田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

バリー・レビンソンの映画4『スリーパーズ』

2023-08-13 09:49:28 | 映画いろいろ

『スリーパーズ』(96)(1997.4.29.渋東シネタワー1)

 贔屓監督の一人であるバリー・レビンソンは、どうも『バグジー』(91)あたりからおかしくなってきたところがあるが、この映画も骨子は目には目を式の復讐劇でありながら、どうもすっきりしない。

 別にモラル云々を問うつもりはないが、たとえそれが憎むべき相手ではあっても、人を殺して、うそをつき、最後はだましが成功して万歳では、あまり後味がよくない。

 そうした感慨を抱かせるのは、この映画がロビンソンお得意のノスタルジックな青春群像劇とも、少年刑務所の看守の腐敗を暴露した告発劇ともつかない、中途半端な作りになったことも影響しているだろう。

 例えば、マーティン・スコセッシのように情味を消してこの題材を描けば、良くも悪くももっと陰惨な方向でまとまっただろうし、シドニー・ルメットのように社会派に徹すれば、もっと告発劇としての面が強調されたはず。などと、この映画には、ほかの監督の作風に思いが行ってしまうような弱さがある。

 ただ、贔屓として好意的に捉えれば、この映画には原作があり、全くの改変などできなかったのだろうし、本来はもっと陰惨になるような題材をレビンソンらしくノスタルジーを絡めて緩和させたと言えなくもないのだが、『ダイナ―』(82)から『わが心のボルチモア』(90)あたりを撮っていた頃の彼とは何かが違う。

 まるでかつては快速球で勝負していたピッチャーが、プロの世界でもまれるうちに、要らぬ変化球を覚えてその切れ味に酔い、当折速球も混ぜるが、本質は変化球ピッチャーに変容してしまったような寂しさを感じるのだ。

 加えて、新旧のさまざまな役者をそろえながら、老ギャング役のラフ・バローネを除いては誰も好演の域に達していない。ロバート・デ・ニーロの神父は『汚れた顔の天使』(38)の焼き直しのようだし、弁護士役のダスティン・ホフマンもぱっとしない。若手のブラッド・ピットとジェイソン・パトリックはどちらもダブルキャストの子役に食われ、このところ名助演を連発していた看守役のケビン・ベーコンにしても、彼の持つエキセントリックさを強調したに過ぎない。

 と、少しは弁護しようと試みても、気が付くと不満ばかり…。レビンソンが自分好みの監督に戻ってくれる日は果たして来るのだろうかと心配になる。

 ところで、どうもこの映画は、スコセッシの影響がちらつくのだが、それは扱った題材がスコセッシの諸作に似ていることにも増して、既成の音楽の使い方のうまさに共通するところがあるからか。特にフォーシーズンズからフランキー・バリ、再びフォーシーズンズの曲を使って時代の変化を表現したところは秀逸だった。こういうセンスの良さが、まだまだレビンソンを見限れない理由の一つなのだ。


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バリー・レビンソンの映画3『トイズ』

2023-08-13 07:08:26 | 映画いろいろ

『トイズ』(92)(1993.4.16.日比谷スカラ座)

 荒野の真ん中に工場を持つおもちゃ会社の社長(ドナルド・オコナー)が急死。後を継ぐことになった将軍(マイケル・ガンボン)は、おもちゃの兵器化をもくろむ。だが、前社長の息子で平和主義者のレスリー(ロビン・ウィリアムス)は、妹のアルセイシア(ジョーン・キューザック)と共に、おもちゃを使って将軍に反撃する。

 見る前に、随分と酷評を目にした。中にはバリー・レビンソンが初めて駄作を作ったなどと語るものもあった。そんなわけで、少々心配しながら見始めた。ところが、確かに取っつきにくくはあったが、それほど酷評されるほどではなかったので、レビンソンのファンとしては一安心といったところだった。

