夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

2014-01-11 22:56:45 | 日記・エッセイ・コラム

白隠禅師坐禅御和讃の続き

失れ摩訶衍の禅定は

稱歎するに餘りあり

布施や持戒の諸波羅蜜

念佛懺悔修行等

其の品多き諸善行

皆この中に歸するなり

一坐の功をなす人も

積し無量の罪ほろぶ

悪趣何處にありぬべき

浄土即ち遠からず

辱なくも此の法を

一たび耳にふるる時

讃歎随喜する人は

福を得る事限りなし

Dsc03221


况んや自ら回向して

直に自性を證すれば

自性即ち無性にて

既に戯論を離れたり

因果一如の門ひらけ

無二無三の道直し

無相の相を相として

行も歸るも餘所ならず

無念の念を念として

謡うも舞うも法の聲

三昧無碍の空ひろく

四智圓明の月さえん

此時何をか求むべき

寂滅現前するゆえに

當所即ち蓮華國

此の身即ち佛なり

昨年暮れに、私は白内障の手術をしました。

中学生の時に柱時計の針が見難くなって以来ずっと近視、乱視、老眼と眼鏡を必要としていました。

が今回の手術で裸眼でも鏡の中の自分の顔が見えるようになりました。

鏡の中の自分は目尻に皺があって、顔にはシミも出来ています。

綺麗だと思っていた部屋には埃が..

小さなゴミや、窓ガラスの汚れも気になります。

良く見えない事は幸せなことだったのかもしれません。

新生児の水晶体は無色透明だそうです!

私たちがいかに自分の色眼鏡で見ているか痛感しました。