『ケープ・フィアー』(91)(1992.2.6.日本劇場)
レイプの罪で服役していたマックス(ロバート・デ・ニーロ)は出所後、自分の弁護をおこたったとして、ボーデン弁護士(ニック・ノルティ)への復讐を誓う。
先日、図らずもオリジナルの『恐怖の岬』(62)を見てしまったおかげで、両作の間にある30年という時の流れによって生じたさまざまな変化の方に興味がいってしまい、この映画を、まっさらな新作としては捉えられなかった。
例えば、善悪がはっきりしていた『恐怖の岬』に比べると、この映画では、何をもって善と悪を区別するのかが曖昧である。それは、極悪な異常者役をデ・ニーロがやることで、彼の演技が善悪を超越してしまったことと、被害者であるノルティ演じる弁護士一家の方に問題があり過ぎて、彼らが襲われても同情心が湧いてこないことも大きく影響している。30年という歳月は、ここまで人間を変え、歪めたのか、という思いがした。
こういう映画を見ると、最近のアメリカ映画が好んで描く“家族や心の回復劇”は、所詮現実逃避に過ぎないのか、現実があまりにも殺伐としていることへの反作用なのか、と感じて空しくなる。かといって、マーティン・スコセッシがハートウォーム映画を撮ったら、それはそれで驚くだろうが…。
この映画が全くのオリジナルだったら、いかにもスコセッシらしい映画として評価することもできたかもしれないが、映画はある意味では生ものなのだから、中半端なリメークはよした方がいいのではないかと思う。
ただ、『恐怖の岬』で主人公の弁護士を演じたグレゴリー・ペック、犯人役のロバート・ミッチャム、警察署長役のマーティン・バルサムがカメオ出演し、タイトルはソール・バスが担当し、音楽はオリジナルのバーナード・ハーマンによるスコアをエルマー・バーンスタインが編曲・指揮している。こうしたオリジナルへの敬意や遊び心は、映画狂スコセッシの愛すべきところだ。
そんなこの映画を製作したのは、スピルバーグ主宰のアンブリン。前作『アラクノフォビア』(90)を見た際に、アンブリンもファンタジー路線だけではなく、そろそろ“冒険”が必要だと感じた。その意味では、この映画は、成否はともかく、わが意に応えてくれたとも言えるのだが、この後は、またもやファンタジー路線の『フック』(91)ときた。うーん、これはどうなのだろう。
『恐怖の岬』
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