元ニューヨーク・ヤンキースの往年の名投手ホワイティ・フォードが亡くなった。残念ながら、その現役時代は、知る由もなく、アーカイブ映像や本でしか見聞きていない。そのフォードも登場する『さらばヤンキース』というノンフィクションの傑作を25年ほど前に読んだことを思い出した。
『さらばヤンキース』(1995.3.)
1964年の“保守”ニューヨーク・ヤンキース対“リベラル”セントルス・カージナルスとの間で行われたワールドシリーズを柱に、両チームの選手やフロントの動静を、当人たちへのインタビューを交えながら克明に再現し、メジャーリーグ(否、アメリカそのものと言うべきか)の転換期を見事に浮き彫りにしていくノンフィクション。
筆者のデビッド・ハルバースタムが、スポーツライターではなく、社会派のジャーナリストであるため、カージナルスのボブ・ギブソンやルー・ブロック、カート・フラッドといった黒人選手たちの自己主張の姿と、公民権運動に代表されるアメリカ社会の変化が鮮やかにオーバーラップする。ベースボールが、アメリカ社会の鏡となることを改めて知らされた思いがした。
また、この時期のヤンキースを9連覇後半の巨人に、晩年のミッキー・マントルを長嶋茂雄に、カージナルスを、巨人凋落後の広島や西武に置き換えてみても、さほど違和感を抱かせないことも興味深かった。
【今の一言】今年は奇しくも、フォードの他に、『さらばヤンキース』にも登場した、盗塁王ルー・ブロック、オマハ超特急と呼ばれた大投手ボブ・ギブソンも亡くなっている。
ところで、カージナルスと言えば、68年の日米野球を思い出す。もちろんブロックも、ギブソンもその時のメンバーだったが、『巨人の星』で主人公・星飛雄馬のライバルとなる“野球ロボット”ことアームストロング・オズマが所属していたことでも印象深いのだ。