田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『レディ・プレイヤー1』ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」

2020-10-07 10:32:05 | 映画いろいろ

 スティーブン・スピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』(18)は、未来の話であるにもかかわらず、1980年代のテイストがあふれていた。

 音楽もいつものジョン・ウィリアムズではなく、80年代を席巻した『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズなどを作曲したアラン・シルベストリを起用し、全編にスピルバーグ自身が選んだという70~80年代の名曲がちりばめられていた。

 オープニングはイントロが印象的なヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」(83)。これが聴こえてきた時点で、頭の中は一気に80年代へと回帰した。そんなこの曲が入っていたアルバム『1984』は、ジャケットも印象的だった。

 亡くなったエドワード・ヴァン・ヘイレンは、「ジャンプ」という行為を「誰かとつながること」と定義していたというから、この映画のテーマとちゃんと一致していたわけだ。スピルバーグはインタビューで「80年代はイノセントで楽観的な時代だった」と語っていたが、コロナ禍の今から思えば、なるほどとも思える。

Van Halen - Jump! (Ready Player One)
https://www.youtube.com/watch?v=Yn35Mk6asiU

『レディ・プレイヤー1』祭り
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/886ceb63df4452ecfdf7065128abc607

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『トレマーズ』

2020-10-07 07:45:31 | ブラウン管の映画館

『トレマーズ』(90)(1992.4.12.)

 ネバダの砂漠地帯にある小さな田舎町を舞台に、突然出現した巨大モンスターと住民たちとの攻防が描かれる。

 先日、『シティ・スリッカーズ』(91)を見た際に、ロン・アンダーウッドという監督は、もう一押しが足らない、惜しいと思った。ところが、彼が先に撮ったこの映画が、その残念な思いを解消してくれた。それほどの快作であった。

 見るからに低予算、キャスティングも地味、ストーリーもSFXもちゃちだ。にもかかわらず、この映画には、見る者をぐいぐいと引き付けるパワーがあり、登場人物たちの粋な描き方や、全編に漂うブラック・ユーモアにも見るべきところがあった。

 これは、例えば、最初はB級大作といった感じだった『エイリアン』(79)を見た時の、うれしい驚きとよく似ている気がする。ただ、この映画と『エイリアン』との違いは、限られた場所で、特定の人々が繰り広げる凝縮されたドラマは、何も宇宙にまで行かなくとも、膨大な費用を掛けずとも、優れたアイデアがあれば出来る、という手本を示したことだ。

 さて、順番通りにこちらを先に見ていたら、この監督は“今の時代の西部劇”を撮ろうとしたのだと気付いて、もう少し『シティ・スリッカーズ』を好意的に見ることができたかもしれないと思った。

『トレマーズ4』(04)(2009.4.16.)

 B級映画の傑作『トレマーズ』(90)の先祖が登場する。西部劇風アクション。今回は脚本のS・S・ウィルソンが監督も兼任したためか、ちょっと締まらないが、少数の町民が怪物と闘うというパターンはオリジナルと同じだ。

 『トレマーズ』から連続出演のマイケル・グロスが主役を務め、ガンマニアの夫婦のルーツが明かされるのが楽しい。3人組の中で一番のすご腕のガンマン、ビリー・ドラゴがあっさりやられてしまうところでは、『ジョーズ』(75)のシャークハンター、ロバート・ショーの最期を思い出した。それにしてもこの怪物は醜悪だ。

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『シティ・スリッカーズ』

2020-10-07 07:18:30 | 映画いろいろ

『シティ・スリッカーズ』(91)(1992.4.7.スカラ座)

 ニューヨークに住む中年3人組(ビリー・クリスタル、ダニエル・スターン、ブルーノ・カービー)が、カウボーイ体験ツアーを通して、本来の自分を見付ける様子を描いたコメディ映画。

 またもや、最近のアメリカ映画お得意の“心の回復劇”であるが、思ったほど入り込めなかった。いい話なのになあ、もっと面白くなったはずなのに…といった思いばかりが浮かんできてしまった。

 それは、例えば、主役の3人に絡む人たちの人物描写が弱くて広がりに欠けたこと、あるいは、クリスタルと時折彼らに人生訓をのたまう老カウボーイ役のジャック・パランスの心の交流の様子もはっきりしないなど、全体的にもう一押しが足りなかったような気がするのだ。

 それは、たった2週間の体験ツアー(もちろん映画の中ではもっと短い)で、あるいは、言い換えるなら、たった2時間の映画を見て、心を回復させようとする、自分も含めた都会人の安直さや身勝手さが浮かび上がってきたせいもある。

