八代亜紀といえば、代名詞的に語られる「舟唄」や「雨の慕情」(作詞・阿久悠、作曲・浜圭介)よりも、個人的には、初期の「なみだ恋」(作詞・悠木圭子、作曲・鈴木淳)「もう一度逢いたい」(作詞・山口洋子、作曲・野崎真一)「おんな港町」(作詞・二条冬詩夫、作曲・伊藤雪彦)の方が好きだ。
映画関連では、『駅 STATION』(81)で、高倉健と倍賞千恵子がテレビから流れる「舟唄」に聴き入るシーンがあったり、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(97)では、渥美清に代わって主題歌を歌ったりもしたが、トラック野郎たちに人気があったことから出演した『トラック野郎・度胸一番星』(77)以外は、映画にはほとんど出ていない。唯一といっても過言ではないのは、吉永小百合、風間杜夫とのトリプル主演という触れ込みだったこの映画。
『玄海つれづれ節』(86)(1986.1.10.虎ノ門ホール)
福岡県北九州市を舞台に、夫に蒸発された女性が仲間に助けられながら自立していく姿を描く。監督は出目昌伸。脚本は笠原和夫、下飯坂菊馬、兵頭剛。吉田兼好の『徒然草』の第三八段が基になっている。
ここのところ耐える女を演じてきた吉永小百合が、久しぶりに明るくコミカルな役に挑み、半ば成功している。だが、この映画の見どころは、毎度うまい樹木希林、駄目男を演じさせたら絶品の風間杜夫と岡田裕介、実生活をほうふつとさせる伏見扇太郎、意外に好演を見せる八代亜紀、さすがの三船敏郎、達者な子役、東映の面目躍如の本物みたいなやくざたち、そして役得の斉藤モズ介という無名のおっさん(元プロデューサーなのだとか)…といった、吉永を囲む人たちの魅力にあるといってはちと酷かな。
また、映画館が重要な大道具として使われ、あの『ラスト・ショー』(71)的なものまで感じさせてくれるなど、正直なところ、何の期待も持たずに見たせいか、ちょっと得をしたようないい気分になった。
ただ、ストーリー的には、多くのことを詰め込み過ぎて損をしている気もする。もっと街の人たちとの仲間意識や連帯感が出ていてもよかったと思うし、あの見え見えのラストシーンを持ってくるなら、その前にもう一工夫ほしかった気がする。多分、影響を受けていると思われる『スティング』(73)のように。と、少々の不満は残るが、久しぶりにからっとした邦画に触れられた気がしてうれしかった。
【今の一言】八代亜紀は華のある人だったから、もっと映画に出てもよかった気がする。改めて当時の自分の記事を読むと、この映画のことは結構気に入っていたようだ。久しぶりに見直してみようかな。