は晴れていてこの時期にしては暖かいと思う。
隣町の市民交流センターでアマチュアカメラマンの写真展を見る。
何気に揖斐川など僕の故郷岐阜県の風景写真も展示してある。
故郷岐阜県にこんな美しい風景があったのかと
写真展や絵画展ではじめて知ることも多い。
ここの写真展や絵画展に足を運んでいると
いながらにして全国を旅行してような気分になる。
先日須磨の海岸に行ったとき沖の船は水平線に沿って並んでいるように
見えたけれど今日の写真展でも夕暮れの明石の海の沖の船は
やはり水平線に沿ってならんでるように見えた。
アマチュア絵画展は女性の方が多いけれどアマチュア写真展は
男性の方が多い。
きっとカメラというメカが介在するためたと思う。
中学生のころ「女はメカに弱い」というのが口癖の男子クラスメイトがいた。
いまはどうなのだろう。
交流センターの女性職員同士がパソコンのワープロソフトを開いて
ここを切り取ってここにはりつけます。 ああほんまやできるね。
と二人で話し合っていた。ほとんどお裁縫の感覚かなと思う。
メカでもこういう分野は女性の方が強いのかなと思ったりする。
青少年センターに来るとやはり真面目に勉強している子が何人かいる。
エレベーターホールの前におばちゃんがの集団がやってきた。
高校生の子から見るとおばちゃんとは40代くらいの人だろうけど
55才の僕にとってはおばちゃんとは60過ぎの人と言うことになる。
僕の目から見ると40代は十分に若い。
その僕の目から見たおばちゃんたちの集団は声がでかい。
エレベーターホールに残響が響き渡っている。
僕も声がでかいので人のことは言えないけれど
おばちゃんたちがエレベーターでしたに降りて
静寂が戻った。
ちなみに僕はしたに降りるときは基本エレベーターは使わない。
階段で降りる。
今度は高校生の男の子二人がエレベーターホールに出てきた。
二人で話しているけれど声が小さいので何を話しているのかわからない。
ただ、一問一答という単語だけが耳に入ってくる。
例年2月から始まる私大の試験のために日本史のまとめをしているのかな
と思う。
そうおもってその子達がいた机にちらっと目をやると
私大の赤本がおいてあった。
合格しろよ、と思う。
白鵬、昨日のこけかたが前回怪我をして休んだときのつんのめりかたに
そっくりだったので、これは怪我かそれとも立ち会いをぼろかすに言われ
急遽立ち会いのパターンを変えたのでリズムを崩ししたのかどちらかだな
と思っていた。
そうしたら、今日発表の怪我が前回の怪我の時にそっくり。
今場所は十勝五敗くらいにまとめてまた来場所騒動のほとぼりが
さめたころから出直してくれればという極めて白鵬贔屓の願望を
持っていたのだけれど、休んで正解のような気がする。
稀勢の里両腕万歳のような形で苦し紛れに前に出ていったら
逆に体を降られて負けたという感じになっている。
かといってあのまま万歳していたら逆に相手に出てこられて
小手投げをふって怪我をしたときと同じパターンになってしまう。
もう対策のほどこしようがないという感じに素人目には見える。
このままだと二桁敗戦もあるような勢いになってしまった。
もう言葉がない。
7敗になった時点で休むとかタイミングがあるのかなと思う。
横綱皆勤負け越しもありなのだろうけれど
同じ負け越しでも7勝8敗ならまだしも
二桁敗けは世論がどうなるかわからない。
このまま引退したら、横綱になったとたんに
怪我をしてひとつもいいところなしに
横綱として史上最低の勝率になってしまう。
そんなことを考えていると稀勢の里ファンのかた、そして
本人、また部屋や一門の方の気持ちを案じてしまう。
もう、しっかりしてくれよの一言だと思う。
大関時代の稀勢の里の相撲からは考えられない敗けの混みかたなので
きっと怪我が回復しないままでているのだと思う。
あるところで稀勢の里は休むと不安になるので出ている
と書いてあったけれどその気持ちは僕なりになんとか想像ができる。
僕は相撲を見るときはここのところ白鵬一辺倒だったので
稀勢の里の相撲ってあまり知らないのだけれど
頭にあるイメージとしては稀勢の里は強いけれど
千代の富士の前みつ、北の湖の右上手
輪島の右おっつけというようにこれという
必勝のイメージがあまりなく地力にものをいわせて
流れの勢いのなかで気づくとじみに二桁の勝利をあげている
という感じだった。
あまり、みていないのであくまでイメージだけれど。
本当に白鵬ファンの僕でさえどうなるのだろうとどきどきしてしまう。
白鵬の張り手とかちあげのことだけれど
いまの相撲をみていると頭で当たりあう相撲が多くなっているように思える。
かくりゅうは今場所頭で当たってあたまのかさぶたが吹き飛んで
血を流している場面が何度もあった。
二代目朝潮は頭で当たってごつんとなったとき
怪我もなにもしていない額が割れて出血して
医療用接着剤でそれをくっつけてそれでもまだ頭で当たっていた。
頭で当たるって言い方を変えれば頭突きだと思う。
