田中雄二の「映画の王様」

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ビデオ通話で西部劇談議『リバティ・バランスを射った男』

2021-11-06 17:13:03 | 駅馬車の会 西部劇Zoomミーティング

 今回のお題はジョン・フォード監督『リバティ・バランスを射った男』(62)

 初めてこの映画を見たのは、中学生の頃(1975.11.6.木曜洋画劇場)。ジョン・ウェイン、ジェームズ・スチュワートというタイプの違う横綱同士の共演、ベラ・マイルズの美しさ、リー・マービン、ウッディ・ストロード、エドモンド・オブライエン、アンジー・ディバイン、ストロザー・マーティン、リー・バン・クリーフ、ジャネット・ノーランといった魅力的な脇役たち、そして「西部では伝説が真実になる」というラストのセリフ、どでかいステーキなどに感心しながらも、同時に、西部時代の黄昏を描いた悲しくて寂しい映画だなあと思ったものだった。

 で、長年心に引っかかっていたことの一つが、ランス・ストッダート(ステュワート)は、妻となったハリー(マイルズ)に、果たして“真実”を話していたのかということだった。

 今回、見直してみて、その謎が解けた。ランスが新聞記者に真実を告白する前に、ハリーの方を一べつすると、ハリーがわずかにうなづくシーンがあったからだ。つまり、彼らは秘密を共有しながら生きてきたということ。

 もう一つは、ハリーは夫となったランスよりも、亡くなったトム・ドニファン(ウェイン)の方を愛していたのでは、ということだった。フォードは、ピーター・ボグダノビッチに「そのつもりで描いた」と語っているし、今回の男性メンバーも、自分も含めて皆そう思っていたのだが、妻ともう一人の女性メンバーは「夫の方を愛しているに違いない」と言っていた。このあたり、男女で受け取り方が違うのか、と思って興味深かった。

 また、この映画は製作の開始が遅れ、フォードがやる気を失い、半ば投げやりに撮ったという側面があるらしい。それ故か、雑なところが目に付くのだが、それが逆に、見る者に想像の余地を与え、さまざまな解釈を生む結果になったともいえる。

 で、ドニファンがハリーに言う「怒った時の君はきれいだ」というセリフを、今度夫婦げんかの時に使ってみるかなどと思ったが、逆に火に油を注ぐことになるかもしれないし、けんかの際にはそんな余裕はないか。
 
 考えてみれば、ウェインの最後の映画『ラスト・シューティスト』(76)で彼を看取ったのはスチュワートだったんだよなあ。この映画とのつながりを思うと感慨深いものがある。

『リバティ・バランスを射った男』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/99e041c02d20a2d15826163851aaa248

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『クライ・マッチョ』

2021-11-06 08:22:34 | 新作映画を見てみた

『クライ・マッチョ』(2021.11.2.ワーナー試写室)

 今は落ちぶれたかつてのロデオスターが、親の愛を知らない少年と共にメキシコからテキサスを旅する中で「本当の強さ」の新たな価値観に目覚めていく姿を描くロードムービー。今年の東京国際映画祭のオープニング作品。

 1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュの小説を映画化。クリント・イーストウッドが製作・監督・主演。『恐怖のメロディ』(71)から数えて、イーストウッドの監督デビュー50周年、40作目に当たる。40年前、イーストウッド監督、ロバート・ミッチャム主演で映画化が考えられていたという。脚本は『グラン・トリノ』(08)『運び屋』(19)に続いてニック・シェンクが担当した。

 1979年。かつて数々の賞を獲得し、ロデオ界のスターとして一世を風靡したマイク・ミロ(イーストウッド)は、自らの落馬事故と妻子の事故死をきっかけに落ちぶれ、今は競走馬の種付けで細々と暮らしていた。

 そんなある日、マイクは元雇い主のハワード(ドワイト・ヨーカム)から、メキシコにいる彼の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を誘拐して連れてくるよう依頼される。

 親の愛を知らない生意気な不良少年を連れてメキシコからアメリカ国境を目指すことになったマイク。その旅路には予想外の困難や出会いが待っていた。

 齢90歳を迎えたイーストウッドの緩慢な動き、聞き取りにくいセリフ、逃亡劇なのに緊迫感がなく、全体的にゆるゆるな感じがするのだが、逆にそこが魅力的に映るという、不思議な味わいがある。前作の『運び屋』で、イーストウッドが余裕のある語り口を手に入れたと思ったが、この映画はさらにその上を行っている。

 孫のようなラフォとの掛け合いはもちろん、往年の片鱗を感じさせる瞬間、麻薬捜査の警官に向って「俺は“運び屋”じゃないぜ」と毒づくユーモラスなシーン、食堂を営む気のいいメキシコ人女性マルタ(ナタリア・トラベン)との恋、マルタの孫たちとの交流、馬の調教、ラフォの愛鶏マッチョの存在など、硬軟取り混ぜた悲喜こもごもの描写がとてもいい味を出している。

 同じ年の山田洋次監督が『運び屋』の主人公を寅さんに例えていたが、今回は描かれた世界全体が『男はつらいよ』的な感じがした。脚本シェンクによる『グラン・トリノ』と『運び屋』とこの映画を、“イーストウッド最晩年三部作”と呼びたい気になった。

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