レッツエンジョイ東京「2020年お正月映画」。
ラインアップは
お正月映画BIG3
『カツベン!』
『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』
『男はつらいよ お帰り 寅さん』
車に魅せられた男たち
『ジョン・デロリアン』
『フォードvsフェラーリ』
名曲に彩られて
『ラスト・クリスマス』
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
『ミザリー』(90)(1991.3.15.みゆき座)
人里離れた場所で自動車事故を起こし、重傷を負った流行作家のシェルダン(ジェームズ・カーン)を、彼のファンだという中年女性のアニー(キャシー・ベイツ)が救う。ところが、アニーは看病と称してシェルダンを監禁する。スティーブン・キングの同名小説をウィリアム・ゴールドマンが脚色し、ロブ・ライナーが監督した。
あの「87分署」シリーズを、もう何十年も書き続けているエド・マクベインが、以前「主人公のスティーブ・キャレラを何度も“殺したい”と思った」と告白していた。何でも、編集者の反対にあって踏みとどまったらしいのだが…。つまり、作家にとってシリーズものは諸刃の剣のようなものであり、生活を安定させてくれる半面、ワンパターンを余儀なくされて創作が制限されるので、常に葛藤しながら書いているようなのだ。
けれども、そんな作り手の苦労は、受け手の側には関係ないわけで、受け手は自分の中で勝手な夢を描いている。物語やキャラクターが一人歩きをするのである。そこが厄介なところで、この映画は、そうした作り手と受け手の関係が、一歩間違えれば恐ろしいものになるという不条理を描いている。
ただ、作家の一方的な被害者意識が前面に押し出され、これでは受け手の側の立場がない。そう思わせるのは、この映画でアカデミー賞を受賞したキャシー・ベイツという無名の女優が、ファン心理の嫌らしさやいじらしさを巧みに演じていたせいで、受け手の側から見れば、どこかに自分と重なる部分が感じられて切なくなるところもあったのだ。
ところで、残念ながらジェームズ・カーンは作家のイメージには合わなかったが、洋画で描かれる物書きのイメージはタイプライターに直結するところがある。例えば、タイプライターを打っている姿として、『サンセット大通り』(50)のシナリオ・ライター(ウィリアム・ホールデン)、『フロント・ページ』(74)の新聞記者(ジャック・レモン)、『ジュリア』(77)のダシール・ハメット(ジェイソン・ロバーズ)などが思い浮かぶ。
また『失われた週末』(45)では、アルコール依存症の作家(レイ・ミランド)が酒代を得るためにタイプライターを質入れすることが、どれほど重大なことなのかが描かれていた(何だかビリー・ワイルダーの映画ばかりだ)。そうした意味では、こうしてワープロを使って物を書いたりするのは、われわれ日本人のタイプライターへの憧れを表しているのかもしれない。
【今の一言】そう、あの頃(91年当時)はまだワープロだったのだ…。