『ランボー』(82)(1983.1.13.渋谷東宝)
社会から孤立したベトナム帰還兵ランボー(シルベスター・スタローン)と、流れ者というだけで彼を排除しようとする田舎町の保安官(ブライアン・デネヒー)との壮絶な戦いを描く。原題は「ファースト・ブロッド=最初の血」だが、「先手を打つ」という意味があるらしい。
シルベスター・スタローンがついに『ロッキー』(76)を超えた、と言っても過言ではないほど素晴らしい。激しいアクションもさることながら、孤独な影を持った新たなアウトローヒーロー像を作り出したのだ。
この映画が単なるアクション映画にとどまらなかった理由は、ベトナム戦争の残した傷が色濃く描かれていたからだろう。実際、われわれ日本人にベトナム戦争の本質が分かるはずもない。それ故、正直なところ、次から次へと出てくるベトナム戦争関連の映画を見ると、「まだベトナムなのか?」という疑問を抱かなくもない。ただ、彼らアメリカ人にとってベトナム戦争は、まだまだ身近な問題なのだろう。
グリーンベレーとして戦場で大活躍した男。だが戦争が終わり、帰国しても、彼には居場所がない。そればかりか、国を守るためと言い聞かされ、行ってきた行為によって、逆に悪人扱いされてしまうという矛盾が生じる。
そうなのだ。一昨日見た『愛と青春の旅だち』(82)のラストシーンの違和感がまさにここにつながる。あの主人公がエリート軍人になり、戦地に赴く。その結果、彼はランボーのようにはならないと誰が言えようか。それなのに、あの映画は、エリート軍人になることが幸せ、という感じで終わっていた。「それでいいのか?」という疑問が残った。だからこそ、今日、この映画を見て、「戦争が一人の人間に与える傷の深さ」を、より一層強く感じたのだ。それにしても、アメリカの保守的な田舎町の姿は『イージー・ライダー』(69)の頃と少しも変わっていないのだろうか、と思うと怖くなった。
ところで、この映画は、アクション映画としても大いに見応えがある。アンドリュー・ラズロの撮影が素晴らしいこともあるが、何といってもスタローンの体を張ったアクションに感動させられた。これまで「ロッキー」のイメージからの脱却に苦しんできた彼にとっては突破口となってほしい。
などと、べた褒めだったのだが、これが、ランボーがベトナムの捕虜収容所に潜入する『ランボー/怒りの脱出』(85)を経て、ランボーがかつての上司トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)をアフガニスタンまで救出に行く『ランボー3/怒りのアフガン』(88)にまでなると、こう変わる。
明らかに、シルベスター・スタローンは無理をしているように見える。あの筋骨隆々の体は、もはや普通ではない。薬を使っている、という噂にも真実味が感じられるほどだ。
思えば、『ロッキー』(76)以降の彼からは、まるで現代の豊臣秀吉の如く、成り上がり者が無理をして突っ張り続ける悲しさを感じさせられる。もはや肉体を誇示することでしか自己表現ができなくなった悲しさは、誰よりも本人が一番分かっているはずだ。
それに加えて、人間味の薄い強引な映画作り(この映画はリチャード・クレンナが随分救ってはいるが…)も目立ち、私生活でのゴタゴタも合わせると、あまりいいイメージは浮かばない。そう考えると、アーノルド・シュワルツェネッガーの方が、生き方がうまいといえるのかもしれない。
何やら「いまさら元には戻れないぜ」というスタローンの嘆きが聞こえてくるようで、切なくもなるのだが、単なるアクション映画を見て、こんなことを感じてしまう自分の方が変なのだろうか。
【今の一言】で、こんなスタローンの変遷を見てきたものだから、今の『クリード』シリーズでの枯れた姿を見ると、感慨深いものがあるのだ。