『燃えよドラゴン』(73)
「BSシネマ」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/748378f88653f7a0694b365e16ca92ba
ブルース・リー50回目の命日
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0e235afe4fff53d6a6e95edb9159bc94
『燃えよドラゴン』(73)
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ブルース・リー50回目の命日
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『遠い夜明け』(87)(1988.4.5.丸の内ピカデリー1)
リチャード・アッテンボローの一貫性
1970年代、アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカで、人種差別と闘った白人ジャーナリストのドナルド・ウッズ(ケビン・クライン)と黒人運動家スティーブ・ビコ(デンゼル・ワシントン)の信念と友情を、実話を基に描く。
アメリカは先住民であるインディアンを駆逐しながら国を作っていった。そしてアフリカなどから連れてきた黒人奴隷たちの存在も含めて、移民の国として発展してきた。現在も、さまざまな人種的な問題を抱えながら、多民族国家として成立している。
そうした矛盾は、数々の映画やメディアによって、われわれ日本人にも、比較的身近な問題として知られているが、この映画で描かれた南アフリカの実情はあまり知られていない。
実際、これだけすさまじい人種差別が行われているのに、これまでそれを世界中に向けて大っぴらに問題提起をしたのは、数年前にミュージシャンたちが行った「サン・シティ」という曲を中心とした反対運動ぐらいのもの。その点、こうして映画で描かれたことは、大きな意味があったと思う。
リチャード・アッテンボローの演出は、自作の『ガンジー』(82)や、この映画と展開が似ているローランド・ジョフィの『キリング・フィールド』(84)同様、多少甘くきれいごとで済まされている気もするが、この場合、白人であり、イギリス人であるアッテンボローが、『ガンジー』でインドを描き、この映画で南アフリカを描いたことに意味がある。だから、たとえそれが完璧な出来とはいえなくても、1人の映画監督の姿勢という点では、称賛に値すると思う。
そしてわれわれ観客は、ガンジーやこの映画のビゴというカリスマ的な人物の姿に触れながら、彼らの死後、彼らの国、あるいは世界全体が必ずしもいい方向には向かっていないことに気付かされる。だから、もし神が存在するなら、なぜ彼らを志半ばで殺してしまうのか、という憤りすら感じさせられるのである。そう思わされるのも、アッテンボローの一貫性が、いい意味で映画の中に生きているからなのだろうと思う。
ところで、ラストのウッズ一家の逃亡劇は、ちょっと映画のテーマからは外れているような気がした。何だか『サウンド・オブ・ミュージック』(65)のラストと重なり、その性か、クラインの顔がクリストファー・プラマーに似ているなあ、などと思いながら見てしまった。