田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

【ほぼ週刊映画コラム】『カツベン!』

2019-12-13 16:49:34 | ほぼ週刊映画コラム

エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』

今週は
“映画の始まり”を知ることができる
『カツベン!』

詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1208070

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「2019年11月の映画」転載

2019-12-13 16:02:17 | 映画の森

「KyodoWeekly」11月25日号から「11月の映画」 共同通信のニュースサイトに転載
https://www.kyodo.co.jp/national-culture/2019-12-11_2423397/

 

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『男はつらいよ 寅次郎の告白』

2019-12-13 13:40:10 | 男はつらいよ
『男はつらいよ 寅次郎の告白』(91)(1992.1.25.丸の内松竹 併映は『釣りバカ日誌4』)


 好調『釣りバカ~』で笑わされた後で、今の寅さんを見るのはとてもつらい。両作を対で見ることで、もはや「男はつらいよ」が喜劇ではなくなってしまった、という事実を改めて知らされるからである。
 
 実際、今回もゴクミの三連投=満男の恋という、本来ならサブストーリーとなるべきものが本筋になり、寅さんが完全な脇役になってしまうこと自体が、すでに「男はつらいよ」ではなくなっているのに加えて、渥美清をはじめ、レギュラー陣の顕著な老けぶりも見せられては、笑うに笑えない。
 
 例えば、森川信、松村達雄のおいちゃんの跡を継いで、寅とやり合うことで、一家のアンサンブルの中で騒々しいドラムの役割を果たしてきたタコ社長(太宰久雄)までが、あーやつれてしまっては、けんかの場面も哀れさが先に立って素直に笑えないのだ。
 
 今回の救いは、サブ・マドンナの吉田日出子の存在だったが、それとて決して喜劇としてではない。寅さんまでがシリアスな『息子』(91)のようになると、見る方はそれを求めていないのだから、つらいよ山田さん。
 
 いい加減、ここらで幕引きとはいきませんかね。今時これだけ客を呼べたらそうもいかないって。だけど、何度も言うけど、寅さんたちはゴジラとは違って生身なんだから…。頼むから何とかしてあげてよ。
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『男はつらいよ 寅次郎の休日』

2019-12-13 06:33:46 | 男はつらいよ
『男はつらいよ 寅次郎の休日』(90)(1990.12.31.丸の内松竹 併映は『釣りバカ日誌3』)


 長いシリーズの歴史の中でも、マドンナ(後藤久美子)の連続登板は初。しかも、その相手は満男(吉岡秀隆)であって寅さんではない…。と、もうここまでくれば、男はつらいよ=車寅次郎という、シリーズの基本が失われ、脇役・寅次郎という何とも寂しい立場となる。
 
 もちろん、これだけ長きにわたってシリーズを続けてくれば、渥美清の年齢を考えれば、こうしたところに話が行き着いてしまうのは当然なのだが、そうまでしてシリーズを続けていく意味があるのか、という疑問が残る。
 
 これは、例えば、野球で言えば、かつての大選手がたまに代打で出てきたり中継ぎで登板するようなもの。相撲で言えば、大横綱が休場を繰り返しながら何とか現役を続けているようなものである。
 
 われわれ見る側は、彼らの全盛期を知っている分、思い入れが強い分、その引き際には潔さや美しさを求めてしまうのだが、それと似た思いを、虚構の世界であるはずの映画に対して感じるのは本当につらいのだ。
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