『狼よさらば』(74)(1975.3.9.荏原オデヲン座 併映は『赤い風船』『パピヨン』)
技師のポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)の妻(ホープ・ラング)と娘が、3人組のチンピラに暴行された挙句、妻は死に、娘は精神に異常をきたす。そんな中、偶然、拳銃を手に入れたカージーは、わざと強盗に襲われたふりをして、容赦なく彼らを射殺する“闇の死刑執行人”となるが…。
さすがに中学時代に見たこの映画についてのメモは残っていないので、以下、「デス・ウィッシュ」シリーズとなった、その後の映画について。
『スーパー・マグナム』(85)(1988.7.10.日曜洋画劇場)
『狼よさらば』(74)の続続編である。善良な人々を苦しめる悪党たちに、闇の主人公が鉄槌を下すという、日本の「仕置人」にも似たストーリー展開は、確かに見る者に爽快感を与えるし、うまいとも思う。
ただ、シルベスター・スタローンの『ランボー』シリーズもそうだが、どうも最近のアメリカ映画が描く正義は、あまりにも力任せの目には目を式で、今はそうした時代であり、アメリカには昔から自衛の伝統があるにしても、後味の悪さが残るのは否めない。マイケル・ウィナーは、以前からブロンソンと組んでさまざまなアクション映画を撮ってきた監督だが、ここまで過激なバイオレンスを撮るとは驚いた。
そんなこの映画を救っているのは、ブロンソンの圧倒的な存在感であり、相手役のデボラ・ラフィン、脇役のマーティン・バルサム、エド・ローターも含めて、久しぶりの活躍が見られてうれしかった。何しろ彼は、俺を映画にのめり込ませた『荒野の七人』(60)と『大脱走』(63)のメンバーなので、いまだにアクション俳優として生き続けている姿には、特別な感慨を抱かされてしまうのである。
『バトルガンM-16』(87)(1991.10.27.日曜洋画劇場)
チャールズ・ブロンソンは、主役級になってからの方が作品に恵まれていないような気がする。脇役時代の『荒野の七人』(60)や『大脱走』(63)の彼の方がずっと魅力的に映る。
この映画も、「デス・ウィッシュ」シリーズの4作目で、新味はない。最初はピストル一丁で、妻と娘を苦しめた悪党に対しての個人的な復讐から私設自警団化した主人公が、ここではまるでランボーのようになってしまった過激さと、対する悪のあまりのスケールアップには首をひねりたくなる。
ただ、ファンの一人としては、70歳近くなっても主役を張り、ひたすらアクションにこだわる姿に、かつてはインディアンやメキシコ人を演じさせられていた男の苦労が報われた、などと少々センチな感慨も浮かんできてしまうから困るのだ。
監督のJ・リー・トンプソンは『ホワイト・バッファロー』(77)『必殺マグナム』(86)『禁じ手』(89)でもブロンソンと組んでいるが、この映画も含めていずれも失敗作。かつて『ナバロンの要塞』(61)や『マッケンナの黄金』(69)のような大作を撮っていた監督の映画としては寂しい限りだ。
ところで、ショーン・ペンが監督をした新作『インディアン・ランナー』(91)の予告を見ると、ブロンソンがなかなか良さそうに見える。どうやら愛妻ジル・アイアランドの死を乗り越えて、新たな一歩を踏み出したようで安心した。
【今の一言】2018年に、イーライ・ロス監督、ブルース・ウィリス主演で、リメイク作『デス・ウィッシュ』が公開されたが、残念ながら見落としたままだ。