 つまり、身につまされる前半部の都会での暮らしが妙に引っかかって、その後の展開が素直に見られなくなったところがあった。そして「こんなもので悩みが解決するわけはない」「所詮は自己満足さ」などとつぶやいている嫌な自分を見付ける羽目になる。となると、俺も相当なシティ・スリッカーなのか…。

 ところで、この映画は中年版の『スタンド・バイ・ミー』などと宣伝されていたが、何故そうは受け取られなかったのか、と言えば、『スタンド・バイ・ミー』は少年期の終わりという過去への思慕故に美しかったのであって、この映画のように、中年男が再生しようとする姿には、少年期のような純粋さはもはやない。あの夏の日には二度と戻れはしないのだ。それがこの映画の苦しいところでもあるし、いま一つ説得力に欠けて中途半端な印象を抱かせるのだろう。

 先日のアカデミー賞の授賞式で、この映画で助演賞を受賞したパランスを、司会のクリスタルが酒の肴にしていたが、実際に映画を見ると、思いのほか出番が少なかった。あれはやはり功労賞的なものだったのか。
 

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『エデンの東』

2020-10-07 07:00:57 | 1950年代小型パンフレット

『エデンの東』(55)(2010.3.29.午前十時の映画祭)



 この映画を最初に見た時(1979.6.18.東急名画座)は、すでにジェームス・ディーン伝説が確立されていた。ところが実際に見てみると、自分を持て余し、世をすねて、周りを不幸にしながら、結局は父の愛を得、恋人を得るディーンふんするキャルにほとんど感情移入ができず、映画自体もそれほど好きにはなれなかった。逆に、兄のアロン(リチャード・ダバロス)は何てかわいそうなんだと感じた自分は変なのか、などと思ったりもした。

 だが、かれこれ30年を経た今、改めて見直すと、この映画が描いているのはそんな短絡的なものではないと気付かされた。つまり双子のキャルとアロンはコインの裏表のような存在であり、善悪の曖昧さや人間の持つ業の深さを象徴していたのだ。

 話はそれるが、以前、フランスの批評家の影響を受けた蓮實重彦氏の一派が『理由なき反抗』(55)の監督ニコラス・レイを持ち上げたいばかりに、レイと比較してこの映画の監督のエリア・カザンの評価を落とすという暴論がはびこっていた。

 そもそもディーン主演の映画を監督したという共通点だけで2人を比べて優劣をつけること自体がおかしいし、この時期のカザンの演出には演劇的なくささはあるものの、圧倒的な力強さがあると思う。

 蓮實氏には、プレストン・スタージェスを持ち上げたいばかりに、姓が同じだけのジョン・スタージェスを貶めるという暴挙もあった。こういう姿勢は醜いだけなのだが、彼にはそれなりの影響力があり、その言葉を信じてしまう者もいるから困ったものだ。

 この映画に話を戻すと、他にも、ジョン・スタインベックの原作を文学的な香りが残る脚本に仕上げたポール・オズボーン、『黄金』(48)『サウンド・オブ・ミュージック』(65)の名カメラマン、テッド・マッコードの影のある風景描写、テーマ曲だけが有名だが、実は前衛的なレナード・ローゼンマンの音楽など、スタッフそれぞれの仕事も見事だ。

 ディーンはひとまず置いて。他の配役は、女性の微妙な心理を表現しながら、段々きれいになっていく(映されていく)ジュリー・ハリス、善にこだわるあまり不幸になる父親役のレイモンド・マッセイの名演に加えて、保安官役のバール・アイブス、酒場の用心棒役で容貌魁偉のティモシー・ケリーなどの脇役もいいが、圧巻はこの映画でアカデミー助演賞を得た母親役のジョー・バン・フリート。彼女は『暴力脱獄』(67)ではポール・ニューマンの母親も演じていたから、ディーンとニューマンの母を演じた唯一の女優ということになる。

 兄役のリチャード・ダバロスは、役のせいもあるが、いささか影が薄い。そのため、兄弟の役はマーロン・ブランドとモンゴメリー・クリフトが演じる予定だったとか、ディーンとニューマンが最後までキャル役を争ったなど、さまざまな伝説が語られることになったのだろう。

 そう言えば、原田真二の「てぃーんずぶるーす」という曲の中に、「僕は、愛に背中向ける、伏せ目がちの、ジェームス・ディーンまねながら~」という一節があったなあ。

パンフレット(55・小島商事映画部(S・Y PICCADILLY115))の主な内容は
解説/梗概/ジュリー・ハリス、ジェイムス・ディーン/監督エリア・カザン/人の性格と映画の性格(南部圭之助)/此の映画によせる数々の批評/永遠に熱く、消えることのなき青春(小森和子)

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