和田誠の死後、事務所から発見された1953年から1956年(都立千歳高等学校2年生から多摩美術大学1年生)の日記(ノート6冊分)を、手書き文字のまま書籍化。
死後、その人に無断で日記を読むというのは、あまりいい趣味ではないとは思うが、あとがきで三谷幸喜が「これはもはや日記ではない。日記を超えてしまっている。紛れもなく和田誠さんの『作品』だった」と書いている通り、エッセーを読むような感じで楽しく読んでしまった。特に、映画に関する部分は、忖度のない率直な意見が述べられて興味深かった。
それと、彼も自分も、東京の城南地域で育ったので、時代は違うが、通った映画館や行動範囲が微妙に重なるところがあって親しみが湧いた。
実は自分も、大学に入った1980年から、一念発起して大学ノートに本格的に日記を書くようになった。もちろん、和田さんの足元にも及ばず、出版されることもないのだが、文章は稚拙でも、その時にしか書けなかったものなので、当時の記録としてたまにこのブログにも引用している。
日記とは、自分に向かって書いているはずなのに、心のどこかで、誰かに読まれることを意識しながら書いているところもある。だから優れた作家や和田さんのような人が書いたものは、十分に作品としての価値もあるということになるのだ。