頭が割れてまで頭突きをしてもなにも言われないどころか
「頭が割れるときの朝潮は調子のいい証拠です」とアナウンサーからも
解説者からも誉められていた。
人の頭だとおもってアナウンサーもよくいうなあと思っていた。
自分の頭が割れてもそれでもなおかつあたまで当たっていく
気迫がアナウンサーにあるだろうかと。
頭突きは誉めれるのに、はりてとかちあげはぼろかすいわれるのかと
白鵬ファンとしてはやるせない気持ちになってくる。
僕は相撲関連の検索をすることが多いので相撲のニュースが
タブレットの上位に表示される。
さっそくテレビタレントの白鵬休場って
はりてとかちあげがなかったら40回の優勝はなかったってこと?という
コメントが出ている。
本当にこのタレントのかたちゃんと見た上で
自分の考えを吟味した上でいっておられるのだろうかと
思ってしまう。
まあ、張り手とかちあげも含めて40回の優勝だとは思うけれど、、、。
それにしても、一流のアスリートには一連の流れがある。
具志堅さんもワンツーパンチをマスターしたとき
もうワンツーでセットで体が覚えているから
ワンで相手が倒れてもツーは自然にでてしまう。
それをだめ押しパンチだと言われてワンで止めると
腰をひねってこちらが怪我をしてしまうという趣旨のことを
もう時代が過ぎて時効になったことだからという条件付きで
話しておられた。
王さんの打撃も一本足打法と言われるけれど
ホームベースの前にバットをちょこちょこ出したり
ホームベースとバットでポンとたたいたり
一本足に入る前にいろんな動作があった。
落合さんもまず右足をバッターボックスの一番キャッチャーよりに
入れるところから始まっていた。
本当は僕がしらないだけでベンチの中のしぐさから始まっているのかもしれない。
イチローもバッターボックスに入る前の屈伸運動とか
いろいろあると思う。
一流のアスリートにとって一連の動作のひとつを止められることが
どういうことなのか僕たちはいろいろと想像してみるべきなのだと思う。
白鵬も立ち会いに手を出すことが最近は流れになっていて
その流れをただでさえ怪我で力があるていど落ちているかもしれないときに
とめられてしまったというのが白鵬贔屓の僕の解釈ということになる。
もういちど張り手のない立ち会いの完成というのは
いかに白鵬にとっても厳しいのではないかと案じてしまう。
張り手かちあげがないとわかれば相手は
まずは左上手を防ぐこと一本に絞ればいいわけだろうし。
これではプロ野球のピッチャーが球種を読まれているのと
同じような条件になるのではないかと思ってしまう。
プロのバッターはあらかじめ球種がわかれば
かなり高い確率で打つらしい。
言うまでもないことだけれど白鵬の相手も
番付上位のプロの相撲取りだ。
そんなことを考えるといったいどうなることだろうと思ってしまう。

一月十七日

2018年01月17日 | 日記
くもりや雨のお天気。いまの時期にしてはそれほど寒くないと感じる。
しかし、傘を出したり入れたりやっぱり雨は面倒だなと思う。
雨が降らないと水不足になるとわかってはいるのだけれど。
一月十七日という日付を見て阪神大震災の日だなと思う。
あれからもう23年にもなるのかと思う。
あの日僕は大阪東住吉区のマンションで寝ていた。
地震がきたときゆれが強くて怖かったので掛け布団が
顔と頭全体をおおうようにかぶって揺れているあいだずっと
念仏を唱えていた。
強いゆれが長く続いていつまで続くのだろうとおびえていたけれど
やがてゆれがやんだのでほっとしてまた寝た。
朝8時頃に起きて地下鉄の駅に行くと駅のシャッターが降りていた。
地下鉄は運休になっていた。
そうか、運休かとおもってマンションに戻ってテレビをつけると
横倒しになった阪神高速や煙をもうもうとあげている神戸長田区の様子
そんなものがテレビの画面に映っていた。
ひどいゆれだとはおもったけれどこう神戸がこんなことになってると
地震が来て3時間以上たってやっと悟った。
その次の日同じ会社に勤めている人が車に乗っていて
地震でできた断層の手前で急ブレーキを踏んで
車は断層の一歩手前で止まり断層のしたには落ちなかった。
その人は会社のオフィスに戻ってきて
「いのちからがらですわ」とおっしゃった。
自分の席についてボーッとしたまま、その人は一日
仕事がてにつかず方針状態だった。
やっと鉄道が復旧した頃勤めていた予備校の
広告をもって甲南大学に手配りに行った。
JR芦屋の駅で降りると芦屋と書いた駅のプレートは
30度くらい斜めに傾いていた。
いまもJR芦屋を通って芦屋という駅のプレートを見ると
そのときの光景が目に浮かぶ。
駅から大学へ向かう道はいたるところにひびが入り
歩道のブロックはあちらこちらで壊れていた。
傾いた家もあった。
一緒に手配りに行った女の子はその光景を見て泣いていた。
それはあれをみたら泣けるだろうなと思った。
なんとも言えずわびしい光景、いまも忘れることができない。