 思うに、この映画は風刺を込めた寓話の一種であり、真面目に見てしまうと「これは何だ?」となるだろうが、一歩引いて、うわべの実験的な映像にだまされずに、遊び心を持って見れば、その奥にあるメッセージは、甚だ未来的で怖いものがあり、おもちゃが兵器になり得るテクノロジーの発達がもたらす錯覚、冷戦終結後の軍人のはけ口の矛先が間違った方向に向けられた時の怖さなどが浮かび上がってくる。

 そんなわけで、この映画は現実に毒されてしまった大人たちよりも、むしろ子どもたちに向けて作られたような節も感じられる。この映画を酷評した人たちは、遊びの中に潜む怖さを理解せず、今までノスタルジックなストーリーテラーとして名をはせたレビンソンの中にあった、過激な異分子に拒否反応を覚えたのだろう。

 これは前作『バグジー』(91)でしっかりウォーレン・ベイティに利用されたレビンソンの大いなる復讐であり、映画監督が本当に撮りたいものを撮ったときほど認められないということの一つの典型だろう。

 主演のウィリアムズは、特異なキャラクターやあくの強過ぎる演技のおかげで、いま一つ評価が定まらない俳優だが、彼以外に誰がポパイや大人になったピーターパンや、この映画の主人公ができるのかと考えると、やっぱりすごい役者だと思わずにはいられない。

 また、LLクールJなる黒人のキャラクターも面白かった。忍者のような登場の仕方、父親が白人なのになぜ息子は黒人なのか、というおかしさ。中でも「コピーは同じものがいくつも出てくるから恐ろしい」と真面目に語るところが妙におかしかった。


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バリー・レビンソンの映画2『バグジー』

2023-08-13 06:13:57 | 映画いろいろ

『バグジー』(91)(1992.4.9.松竹セントラル)

 マフィアのベンジャミン(バグジー)・シーゲルは、組織拡大のために西海岸へ行った際に、売れない女優のバージニア・ヒルと恋に落ちる。1945年、ラスベガスの小さな賭場を手に入れたベンは、そこを訪れた際に、ラスベガスにカジノ付き大ホテルを建設することを思いつく。

 もともとウォーレン・ベイティという俳優が肌に合わなかった。しかもこの映画は、全く彼のための映画といっても過言ではないときた。加えて、最近のわが贔屓女優だったアネット・ベニングを、この映画ばかりでなく実生活でもものにしてしまった…。

 なので正直なところ、あまり見たくない映画だったのだが、監督はバリー・レビンソン、撮影はアラン・タビオー、音楽はエンニオ・モリコーネ、脇にはベン・キングスレーとハーベイ・カイテルをそろえていたものだから、全く無視することもできず、複雑な思いを抱きながら見る羽目になった。

 結果、ベイティ好きにはたまらない映画だろうが、彼の見栄や伊達男ぶりに拒否反応を示してしまうオレのような者にとっては、レビンソンお得意のノスタルジックな世界に浸り切れない恨みが残ることとなった。

 ストーリー的には、『ゴッドファーザー』(72)的なところが狙えたはずなのに、ベイティ+ベニングによる単なるラブストーリーになってしまっていたし、一人の男の狂気的な夢追い、あるいはアメリカンドリームとして見ても、『タッカー』(88)のようなストレートさがなく、単なる自分勝手な男の生きざまとしか映らないのである。

 だから、主人公のベンジャミン・バグジーには感情移入ができず、何ともいえない疲労感が残ってしまった。これは、自分が感情的なしこりを持って見てしまったせいなのか。それほど褒められたような出来でもないという気がするのだが。

 キングスレー、カイテルといった脇役たちは、思った通りに頑張っていたが、驚いたのはエリオット・グールドのやつれ方だった。最近見掛けないと思っていたら、こんな姿になってしまっていたのか…。主演のベイティが相変わらずの二枚目ぶりを披露していたもので、余計残酷なものに見えてしまった。


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